大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2023年2月18日(土)第63回「センターの日」——たどり着けない未来

1月の「センターの日」のあらまし

 1月の「センターの日」は寒さのせいか、事前告知を怠っているせいか、立ち寄っていかれた人は数えるほどでしたが、炭火を囲んでゆっくりお話しすることができました。

 ビッグイシューの販売員を10年ほどしていたという方の話もお聞きしました。「寿で長いこといて、大阪には4年いる。大阪が一番住みやすい。最近、関東から大阪に移ってくる人が多いよ」とおっしゃっていました。実際に移住者が増えているのかどうかはともかく、住み心地については実感のこもった言葉なのだと思います。

 センターで野宿している方から、もらいものだというチョコレートやお菓子の差し入れもいただいて、思いのほか、ぜいたくな寄り合いになりました。団結小屋からは間引き野菜らしいカブもおすそ分けいただいたので、炭火であぶって食べました。

 木津卸売市場の銭湯に行ってきたという男性は、月に15日は田舎で過ごして、残り半分は釜ヶ崎で過ごすのだと言っていました。東京の盛り場についてのおしゃべりにも花が咲きました。「ああいうところは残さんとあかんよ。ここも残さんとあかん。でも残らんやろうなあ、このままだと」。

 映画は007の2作目を観ました。まるで自傷行為のように危険に身を晒し、危機を呼び込むダニエル・クレイグに対して、ショーン・コネリージェームズ・ボンドは鷹揚としています。

たどり着けない未来

 2月の半ばといえば、また彼の命日がやってくるのだなと思い出します。この2年の間にも少しずつ変化が降り積もっていることも意識されます。まだ見ぬ、誰も知りえないにもかかわらず、いずれは突きつけられるものとして月日は過ぎ去っていきます。

 『ゲド戦記』というファンタジー小説の作者として知られるアーシュラ・K・ル=グウィンは言っています。

 けれども未来を「征服する」ことは不可能です。なぜって未来に到達するなんて私たちにはできっこないからです。未来とは時空連続体の一部であり——肉体的にも通常の意識の状態からいっても——私たちはそこから排除されているのです。私たちには未来を見ることさえできません。肩越しにほんのちらりと垣間見ることを除いては。[アーシュラ・K・ル=グウィン『世界の果てでダンス ル=グウィン評論集』白水社、1997年、「サイエンス・フィクションと未来」、p.234]

 私はみなさんが決して犠牲者になることなどないように望みますが、他の人々に対して権力を振るうこともありませんように。そして、みなさんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、暗がりに包まれたりしたとき、暗闇こそあなたの国、あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、しかし未来が存在するところなのです。どうして私たちは祝福を求めて天を仰いだりしたのでしょう——周囲や足下を見るのではなく? 私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。ぐるぐる旋回するスパイの目や兵器でいっぱいの空にではなく、私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。上からではなく下から。目をくらませる明りの中ではなく栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。[同書、「左ききの卒業式祝辞」、p.198]

 決して未来にはたどり着けませんが、毎月第三土曜日は「センターの日」です。