大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2024年5月18日(土)第77回「センターの日」——路上から世界へと発信

「中島写真を読み解く」シリーズについて

 昨年末より、「センターの日」のビラで、五回にわたって「中島写真を読み解く」シリーズを書いてきました。六年もやっているうちに「センターの日」も煮詰まってしまった感があり、ビラにきれいごとを書くのもうんざりしていました。そこで、中島写真について考察することを通して、釜ヶ崎とのかかわりを新たに模索しようとしたものでした。

 そうして、中島写真を読み解いていくための入り口を作ることができたのではないかと思います。しかし、この先に話を進めるためには、全体像を把握したうえで、テーマを設けながら整理していく必要があります。月に一回ビラを書くタイミングで済ませられる作業ではないので、このシリーズはいったん休止することにしました。

路上からの発信

 四月の「センターの日」では、「センターの日」特別編集として、『釜ヶ崎の現在』という冊子を作成しました。

 「センターの日」をしていると、観光客や釜ヶ崎に興味を持って訪れたという人が通りすぎたり、足をとめたりといったことがあります。「センターの日」はもともとセンターを利用する人たちとおしゃべりする場を作りたいという目的ではじめたものでしたが、そうした初期の目的はもはや満たされ、「センターの日」自体が当たり前になっています。

 そこで、釜ヶ崎のこと、まちづくりのこと、ジェントリフィケーションなど、外向けの発信も考えてもいいのかなと、今さらながら思いました。また、そのような発信はマスメディアやインターネットを通じたものではなく、センターや公園、路上のように、公共の場所でありながら、そこで暮らす人たちにとって固有の意味を持っている場所で、手軽に読める紙媒体を提供するのが良いのではないかと考えました。

釜ヶ崎の下暗し?

 やってみて気づいたのは、釜ヶ崎の街で暮らしている人たちも、実は釜ヶ崎のことを知っているわけではないということでした。この街に来てまだ日が浅いという人から、閉鎖されたセンターについて「この建物は何なんですか?」と訊かれました。他にも何人か興味を持ってくれた人に冊子をお渡ししました。

 すぐそばにあるのに知らないこと、生活感覚では知っているけど、きちんと説明しようとするとむずかしいことはあるものです。外向けだけではなく、内側からも必要とされる知識があり、そのような知識が人と人のつながりを作っていく可能性があることに気づきました。

路上文庫レーベル参加のおさそい

 今回の「センターの日」では、『釜ヶ崎の現在』に加えて、『ジェントリフィケーションと公園の商業化』という新しい冊子を用意しました。こういった手軽に読める冊子をどんどん増やして、「路上文庫」とでも言うべきレーベル化ができたら面白いなと思いました。

 「センターの日」では「自分の書いたものも冊子にして欲しい」という持ち込みを歓迎します。写真やイラストでもいいし、「書くのは無理だけど、自分の話も冊子にして欲しい」「こんな冊子が読みたい」という希望もお聞きします。みんなで路上から自分たちのメディアで世界に発信していきましょう。

第77回「センターの日」のお知らせ

「センターの日」とは

 労働者の街として知られる大阪の釜ヶ崎は今、大きな再開発の波にさらされています。2012年に始まった西成特区構想による「まちづくり」も進められています。貧困層の追い出しをともなうジェントリフィケーションであるとの批判もあります。

 地域住民と行政が協同して地域を良くしようと努力しているとの主張がある一方、これまでと変わらない強制排除が幾度となく繰り返されています。真実はいったいどこにあるのでしょうか?

 労働者の街である釜ヶ崎に、あいりん総合センターという施設があります。センターは釜ヶ崎の中核とも言える場所です。このセンターの建て替え、閉鎖、仮移転がまちづくりの会議の中で決定しました。

 釜ヶ崎で何が起きているのか、私たちは何かできることはないのか、私たちは何を知るべきなのか。一から考えるために、私たちは2017年11月から月に一回、第三土曜日に釜ヶ崎のセンターで労働者の声を聞く取り組み、「センターの日」をはじめました。

場所・日時のご案内

 JR新今宮駅西口から地上に出て、国道の向かいのあいりん総合センター北西側の団結小屋周辺か高架下の駐輪場付近で、2024年5月18日(土)14時から16時に実施します(基本的に毎月第三土曜日)。

これまでの「センターの日」

 これまでの報告はこちらです。

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回 第21回 第22回 第23回 第24回(中止) 第24回 第25回 第26回 第27回 第28回 第29回 第30回 第31回 第32回 第33回 第34回 第35回 第36回 第37回 第38回 第39回 第40回 第41回 第42回 第43回 第44回 第45回 第46回 第47回 第48回 第49回 第50回 第52回 第53回 第54回 第55回 第56・57回 第58回 第59回 第60回 第61回 第62回 第63回 第64回 第65回 第66回 第67回 第68回 第69回 第70回 第71回 第72回 第73回 第74回 第75回 第77回 

2024年5月9日(木)夜回り・快適な場所を求めて

 ゴールデンウィーク後半は二日に分けて、原付で奈良と和歌山へ行ってきました。どこか落ち着けるところを探して読書したいと思ったのですが、あてもなく初めて行く場所だったので、そんな過ごし方はできませんでした。

 目的地もなく走ることもできないので、初日の目的地はとりあえず橿原神宮にしました。最初にいいなと思ったのは、柏原市役所前あたりの大和川の河川敷でした。そこを通過して山道に入ると少し混んでいました。

 橿原神宮そのものはあまり楽しくなかったのですが、森を抜けて向かう道筋は快適でした。その道すがら「水平社博物館」の案内を見かけたので、寄り道してみました。水平社の運動が現在の御所市の岩崎村からはじまったということで、その歴史が展示されていました。初期のビラや冊子などをみて、まだ先行きもしれない段階での手探りの熱気が感じられました。こんなふうにしていずれ史料として残されていくのでしょう。

 二日目の目的地は、遠くから見かけるだけだった富田林市のPLの塔に行ってみました。あまり面白くはありませんでしたが、周辺はゴルフ場だったり、病院やログハウスがあり、塔の手前は砂利が敷き詰められた広場で、入り口まで幅の広い階段が長々と続いていて、不思議な世界に入り込んだようでした。

 正直、原付で走っていてもあまり面白くなかったので、橋本市側から岩出市まで行ってみることにしました。これも失敗で、仮の目的地にしたラーメン屋は昼休憩で開いていなかったし、紀ノ川沿いの道も短調で面白みがありませんでした。

 どちらのルートも、古くから人が住んでいて、徐々に発展したのであろう場所、昔のままなのだろう場所があり、新興住宅地として開発された地域もありました。都市部に通って仕事をして、帰宅したらひたすら休むだけなら、山の中の新興住宅地は快適そうにも思えました。

 しかし、2日かけて東へ南へ行ってみて、なかなか快適な場所というのはないものだなというのが実感でした。また、どんなところが快適なのか、快適な場所がどこにあるのかは、いろんなところに行ってみなければわからないものなのだろうなとも思いました。

 今月の寄り合いは5月12日(日)を予定しています。近隣から遠方まで、みなさんが見つけたお気に入りのスポットを教えて下さい。

2024年4月25日(木)夜回り・移動することのあれこれ

 この4月から大阪市から京都市に通勤する生活をはじめました。大阪市内はもとより、京阪神にはさまざまな公共交通機関があります。京都に行くにも、JRもあれば、阪急もあり、京阪もあります。

 最初、単純に所要時間が短いという理由でJR京都線を利用していたのですが、行きも帰りも、どんな時間帯でもまったく座れません。「阪急は始発だから座れる」というアドバイスをもらって、多少時間はかかっても阪急で行くことにしました。

 しかし、阪急も始発でなければ座れませんでした。四条烏丸で地下鉄に乗り換えだと帰りは座れない可能性が高いので、京都側の始発である京都河原町まで一駅戻ることにしました。

 乗り換えをスムーズにするために、乗り換え口に近い階段に合わせて乗車位置の調整を試みるのですが、そもそも人が多いので移動するだけでストレスです。「ここを抜けていけば少しでも効率的なのではないか」と抜け道を探すのですが、いちいち計算してそれに従うこと自体に疲れてきました。

 野宿生活にも移動はつきものだと思います。考えてみれば、夜回りも移動そのものです。よろずの夜回りが何か付加価値を生むことにつながればうれしいです。

2024年4月20日(土)第76回「センターの日」——中島写真を読み解く⑤——日常の視界

 前回(第4回)書いたように、今回は「記録の力」を引き出すために中島さんがやっていることの内実を掘り下げていきたいと思います。

撮りためる、撮り続けるということ

 「記録の力」の前提になるのは、まず撮りためることであり、撮り続けることだと思います。これは、日常の中で撮ることであり、撮ることを日常としているということです。また、決して事件や出来事を探して撮るのではなく、日常を撮ることでもあります。

 第2回で、中島さんの写真は「釜ヶ崎の外の人たち、釜ヶ崎の外の社会に向けて、「釜ヶ崎らしさ」を伝えようとしたものである」のではないかと書きました。また、第1回目では、「中島さんの写真は直感的に撮られたものというより、自分の中でイメージをすり合わせながら理解を深めていく過程であり、その結果として形になっている」のではないかと書きました。これらは最初期の1972年に撮られた写真を見ながら考えたことです。

 1冊目の『ドヤ街』(1986年)には、この時期の写真も含まれています。この写真集の主題となるのは、ドヤの個室での労働者の暮らしぶりを収めたポートレートで、これらはある時期に集中的に撮りためられています。このポートレートの集合によって、それまでの写真に釜ヶ崎の背景をなす役割を持たせることができたのでしょう。

二つの「記録の力」

 中島写真には少なくとも二つの「記録の力」があることになります。ドヤ暮らしのポートレートのように、テーマをしぼって比較可能な形にすることで生み出された第一の力があり、第一の力によって、日常の中で撮りため、撮り続けられた写真に対して、背景としての意味を引き出す第二の力が生まれてくるのです。

 『定点観測 釜ヶ崎』では、その記録の力は、自分以外の誰かが撮った写真にまで拡張されていることになります。このアイデアも、釜ヶ崎の中の日常の風景を日常の中で撮り続けている中島さんだからこそ、形になったもののように思われます。

 第3回で「中島さんの写真は、1枚1枚取り出して観るものではなく、何か設定された軸があって、その軸に沿って蓄積される「記録の力」を活かすのが基本戦略なのでしょう」と書きました。『定点観測 釜ヶ崎』では、誰かが撮った写真に重ね合わせた現在の風景を撮っているわけですから、中島敏の個性が入り込む余地はありません。しかし、そうやって自分の個性を消すところでしか撮りえないものを撮っていることになります。

三つめの「記録の力」

 井上青龍を筆頭に、1枚1枚の写真にインパクトのある写真家はたくさんいます。中島写真を1枚1枚見ているだけでは、そういった迫ってくる個性は弱いように思われます。しかし、それは無個性ではなく、それこそが中島敏の個性といっても良いように思います。

 写真だけでなく、文書記録も作品世界に織り込んでいくところも特徴的です。しかし、文書記録もまた、記録の力を帯びた写真によって、引き寄せられたものです。これは中島写真第三の「記録の力」と言ってもいいかもしれません。

 『ドヤ街』に転載された新聞記事も、カメラで撮られた写真として収められています。これは、中島写真は私たちが目にする日常の視界そのものであり、中島さんが世界と向き合う姿勢の現れと読み解くことができるかもしれません。

第76回「センターの日」のお知らせ

「センターの日」とは

 労働者の街として知られる大阪の釜ヶ崎は今、大きな再開発の波にさらされています。2012年に始まった西成特区構想による「まちづくり」も進められています。貧困層の追い出しをともなうジェントリフィケーションであるとの批判もあります。

 地域住民と行政が協同して地域を良くしようと努力しているとの主張がある一方、これまでと変わらない強制排除が幾度となく繰り返されています。真実はいったいどこにあるのでしょうか?

 労働者の街である釜ヶ崎に、あいりん総合センターという施設があります。センターは釜ヶ崎の中核とも言える場所です。このセンターの建て替え、閉鎖、仮移転がまちづくりの会議の中で決定しました。

 釜ヶ崎で何が起きているのか、私たちは何かできることはないのか、私たちは何を知るべきなのか。一から考えるために、私たちは2017年11月から月に一回、第三土曜日に釜ヶ崎のセンターで労働者の声を聞く取り組み、「センターの日」をはじめました。

場所・日時のご案内

 JR新今宮駅西口から地上に出て、国道の向かいのあいりん総合センター北西側の団結小屋周辺か高架下の駐輪場付近で、2024年4月20日(土)14時から16時に実施します(基本的に毎月第三土曜日)。

これまでの「センターの日」

 これまでの報告はこちらです。

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回 第21回 第22回 第23回 第24回(中止) 第24回 第25回 第26回 第27回 第28回 第29回 第30回 第31回 第32回 第33回 第34回 第35回 第36回 第37回 第38回 第39回 第40回 第41回 第42回 第43回 第44回 第45回 第46回 第47回 第48回 第49回 第50回 第52回 第53回 第54回 第55回 第56・57回 第58回 第59回 第60回 第61回 第62回 第63回 第64回 第65回 第66回 第67回 第68回 第69回 第70回 第71回 第72回 第73回 第74回 第75回 

2024年4月11日(木)夜回り・助ける助けられる場面を持つこと

 ようやく暖かくなってきて、ああ、やはり今年も夏は来るんだなと思わされたところで、またぐっと冷えました。夜中に大粒の雨も降り、季節は移るも、移ったなりに大変さがあります。

 困っている人を助けたいと思って、助けられるかどうかは別として、助けようとすることはできます。しかし、困っている人も、ずっと同じように困っているわけではありません。

 また、困っている人を助けようとする人も困っている人かもしれません。そんなわけで、もう前のようには困っていない困っていた人を助ける余力はないということもあるでしょう。

 助けようとして助けられるわけでもないし、助けられる人が常に助けられるというわけでもありません。かかわりが続いていれば、助けたり助けられたりする場面があるのだと思います。

 大切なのはどちらが助ける、助けられるということではなく、そういう場面を持てるかどうかではないでしょうか。