◼第1期から第3期
8月はお休みをいただいて、2か月ぶりの「センターの日」です。2017年11月からはじめた「センターの日」ですが、今回を含めてあと3回で終わりにしようと考えています。
ちょっと前に「センターの日」の第1期、第2期、第3期という話を書きました。センターが閉鎖される前、閉鎖された後、敷地内から完全に閉め出された後の3つの時期を便宜的に分けました。第1期は1年半ほど、第2期が5年、第3期が10か月ほどでしょうか。
まちづくりが進むなかで、センターを利用して来た人たちが無視されたまま建て替えが決められてしまっているのではないか。そのような問題意識から釜ヶ崎の外で活動する野宿者支援団体の連合で、センターを利用する人たちの声を聞こうと考えてはじめたのが「センターの日」でした。
◼まとまれないジレンマ
今思えば第1期のうちに労働者の声をまとめて問題提起する行動があってもよかったと思います。現役の労働者、特掃労働者、生活保護受給者、野宿者など、誰もがそうなってもおかしくない立場であるにもかかわらず、相互に距離を置いたり、遠慮せざるをえないような状況に陥っていることは、この時にはすでに見えていました。同じ境遇を共有しているにもかかわらず、一つにまとまれないジレンマがありました。
一つにまとまれないジレンマは支援者の側も抱えていたように思います。センターの占拠に発した釜ヶ崎センター開放行動とそれに先立って活動していた「センターの日」とはうまく接合されませんでした。原因はそもそもの出発点や考え方の違いもあれば、個人的な人間関係であったり、運動全般の足腰の弱さといったことも関係していると思います。
◼見出して来たもの
運動としてふりかえってみると、この8年を無為に過ごして来たような気持ちになります。一方で、「センターの日」を続けて来たことでいろんなことを理解して来たことにも気付かされます。やる方は毎回試行錯誤で実は気が重かった「センターの日」でも、気に入って入り浸ってくれた人は一人二人ではないし、ちょっと他ではないような出来事があったり、それなりの楽しさや、熱狂も時にはありました。
路上や公園であっても、仲間で共有できる価値を見つけ出し、それを実現する関係と場所(言うなればコモンズ)を絶え間なく作り出しているのが釜ヶ崎という街なのだと思います。その中でもセンターはやはり中核的なものだったし、唯一無二の施設だったのだと思います。それはセンター閉鎖後でもそうだったのだということを、完全に閉め出された第3期になってよく感じさせられます。
◼コモンズのゆくえ
人がいなければコモンズは成り立たないし、そこにどのような価値があり、どこがコモンズになるかはあらかじめ定まっているわけではありません。だからこそ、すでにあるものをよく理解し、守る気でなければ守れません。これから釜ヶ崎の街のコモンズはますます損なわれていくでしょう。それでも小さくとも生まれ続けてもいくのだと思います。
本当は「センターの日」は続けるべきなのかもしれません。しかし、そういったものを個人で担うには8年の歳月はあまりに長すぎました。