大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2024年1月20日(土)第73回「センターの日」——中島写真を読み解く②——「釜ヶ崎らしさ」を伝えるもの

前回のかんちがい

 前回、書き終えたあとに気づいた大きなかんちがいについて書いておきます。「フィルムに収められた写真は撮られた順番に並んでいる」のはその通りだと思うのですが、執筆時に確認したのはフィルムそのものではなく、写真の縮小版を一覧にしたコンタクトシートでした。そして、コンタクトシートの並びは撮られた順番ではなかったようです。

 また、中島さんは、コストカットのために長巻のフィルムを切って、パトローネ(カメラにセットする際の専用のケース)に入れて撮影していたと聞きました。これで35枚分くらいのフィルムになり、大体5〜6枚ずつを6つのピースに切って現像するもののようです。したがって、ピース内ではおそらく連続していても、ピースとピースのつながりは一つ一つ確認していかないといけないし、厳密には分からないかもしれません。

 そのようなわけで、写真の並び順から撮影した時の順路や状況を推測していこうというアイデアそのものが的外れだったのでした。

2冊目、2つ目のコンタクトシート

 気を取り直して、今回は前回の続きで、電子化が完成している2冊目の次のコンタクトシートを見ていきたいと思います。このコンタクトシートには36枚の写真が収められています。

 このシートで目立つのは、路上で横になって寝ていると思われる男性の姿です。倉庫のシャッターの前に身体をくの字に曲げて横になっている男性、商店のシャッターの前に布団を敷いて寝ている男性が1枚ずつ、それから車道のほとんど真ん中で横になって寝ている男性の後ろ姿が5枚も撮られています。

 次に救霊会館を写したものが8枚あります。十字架が二つ並んでいる建物の外観を写したものが4枚、「福音伝道会 午后7時半より」という立て看板のある建物入り口の階段に座り込んでいる男性の写真が4枚あります。

 「西成朝鮮初中級学校 附属幼稚園」と車体に書かれたマイクロバスの写真が3枚あります。車内に子どもたちの姿があるところを見ると、送迎の最中に通りかかったのを撮影したのでしょう。

 滑り台と砂場のある公園を同じ角度から写した写真が5枚、小中学生くらいの子どもたちが群がって遊んでいます。その他、「日劇会館」「新世界東映」「日劇OPK」で上映中の映画のポスター掲示板の写真が1枚、そして、前回もあった公園で新聞を読む男性(4枚)、ガード前の商店(2枚)などもあります。

 もう一つのまとまりとして、「合葬之碑」の周りの草刈りか何かをしている風景、少し傾いた「無縁者合葬」と彫られた碑の周りは石材が散乱し、雑草が伸びています。表面がてかっている仏像と「大阪市南霊園五十八ヶ所無縁仏八万四千二十七躰霊」などと書かれた位牌(2枚)、「飛田墓地 無縁塔」の石碑の祠(2枚)があります。

作品集に向けて

 これらの写真のコンタクトシートには、赤いペンで印がつけられているものもあります。おそらく、中島さんの1冊目の写真集『ドヤ街』の刊行につながる作品を撮りため、整理していたのでしょう。この写真集の刊行が1986年、前回と今回の写真が撮られたのが1972年であることを考えると、ずいぶん長い時間をかけて積み上げられた成果であることに気づかされます。そして、撮られた写真は、釜ヶ崎の外の人たち、釜ヶ崎の外の社会に向けて、「釜ヶ崎らしさ」を伝えようとしたものであるということになるでしょう。