大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年8月18日(土)第10回「センターの日」──現在を表す言葉

 前回に引き続き、かき氷を行いました。お盆を過ぎると嘘のように暑さが和らいだものの、用意した10ブロックの氷すべて使いきりました。練乳缶を用意したにもかかわらず、穴をあける道具を忘れたためにお出しできなかったのが心残りです。

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 今回は、いつも貼り出している1960年代の釜ヶ崎の写真に加えて、1970年代から1990年代当時の運動のビラも壁面展示しました。「わたしの屍体に手を触れるな/おまえたちの手は/死に触れることができない/わたしの屍体は/群衆のなかにまじえて/雨にうたせよ」ではじまる詩には身震いさせられるような凄みを感じました。

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 センターの移転・建て替え、縮小の流れに対して、「自分がまだ若ければ何とかしたい、闘いたい」という声をぽつぽつとお聞きするようになり、労働者のみなさんのなかには闘争の経験と記憶が生きていることに気づかされました。暴力手配師追放闘争が行われ、1998年には夜間開放が行われていたことを思えば、センターは今も昔も労働者のための場所であり、労働者が勝ち取ってきた空間であることがわかります。

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 センターにはさまざまな人たちが集まっています。1階と3階を比べてみてもそのことを感じます。生活保護も受けず、特掃も利用せずにシェルターに泊まったり、野宿したりという人もいれば、今は生活保護を受けながら、昔の仲間に会うためにセンターを訪れるという人もいます。センターはすべての人を受け入れて何らかの恩恵をもたらすといえば話としてはまとまりが良いものの、現実はもっと複雑なはずです。がんばった人ほど、自分を律するために握りしめていた規範で自縄自縛に陥ってしまうのではないかと気がかりになりました。

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 「センターなくなったら困る」という直接的な声もあれば、「センターなくなるのは仕方ない。自分はどこでもやっていけるけど、そうでない人もいる」、あるいは「先のことはわからないからギリギリまでいると思う」といったもう少し踏み込んだ声も聞いています。そのようにさまざまな思いや考えを口にしながら、今なおセンターにいること自体が一つの意思表示になっていると感じます。

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 「やられたらやりかえせ」「黙って野たれ死ぬな」に代わる、現在を表す言葉が口をついて出る場所があるとしたら、釜ヶ崎ではまちがいなくこのセンターではないでしょうか。

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