前回の夜回りはめちゃくちゃな大雨でした。先週も先々週も週末は雨が降っていましたね。もう7月になったけど、雨が降ったり降らなかったりでまだ暑さはマシな日々が続いています。
これからの野宿者運動の行方を考えていく手がかりとしてコモンズというものについてあれこれ考えています。
土地の所有について私有地と公有地の二種類に加えて「共有地」というあり方を考えるのがコモンズの議論です。私有地は特定の個人によって所有されていて、他の人はその人の許可なく利用できません。公有地は「みんなの土地」ですが、ここでいう「みんな」というのはいろいろです。警察署や消防署、ごみの焼却施設も公有地ですが、「みんなのもの」だからといって誰もが自由に出入りできるわけではありません。道路も公有地で、これは誰もが利用できるわけですが、何をしてもいいわけではなく、移動の手段としての利用に限られていると言っていいでしょう。
共有地は個人に所有されていないという点や、誰がどのように利用できるのかがさまざまであるところは公有地に似ています。しかし、用途が制限されているとはいえ、「誰でも利用できる」という形での「みんなのもの」であることはありません。
ある場所を利用する人たちの条件は絞られていて、その人たちに共有されることで独特の価値が生まれていることがコモンズの条件です。ある人たちにとっては価値があっても、他の人たちにとっては価値のない場所があって、必要な人が必要な場所を使えることが大切なのです。
問われているのは所有のあり方なのか、利用の仕方なのか、価値のあり方なのか、考えなければならないことはたくさんあります。ただ、私有地と公有地という分け方はあまりに単純なように思われます。場所を私有できない人が公有地で受け入れられるわけでもないとしたら、どこへ行けというのでしょうか。
2026年6月25日(木)夜回り・すごしやすい梅雨?
4月から新年度がはじまり、6月ともなるとヘロヘロになっています。5月も疲れがたまって限界を感じる部分はあったのですが、6月になるともう限界を通りすぎて、なんとかやり過ごすしかなくなっています。しんどさにもいろいろ種類があるようです。
「この仕事は自分にはむいていなんじゃないか」と後ろ向きな気持ちにもなりますが、一時的にそういう気持ちになることはあるものだし、しんどいけどやりすごしてしまうのが生きる知恵だとも思います。しかし、そういう「やりすごし」がいつか積もり積もって爆発したりするのではないかとちょっと怖い気持ちもあります。
梅雨に入ってから、雨が降る日も増えましたが、去年のような極端などしゃぶりはなく、また夜は肌寒いくらいに涼しく、わりとすごしやすい日が続いています。蚊取り線香も一応持って夜回りをしているので、もしご入用なら教えてください。
2026年6月20日(土)第97回「センターの日」——反排除とコモンズ
■反排除とコモンズ
9年にわたって「センターの日」を続けてきて、このうえ何がしたいのだろうかと考えてみました。
原点にあるのは排除に対する嫌悪感であり、反排除の理念なのだと思います。排除に抗するということは、そこにある価値を守ろうとすることです。その場にかかわる人たちが共に作り出している価値がすでに存在します。そのような価値、そして、価値を生み出し、維持していく仕組みをコモンズと呼びたいと思います。
街中で作り出されているコモンズを見ないまちづくりは排除を呼び込んでしまいます。その上釜ヶ崎にはジェントリフィケーションがあります。だから「センターの日」はコモンズとしてのセンターを知るところからはじめました。
小さくともコモンズを実践したいし、すでにあるコモンズを発見し、理解していくのが今の「センターの日」であり、定点観測もその試みの一つです。
■定点観測釜ヶ崎——銀座通り編 その2
この日、集合場所に行くと、南海高架下にあった荷物が移動され、ブルーシートをかけられて「警察通報済み」の札がかけられていました。聞けば、環境美化の事業者から不法投棄ゴミとして警察に通報され、警察からの手配で処分される流れがあるようです。
気になって見ていたら「あなたはどこの何者?」と声をかけてけくる人がいました。彼も荷物を処分されたことがあるのだといいます。部屋を出なければならなくなって、大事なものだけ隠して路上に置いていた。私物を置かせて欲しいと張り紙もしていたが、仕事から戻ったら撤去されていたそうです。
定点観測は前回に引き続き、釜ヶ崎銀座通りの撮影ポイントを回りました。
No.1(2017年)の写真の右端に写っていた「エバーライフ萩ノ茶屋」という店舗は、中国資本っぽい民泊になっていました。No.35(2017年)でテントだけ残っていた「まつ威」は「カラオケ居酒屋優華」になっていました。No.36の和香は相変わらずです。No21の「交通安全協会」も変わりませんが、ここは立ち小便のスポットになっているようです。No.41の西成署も変わりませんが、ぐるっと囲っていた炊き出しに並ぶ人たちの列はこの時はありませんてましたが、路上に座っている人の姿はありました。
記録を取っていなければ出来事自体見えなくなってしまうことがあります。記録を取っていても抜け落ちるものもあります。しかし、語り合えばまた姿を現すし、その価値を見直すこともできます。
■前回の「センターの日」から——スムージー
「これ何や?」と、六角形の紙パックを手に取りまじまじ眺めるお客さんたち。「スムージーです」と言ってもピンとこない様子。私「ジュースみたいな…ドロッとしてる…」。
こんなやりとりを繰り返しているうちに、聞き慣れてるはずの「スムージー」という言葉の響きが新鮮に感じられてくるから不思議です。
「炊き出しは穀類ばっかや。ウンコ出ーへん」が口癖のKさん、パッケージの野菜感?が気に入ったのか、飲み干していかれました。私には見慣れた光景もKさんたちにはどう見えているのか。たまにスーパーで出くわすKさんの姿が浮かびました。
Kさんは、肉も野菜もあらへん炊き出し、といつもひとしきり大きな声でボヤいていかれるのだが、今回は「自分が悪いんやけど」とうつむき加減でボソッとつぶやき一つ。
食と自己責任感。う~む、今回も宿題いただきました。
2026年6月11日(木)夜回り・思いつくままに
今回はまとまった文章が書けそうにないので、思いついたことを並べていきます。
大阪維新の会はまた大阪都構想がどうとかいって住民投票をやろうとしています。いいかげんバカじゃないのかとみんな思わないのでしょうか。
一難去ってまた一難。というより、事態が進展したようで結局何も良くならず、困難な状況が続いているだけのような気がします。どうしたらいいのでしょうか。
京都市のはずれを散歩していたら、「ラブホテル団地」とでも呼ぶべき巨大ラブホテルが林立しているエリアがありました。盛場にあるラブホテル街とは違って、ちょっとした異世界感があって不思議な気分になれます。
最近クマのニュースがなくなってきたと思ったら宇都宮市にクマが出ました。
頼まれて貴金属や外国や古い硬貨などを買い取り店に持っていきましたが、お金になったのはシルバーのリングだけでした。1ドル紙幣は両替できるかもと言われてコンビニの両替機を通してみたらできました。
もう説明できるようになっただろうと思っていたことがうまく説明できず、なぜだろうと考えたら、欠陥を抱えたままで説明するしかないことを受け入れられていなかったからなのだと気づきました。
釜ヶ崎の自治を考える勉強会をしようという話になったのが最近ではよかったことです。
気づくこと、わかることがあるのはうれしいことですが、なかなかそれを楽しむ余裕がありません。
何かオチをつけたい気分に囚われてきたのでここまでにします。
2026年5月28日(木)夜回り・当事者研究の可能性
今週は当事者研究についての本を読んでいました。当事者研究とは、北海道にある浦河べてるの家という精神障害者のコミュニティからはじまった取り組みです。
精神障害を持つ人たちは、幻聴や感情の爆発、依存などさまざまな問題を抱えています。当事者研究では、自分にとっての問題を仲間の手を借りながら自分で研究していきます。
これを当事者研究では「苦労を取り戻す」と表現します。自分が持つ障害について支援や治療を受ける立場では、結局治りもしないのに問題の主体ではなくなってしまいます。当事者研究をしたところで必ずしも治りはしないのですが、「リスクの回避の人生とは正反対の選択」をした方が生きやすく、楽しみも見出せるようになります。
私たちが暮らしている現代社会は、マイナスをなくしてひたすらプラスを増やそうとする単純な原理に支配されています。最初からマイナス要素は否定的なものとされています。しかし、マイナスだからといって無くせるものではないし、マイナスな部分だって自分の生の一部だと受け入れられたら、マイナスから生まれるものだってあります。
また当事者研究のすばらしいところは、それぞれ自分の問題を他の人の協力を得ながら追究していくところです。そんな関係と場所こそが価値の源泉であり、価値そのものだと思うのです。野宿者運動もそういうものでありたいものです。
2026年5月16日(土)第96回「センターの日」——釜ヶ崎銀座通りの変化
■第96回「センターの日」——銀座通りの変化
先月の「センターの日」はセンター南側のいわゆる「居場所スペース」の一角を借りて行いました。ふだんの路上ではなかったので、中止だと思って通りすぎてしまった方には申しわけありませんでした。
これまでとやり方を変えてレジャーシートを敷いてコーヒーとお茶菓子でおしゃべりしました。といっても、センター構内でやっていた「センターの日」はもともとこういうものだったので、原点に戻ったともいえます。
4回目となった今回の定点観測釜ヶ崎は、いわゆる「釜ヶ崎銀座通り」を中心に実施しました。
■釜ヶ崎銀座通りの観測ポイント
『定点観測釜ヶ崎 増補版』2ページの定点観測ポイント地図を見ると、銀座通り沿いには九つの観測ポイントがあります。このうち、今回は北から順にNo.46、No.58、No.59、No.2、No.10までの5カ所を対象としました。
1994年以降は大きな変化がなさそうに思えるのですが、自分たちで撮ってみると、小さな変化にも大きな意味が感じられます。2017年といえば「西成特区構想」の開始から5年経っています。街の変化の意味はさらに9年後の現在と重ね合わせることでくっきりして来ます。
■無料駐輪スペース
No.46はカネマツコーポレーション7番館(1994年、2017年では「ちとせ」というドヤ)とメゾンワカマツが入る構図で南向きに撮られた写真です。この大きな2軒のドヤの前は「西成区無料駐輪置場」の看板がついた柵付きのスペースになっています。西成特区構想がはじまってから、どんどん街がつくり変えられていく象徴のように思えたのですが、2017年の写真にはまだありません。銀座通り中程のNo.10にも無料駐輪スペースは見られません(1994年、2017年に「ホテルなかよし」だったところは現在「BESTIE DOYANEN HOTELS」になっています)。

No.2は緑風荘の横の筋を撮った構図です。2017年の写真で駐輪を規制するフェンス(Bバリ)が設置されています。このフェンスは現在もそのままに錆びついています。この二つを合わせてみると、行政が管理の手法をねじ込めるところとそうでない土地が分かれているように思えます。

■街路樹の植え替え、伐採
かつて銀座通りは立派な白木蓮の街路樹があり、早い春の訪れを知らせてくれていました。現在は小さな百日紅に植え替えられています。No.58、No.59を見ると、強剪定されて痛々しい姿になっているものの、2017年にはまだ立派な幹の木が立っています。No.46は2017年にすでに植え替え済みです。

■経営主体の変化
ドヤや店舗の経営主体の変化も見られます。No.58は「安い屋」という大衆食堂でしたが、2017年は「カラオケ春香」、現在は「華」という居酒屋です(「文龍商事」という不動産屋の看板もあります)。No.59は1994年は「伊加利屋」という日用品店だったのが、2017年にはベトナム料理屋になり、現在は「RHOSTEL NAMBASOUTH」という外国人向けのホテルになっています。No.10の「DOYANEN HOTELS」も観光客向けのチェーンのようです。

■街の方に教えていただくこと
No.46の奥に写った建物の1階は1994年、2017年は「麻雀クラブ旅立」でしたが、今はシャッターが降り、建物はやはり観光客向けのホテルになっているようです。この麻雀屋の秘密のエピソードを通りすがりの方に教えていただきました。
定点観測をしているといろんなことを親切に教えていただけます。見かけたらお声かけいただくとうれしいです。
2026年5月14日(木)夜回り・階級闘争としての生活保護
先週日曜日の寄り合いは五月晴れのもとで行うことができました。メインのおかずは油淋鶏(ユーリンチー)でした。トマトときゅうりのごま和えサラダ、かぼちゃのお焼きといつもの炊き込みご飯と、ちょっと多いかなというくらい持って行ったのですが、余さず食べてもらえてよかったです。
最近『行動する失業者』という本を読みはじめました。先月の「センターの日」をやっていて、「今の釜ヶ崎では生活保護受給者を運動の中心に含めないといけないのではないか」と思いました。生活保護受給者というと「国の世話になっている」という負い目を本人が抱いていたり、「税金で楽に暮らしやがって」と他人からやっかまれたりします。
しかし、生活保護を受ける前はみんな働いていたり、働こうにも働ける仕事がなかったりする人たちであるはずです。例えばギリギリまで野宿生活で生き抜く人たちは何にこだわっているのでしょうか。その理由を問う必要はありません。それは本人が引き受けていることだからです。そのこだわりが生活保護を受けると失われてしまうように感じている人もいるし、実際何かが失われているのかもしれません。しかし、それは本人のせいでも、生活保護を受けるという選択のせいでもなく、この社会での生活保護という制度のあり方のせいなのだと気づきました。
釜ヶ崎の日雇い労働者も、野宿者も、生活保護受給者も、同じ人の異なる時期の状態だとすれば、それは一つのの階級と考えるべきです。階級とは、自分たちの利益をあげるために不当なことをする側とされる側の問題に光を当てるために考えられたものの見方です。
フランスでの出来事を取り上げた『行動する失業者』はこういうことを問題にしている本ではないかと思って読みはじめたら、やはりそうでした。読み終えたらまた話題にしたいと思います。