こないだ情報公開請求の制度によって入手された大阪市の内部資料を見せてもらいました。黒塗りにされた部分もありましたが、公園で野宿する人たちへの働きかけの内容とその過程がうかがえるものでした。
大阪市の職員は、ある意味法的な手続きを守ろうとしているようです。抑止力がかかっているとも言えますが、やっていることは立ち退かせるための準備です。
巡回相談をする時のノウハウが交換されている勉強会の資料などもありました。そこでは、私たちが夜回りをする際に気をつけていることに似たようなことも語られていて、気味が悪くなりました。
声かけした野宿者の情報が蓄積され、氏名を確認され、ファイルにとじられているのは、釜ヶ崎のセンターで行なわれているように、立ち退き訴訟を提起する場合まで考えていることがうかがえます。
仲良くなった野宿の仲間から「自分たちに声かけてくるのは怪しいやつばかり」と聞くことがあります。私たちよろず相談も含めて、信用に足るかどうかは、継続的な関わりのなかで判断していただいてなお、まちがっているかもしれません。
野宿生活のそういった事情を大阪市の職員も理解してふるまっておられます。それなら、「こいつらにとても名前は教えられない」と思われても当然だと分かっていただけるでしょう。
2024年8月15日(木)夜回り・すすんで食べられにいくセミはいない
こないだの日曜日は久しぶりに寄り合いをすることができました。最近、第二日曜日にしている寄り合いですが、来月は都合により、第三日曜日に実施するのでお気をつけください。
今年もセミが元気に鳴いています。聞いたところによると、幼虫が羽化するために地上に出てくるのをカラスが待ち構えていて、食べてしまうそうです。「8年土の中で過ごして成虫になって、1週間しか生きられないなんて」などと言われますが、そこまで行けたセミはまだ幸せだということになります。
また、カラスを悪者のように言ってみましたが、人間も木に登ったところを捕獲している姿を見かけたことがあるので、セミにしてみれば同じことかもしれません。カラスは猛禽類が天敵で、襲われて食べられることがあるようです。人間に天敵はいないと言われますが、最近でもクマに襲われますし、そういえば仲間同士で殺し合いをしてしまいます。
悠長にそんなことを考えていられるのは幸せなことなのかもしれませんが、なかなかそうも思い切れません。人間は未来を発明したがために、不幸を避けることができるようになりました。しかし、避けた先で出会った不幸を避けることはできないのです。
未来を作るのは現在であり、過去を手がかりにしなければなりません。過去との向き合いようで未来の構想も異なってきます。そうであるなら、不幸であることも不幸であるばかりではありません。別の未来を見出せる場所はそこにしかないからです。
とはいえ、すすんでカラスに食べられにいくセミはいません。寄り合いではみなさんが生き抜くためにしているさまざまな工夫を教えてもらっています。
2024年8月1日(木)夜回り・「してあげてる」を「させてもらってる」
なんかよく宗教とか道徳のお話で、「やってあげてると思うな。させてもらってると思え」みたいな説教があります。そう言われると、「けっ」と思うものですが、まあそういう逆説もどっかにはあるのかもしれません。
人はどこかで「いいことをしたい」と思っているもので、その機会が得られると実はうれしいのです。しかし、それが当たり前になってくるとうれしくないので、「いいことをする」チャンスは、たまに、予期しないくらいのタイミングで起こってくれればいいというのが本音です。
では、「いいことをする」頻度が上がったり、持続するのはどんな場合でしょう。思うにそれは、「いいことをする」機会を分けあっている場合です。「必ず自分がしなければならない」と感じると、途端に面倒くさくなります。「今は困るなー」という時に、誰かにふる余地があると、負担感はぐっと減ります。そう考えると善意とはずいぶん利己的なものですが、人間はそんな虫のいいことを考えてまで「いいことがしたい」のです。
しかし、「困っている」相手がいなければ、「いいこと」はできません。人が何かを「してあげる」時には、「させてあげてる」部分もあるのだと思います。
そんなことを言うと、「人が親切にしているのをいいことに、調子に乗りやがって」と怒り出す人がいるかもしれません。しかし、善意の陰にある利己的な分くらいはこっちも図々しいことを考えたって許されるのではないでしょうか。
そうやっていると、「いいこと」云々は別にして、お互いが「必要なことをやっている」ふうにもなっていきます。私たちがそこで何をやっているのかの方が、ずっと大切なのだと思います。
2024年7月18日(木)夜回り・意識しないことに気づくタイミング
毎月第二日曜日を寄り合いの日に定めてみたものの、6月、7月はあいにくの雨で中止になりました。この数年、この季節は予定変更を余儀なくされることが当たり前になっている感じがあります。そのような実感を持つのも、定期的な活動を続けているがゆえだと思います。
意図しているわけではないけれど、結果的に繰り返されること、出会いの形などから伝わること、意味を持つことがあります。夜回りも一人で訪問する場合と、複数人の場合とでは、どちらがいいというわけではなく、自ずと意味合いはことなってきます。複数人であれば、それなりの規模の活動なのかなと推測されるかもしれません。回る方は回る方で、ルーチン化した活動でも何かを共有している感覚が宿るものです。
変わらないものがあるように感じるのは錯覚にすぎないのかもしれません。慣れてしまった天候不順ももとはといえば「ここ数年」のことです。いつまで夜回りが続くのかも実はわからないことです。意識しないけれど、決して当たり前ではないことの中で私たちは生きているし、死んでいくことについて考えもしません。
うまくいっている時には意識できないことでも、やはりそういうことはあるのだと、どこかで気づかなければいけないのだと思います。
2024年7月4日(木)夜回り・反排除の神話
最近、物語とはなんだろうかと考えていて、ジョーゼフ・キャンベルというアメリカの神話学の研究者の本を読んでいます。神話や昔話といったものも物語に違いないし、小説やマンガ、映画やテレビドラマなども物語でしょう。これらは現実ではない空想の出来事だったり、現実に起こったことでも、それを何らかの形で再構成して再現しているものです。
しかし、こういったいわゆる物語でなくとも、私たちは基本的に物語として現実をとらえているところがあるのだと思います。何か問いを設定して、それを検証して結論を出すという研究のプロセスも、ある出来事がどんな結末を迎えるのかを追跡した物語と言えなくはありません。また、私たちが過去や未来について語る時も、それは自分にとって納得のいく物語として作話しているのです。
実は、現在の自分の状況についての語りも物語なのだと思います。現在についての語りは単に事実を説明しているだけのように思われるかもしれませんが、「この現状はいずれこうなるだろう」という見通しを前提としています。「こうだったらいいな」「こうなるだろう」という考えを自分なりにまとめているものであり、事実そのものではないのです。
近代の科学が発達する前までは、神話や昔話といった物語は世界の秩序を説明するものとして力を持っていました。それは、合理的に考えればおかしなことを言っているようでも、未来だけでなく、実は現在についても確実なことは知りえない人間が、理不尽や不条理の方が当たり前であるこの世界で生きていくための支えとして必要なものだったのでしょう。
科学的な知識が支配的な現代社会に生きる私たちにとっては、現在について語っていることは一人ひとりにとっての神話なのかもしれません。しかし、それらはしょせん一人よがりなものであり、神話のような深みを持つことはできません。
排除されないことと野宿を認めることとは常に混同されています。排除されない結果として野宿があり、それと野宿生活の是非は別の話であるにもかかわらず、排除という現在は野宿生活の是非という未来に支配されてしまっており、反排除の訴えは今やすっかり世迷言です。
2024年6月20日(木)夜回り・蚊取り線香だけでいいんじゃない?
もうぼちぼち蚊が出ているという話だったので、何回か前から蚊取り線香を用意しています。夏の蚊取り線香、冬の使い捨てカイロは野宿生活の必需品です。しかし、これらはもちろん、一年中必要というわけではありません。どちらも不要な端境の時期があります。
よろずでは以前、おにぎりを配っていたのですが、用意できなくなったので、最近では市販の携行食にしていました。これが結構かさばります。職場から自宅までいったん戻る時間的な余裕がないので、職場まで持っていかねばならず、面倒だなと思っていました。そもそも喜ばれているのかどうかも分からないし、蚊取り線香を多めに配るようにしたらいいのではないかと考えました。
しかし、いざそうすると、自分が寝ているところは蚊が出ないから蚊取り線香はいらないという人がいたことを途中で思い出したり、はじめて話しかける人に対しては、ビラと蚊取り線香だけだとなんとなく話しかけづらかったりすることに気づきます。やはり夜回りで食べられるものを配ることには、なんとなく意味があるのだなと思いました。
というように、夜回りでお配りしているものは、こちらの都合で選んでいるところもあるので、「別にこんなのいらんけどなあ」というものでも、うまいこと活用していただけると嬉しいです。
2024年6月15日(土)第78回「センターの日」——調整弁の現在
「釜ヶ崎を見れば世界が見える」と言われた時代があったようです。それは産業構造の末端に位置付けられ、景気の調整弁として利用される寄せ場の求人動向が、世界情勢をもっともクリアに反映していたがゆえだったのでしょう。
では現在の釜ヶ崎はどうでしょう。日雇い求人が減少し、寄せ場は労務手配の手段として時代遅れなものになってしまったと言われます。携帯電話やスマートフォンが老若男女一人一人に行きわたり、インターネットで行われる情報のやりとりにおきかえられたというわけです。
しかし、これは本当なのでしょうか。たしかに情報技術に支えられた労務手配は多種多様な広がりを見せているようです。かつては大都市の一区画に労働力をプールする拠点が必要であったが、そのような固有の場所が要らなくなったのだというわけです。このように考えると、変化したのは労務手配や労務管理の仕組みであり、寄せ場が時代遅れになって切り捨てられたことになります。
ここに錯覚があるのではないでしょうか。変化したのは労務手配の仕組みではなく、労働そのものだと考えるべきです。もっと言えば、国民国家を一つの単位とする日本社会の経済発展が限界に達したのだと思います。
かつては寄せ場にプールした労働力をどんぶり勘定で利用していても利益の出る使い道があったのでしょう。しかし、すでにそのようなお手軽な投資先はなくなり、なんとか稼げそうな口を見つけては、そこに合うような労働力を「マッチング」するしかなくなっているのだと思います。
1990年代から2000年代にかけて都市にあふれかえっていた野宿者の姿が現在見られなくなったのは、生活保護によって路上からすくいあげられたためです。もはや「マッチング」しようにも当てがう先のない「元」労働力は、せめて福祉サービスの対象として雇用の埋め合わせにし、まだ働ける「若い」労働力は、福祉を入り口として就労支援に継ぎ合わされ、労働市場への送り出しを待つ産業予備軍となります。釜ヶ崎内外に乱立する「作業所」はその現れでしょう。これらは労働力の「マッチング」システムの一つであり、現在の日本の経済状況に合わせて作られた雇用の調整弁になっているのです。つまり、相変わらず釜ヶ崎は「末端の調整弁」として利用され続けているし、過去のものとなったわけでもないのです。
このような状況下で、ただ「包摂するまち」を目指すだけでは、調整弁の再生産になってしまいます。結果として、資本主義の仕組みによる収奪に抗おうとしているのは、現役の野宿者と、ろくでなしぞろいの「反排除の連中」だけになってしまいます。
釜ヶ崎の「にぎわい」は釜ヶ崎だからあるもので、呼び込まれたものは「にぎやかし」でしかありません。「にぎやかし」が「にぎわい」に加わることもあるし、もう一つの「にぎわい」になったり、やがて「にぎわい」になり代わることもあるでしょう。
「センターの日」はただ釜ヶ崎の現在にむきあうものです。現在とは、逃れようとしても逃れられないものであり、当たり前の日常でもあります。それは、「センターの日」がなくても、もともとここにあるものだし、今のところ「まだ無くなっていない」ものです。
分かれ目がどこにあるのか、自分がどこにいるのかを知らなければ、理想を抱くことは意味をなさなくなることでしょう。