第50回「センターの日」のあらまし
1月の「センターの日」は50回記念として、少し奮発して炭火焼き用の肉を5キログラム用意しました。また、東成フードバンクさんからいただいたアルファ米、のりの佃煮なども提供できました。ごはんがあるとお腹もふくれるし、ゆっくり過ごすことができました。最後には、多めに用意した肉がだぶつくという意外な事態になりました。
いつも顔を出してくださる人が、鏡もちを持ってきてくださいました。そのほか、自分のところで余っている食べ物や、使わずに置いてあるという木炭などを提供していただき、大変助かりました。
ポスターを貼っていると「マイナンバーカードの申請がうまくいかない」という相談を受けました。書類を持って「センターの日」の時間帯に来ていただければ、見てあげられるとお伝えしたのですが、この日は来られませんでした。またいつでもお越しいただければと思います。
この日、またセンターで野宿していた人が亡くなりました。ビラを配りに行ったときはおられなくて、その後、現場検証が行われていたと聞いて、ショックを受けました。
2月5日の集会「釜ヶ崎の外へ」報告
年末年始とお知らせしてきた集会が予定どおり開催されました。いろんな立場の人がそれぞれの関心で参加してくださっていたようです。
排除とは何か、排除に立ち向かうとはどういうことなのかを考えるために、2000年代の野宿者運動の経験から学ぶという趣旨でしたが、聞き手として個人的に感じたのは、15年前の長居公園テント村の強制立ち退きときちんと向き合う機会を持たずにここまで来てしまった帰結としての現在であるということでした。
反排除のなかに、生活をともにする支援と、社会に対して野宿者の存在肯定で答える運動が一致する部分があったのだと思います。しかし、現在では支援と運動が引き裂かれて、バラバラになってしまっています。そして、支援の一つの発展としての包摂の仕組みと、運動の中で抽象化されて残った反排除とが対立におちいっています。
センターや路上での野宿は、生活の場でもありえたかつてのテント村とはあまりに隔たっており、生活をともにする支援、存在肯定としての運動などと言っても、空回りしてしまう厳しさがあります。
この現状をどうにかする道があるとすれば、その入り口は「場所」にあるのだと思います。「問題解決を求めて」あるいは「何が問題なのかを知るために」、「そこへ行けば誰かと会えるから」「退屈しのぎになるから」「いくらか前向きな気持ちになれる」——そのような場所、そのような関係を持てる場所を守り、維持していくことです。
2月の「センターの日」では、いつもの寄り合いをしながら、集会のトークセッションの動画を上映したいと思います。どうぞひやかしにお寄りください。