9月の「センターの日」のあらまし
センターで野宿している方から新型コロナウィルスの感染者が出たということで、どうしようかと迷ったのですが、消毒を徹底して、飛沫予防のついたてを用意した上で、焼肉用コンロで熟成させた豚肉とおもちを焼いて提供しました。
映画は「ゼイリブ(THEY LIVE)」という1980年代にアメリカで大ヒットした作品を観たのですが、日差しでモニターが見づらく、みんなでコンロを囲むこともできないので、じっくり楽しめなかったと思います。
ビラをまいているときに、マグロ漁船で働いていたことがあるというお話を聞きました。パナマ運河を通過して、まずスペインに寄港し、アフリカ大陸沿いを回るのだそうです。獲れたマグロを引き取りに来る専用の船があるとか、面白いお話でした。
終わりかけに、若い労働者の方が立ち寄られました。困っている時に団結小屋の世話になったので、残して欲しい、応援していると言っておられました。
長居公園テント村の記憶
先日、2007年2月5日の長居公園のテント村の行政代執行の記録を読み直していました(『それでもつながりはつづく 長居公園テント村 行政代執行の記録』ビレッジプレス、2007年)。
長居公園のテント村は、収穫した野菜の路上販売をやったり、お祭りをやったりして、開かれたテント村として知られており、地域の住民や遊びに来る若者たちの姿がありました。
代執行の当日、テント村住人と若者たちで、強制撤去に対する思いを表現する芝居がテント場で上演されました。そんな芝居ができたこと自体、テント村で育まれた人間関係のたまものだったでしょう。しかし、そうした蓄積も行政代執行を止めることはできず、その記憶は忘れ去られようとしています。
その頃に比べて野宿している人の数は減ったけど、生活に困窮する人の数が減ったわけではありません。数が多いとか少ないとかではなく、いかなる意味でも排除に反対することをやめてはいけないし、今この時、この場所でも、それは変わりません。できるだけ多くの人にそのことに気づいてもらって、力を貸してもらいたいと思います。