■やさしい街、釜ヶ崎
この古い写真、1970年代、おそらく萩之茶屋駅近くで撮られた一枚です。
この写真が撮られた頃、横浜寿町で一人の労働者がドヤに暮らしていました。そしてその日常を文にしました。
「何もかもまっくらで、、、壁に向かってにらめっこしていました。何となく心がさみしくてしかたなかった」
初めてこの文を知った時の私はまだ若くて、壁とにらめっこの経験もなく、ピンとこない文でした。でもなぜか数十年後の今に至るまでこの文を忘れることはありませんでした。
今は思います。たとえいつかピンとくるようになっても、こんなやさしい文は自分には書けないなあ、と。 この方は1980年代になってまっくらな日々を出て、それまでの自分の姿を私たちに話してくれました。この文を書いて、読み上げて、聴かせてくれました。
半世紀以上前のこの写真を見ていると、撮影した人がこの一枚に託したものが分かる気がしてきます。 思い思いに歩道や公園を我が家とする釜ヶ崎の住人たち。当時のドヤ街に確かにあった、あの、寿町の労働者のたくましい生き様を育むものが、この一枚から透かし見えてくる気がするのです。
私はやさしい人たちが住むこの街釜ヶ崎が好きです。でもこの街では残念なことがよく起きます。街の外からやってきて街の人に嫌がらせをして暴力をふるう人がいたり、街に暮らす人が同じ街の人に暴言を吐いて傷つけたりすることもあります。誰もが誰をも傷つけない街になってほしいと思います。この街はそれができる街だと私は思っています。日本中どこの街ができなくてもこの街はできる、と思っています。
やさしい人はやさしさをひっそりと抱えて生きています。傷つけられても人を責める前に自分を責める。壁とにらめっこしたり、 さみしさのやり場がなく苦しんだりしても、やさしさを手放すことはしません。やさしくしか生きられないので、いつもうつむきかげんで、自分が悪いと感じてしまう。傷つけられても声を上げられない。
私はこの街に住んで、自分を責めながらそれでも自分を大切に生きる人たちを何人も見てきました。月に一度の「センターの日」もそんな人たちとの出会いの時間です。
■定点観測釜ヶ崎——北西側をぐるっと
7月は『定点観測釜ヶ崎』以外の場所を中島写真をもとに探索してみたのですが、目印となるものが残されていない場合が多く、難航しています。

8月はNo.20、24、30、33、39、43、49の7ヶ所を撮影しました。シェルター前を通過して尼平線に出て、太子筋を南下してションベンガードから銀座通りに戻るというルートでした。

ションベンガードを太子側から撮ったNo.20を見ると、ガード沿いにあった大木だけでなく、手前にあった立派な街路樹も伐採されてしまっていることに気づきます。大きな変化がなさそうな場所でも掲示物に注目すると発見があります。第一次暴動で襲撃された東田派出所跡近くの電柱の広告、2017年はナンキンムシ駆除業者だったのが、現在はバイセップス下寺営業所になっています(No.30)。シェルター前の通りにある、三角屋根が特徴的な「ビジネスホテル弘川」はどうやら外国人観光客向けのホテルとして稼働しているようです(No.39)。囲い屋ができていたり、シャッターが降りたままだったり、特に変化のない場所もありました(No.24、33、43、49)。


