大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2021年2月20日(土)第39回「センターの日」——●●さんについて

●●さんについて

 彼と出会ったのは2017年の11月、難波宮跡公園で、大阪城公園よろず相談の夜回りの時でした。その数ヶ月後、2018年7月に「センターの日」の声かけをしていてセンター3階で再会しました。

 「前にあなたと会ったことがあると思う」と言われ、釜ヶ崎で会ったのでなければ、よろずの夜回りの時ということになるけど……と考えていて、「あっ、●●さんですか!」と思い当たりました。彼は「あちゃ〜」という顔をして「わしどこにも行けんようになるな」と、となりの友だちと笑っていました。
 1日2冊のペースで本を読むと言っていた彼は、「センターの日」で古本を配布していた時は「すごく助かってます」と喜んでおられました。

 センター閉鎖後は「必要な人に分けてあげて下さい」と、衣料品や雑貨をたびたび提供して下さいました。ややこしいから運動にはかかわらないと言いながら、「俺たちはどこでも生きていける」とうそぶく仲の良い友だちと一緒に、「私らは最後まで居座るつもりです」と言っていました。

 彼が亡くなったらしいことを2月の「センターの日」の前日に知り、お供え物として彼が「大好物だ」と言っていた週刊誌と花を買っていきました。すごく悲しいことが起きたはずなのに、悲しみ方が分からず、どこか白々しいことをしている気持ちでした。●●さんと親しかったお隣さんに話しかけて、彼が「来てくれてありがとう」と繰り返し言って、ボロボロ涙を流すのに接してもらい泣きをしました。

f:id:asitanorojo:20210316220529j:plain

悲しみのありか

 建て替えの計画を前に閉鎖、排除が刻一刻と迫るセンターで、何かができないかと模索して、私たちは2017年11月から「センターの日」をはじめました。どんな展開になろうとも、立場は違えど、センターに集まる人びとと同じものと向き合って、やるべきこと、できることを探し続けるつもりで「センターの日」をやってきました。

 しかし、「最後まで居座ろうと思う」と腹をくくっていた彼が、その最後の日を迎えることは、もうありません。死の間際はとても弱っていて、それでも救急搬送を拒んでいたと聞きました。

 「●●さんに生きていて欲しかった」——そう思うことは、十分すぎるほど苦しんで亡くなった彼に、なお苦しみを強いることを意味するだけなのかもしれません。また、彼は自分の苦しみや抗いがついに報われる日など決して来ないと理解していたのかもしれません。このように考えていて、ようやく自分の悲しみがどこにあるのかを突き止められた気がしました。

f:id:asitanorojo:20210316220446j:plain

残されたもの

 彼の苦しみ、彼の抗いは、たとえ決して報われなかったのだとしても、何も残さなかったわけではありません。苦しみを苦しみのままにして、彼の抗いが見えていながら、手が届かないまま終わらせてしまった悔いが私たちの中に残されています。

 彼が抗っていた状況は何一つ変わっていません。野宿生活を送る仲間が、本当は悔しい思いを抱えて暮らしているのに、それを口にできないのは、その言葉を聞ける人間がいないからです。みんな、一人ひとりが同じ思いを胸に秘めて、孤独に闘っているのだと思います。

 孤独な闘いを孤独なままに終わらせないために、私たちが、その一人ひとりと出会い、関係を作りながら、理解を深め、自然と集える場所を作って、その思いをみんなが当たり前に口にできるようにしなければなりません。そうやって、私たちは私たちの世界を変えていきましょう。

 f:id:asitanorojo:20210316220405j:plain