大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2024年6月15日(土)第78回「センターの日」——調整弁の現在

 「釜ヶ崎を見れば世界が見える」と言われた時代があったようです。それは産業構造の末端に位置付けられ、景気の調整弁として利用される寄せ場の求人動向が、世界情勢をもっともクリアに反映していたがゆえだったのでしょう。

 では現在の釜ヶ崎はどうでしょう。日雇い求人が減少し、寄せ場労務手配の手段として時代遅れなものになってしまったと言われます。携帯電話やスマートフォンが老若男女一人一人に行きわたり、インターネットで行われる情報のやりとりにおきかえられたというわけです。

 しかし、これは本当なのでしょうか。たしかに情報技術に支えられた労務手配は多種多様な広がりを見せているようです。かつては大都市の一区画に労働力をプールする拠点が必要であったが、そのような固有の場所が要らなくなったのだというわけです。このように考えると、変化したのは労務手配や労務管理の仕組みであり、寄せ場が時代遅れになって切り捨てられたことになります。

 ここに錯覚があるのではないでしょうか。変化したのは労務手配の仕組みではなく、労働そのものだと考えるべきです。もっと言えば、国民国家を一つの単位とする日本社会の経済発展が限界に達したのだと思います。

 かつては寄せ場にプールした労働力をどんぶり勘定で利用していても利益の出る使い道があったのでしょう。しかし、すでにそのようなお手軽な投資先はなくなり、なんとか稼げそうな口を見つけては、そこに合うような労働力を「マッチング」するしかなくなっているのだと思います。

 1990年代から2000年代にかけて都市にあふれかえっていた野宿者の姿が現在見られなくなったのは、生活保護によって路上からすくいあげられたためです。もはや「マッチング」しようにも当てがう先のない「元」労働力は、せめて福祉サービスの対象として雇用の埋め合わせにし、まだ働ける「若い」労働力は、福祉を入り口として就労支援に継ぎ合わされ、労働市場への送り出しを待つ産業予備軍となります。釜ヶ崎内外に乱立する「作業所」はその現れでしょう。これらは労働力の「マッチング」システムの一つであり、現在の日本の経済状況に合わせて作られた雇用の調整弁になっているのです。つまり、相変わらず釜ヶ崎は「末端の調整弁」として利用され続けているし、過去のものとなったわけでもないのです。

 このような状況下で、ただ「包摂するまち」を目指すだけでは、調整弁の再生産になってしまいます。結果として、資本主義の仕組みによる収奪に抗おうとしているのは、現役の野宿者と、ろくでなしぞろいの「反排除の連中」だけになってしまいます。

 釜ヶ崎の「にぎわい」は釜ヶ崎だからあるもので、呼び込まれたものは「にぎやかし」でしかありません。「にぎやかし」が「にぎわい」に加わることもあるし、もう一つの「にぎわい」になったり、やがて「にぎわい」になり代わることもあるでしょう。

 「センターの日」はただ釜ヶ崎の現在にむきあうものです。現在とは、逃れようとしても逃れられないものであり、当たり前の日常でもあります。それは、「センターの日」がなくても、もともとここにあるものだし、今のところ「まだ無くなっていない」ものです。

 分かれ目がどこにあるのか、自分がどこにいるのかを知らなければ、理想を抱くことは意味をなさなくなることでしょう。