大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2025年3月15日(木)第84回「センターの日」——一人ではおかしな人でも

一人ではおかしな人でも

 今月のビラを書こうとして、前回何を書いたのかまったく思い出せなかったので、探して読み直しました。なるほど先月はこういう心持ちだったなと思い出して納得するとともに、ちょっと不思議な感じもしました。

 路上で「センターの日」をやるのはもう2回目だったとはいえ、やはりまだ緊張感があったのだと思います。一人路上でホットケーキをつくる段取りをしている姿は、ちょっと頭がおかしい人なんじゃないかと、われながら思います。

 しかし、路上でやっているほうが人通りは多いし、ちょっと変でも立ち寄ってくれる人とお話しするシチュエーションのほうが面白さがあります。おかしなことを一人でやっていればおかしな人ですが、誰か加わってくれればそこに価値が生まれるわけです。

公開性と継続性と参加の原則

 労働市場における位置付けや、政治行政のあり方や街並みは変わっていっていても、あいかわらず釜ヶ崎は路上に価値が生まれる場所なのだと思います。

 朝早く銀座通りを歩けば、「炊き出し屋」のテーブルについてうどんを待っている人の姿があります。土曜日に三角公園に行けば、薪を燃やして炊き出しをする風景が見られます。建設会社の事務所は通りに面して門戸を開いており、道路と地続きです。四角公園が工事中でも、時間になればおにぎりを配っておられるという話も聞きました。

 釜ヶ崎では、よその街とはまったく違った意味で、路上や公園が社交の場所です。もっとも、それは一人一人の生活の場であるドヤの一室が狭すぎるからだったり、シェルターやケアセンターで過ごしたり、野宿生活を送っているがゆえであり、望んでそうしているわけではないのだと言われれば、もちろんそうなのでしょう。

 しかし、強いられたことであったり、必ずしも望んでいることではなかったとしても、公開性を持っているということ、つまり結果としてであれ、オープンになっていること自体が生み出す価値に嘘があるわけではありません。

 また、それが続けられていることもまた、一人一人の努力によるものではないでしょうか。私たちは生きているのですから、そこに根強くいるだけでも世界に働きかけているはずです。

 一つ一つは小さなことでも、一人一人がそうやって釜ヶ崎の街をつくりだしている事実は決して小さなことではありません。何が何やらわからないままであれ、7年以上続いている「センターの日」も、この街の一部のような顔をしてもいいのかもしれません。そして、そんな「センターの日」を成立させているのは立ち寄っていってくれるみなさんのおかげであることが「センターの日」の本質です。