第14回のあらまし
2018年最後の「センターの日」では、映画上映と横断幕作成を試みました。
映画上映『太陽の墓場』
映画上映は、バッテリーで2時間使えるプロジェクターに携帯式スクリーン、これもまたバッテリー電源で使えるスピーカーを用意して行いました。上映したのは第一次暴動の前年に釜ヶ崎を舞台に制作された『太陽の墓場』でした。
腰を落ち着けて映画を観ていく方もおられたものの、入れ替わり立ち替わりでした。寒さのせいか、1階に人が少なかったこと、16時近くなるとシェルターや炊き出しに並ぶために離れざるを得ないことが影響していたと思われます。
また暗くなるのが早いのも気になりました。そこで「センターの日」の開始時間を次回から冬の間は13時~16時に変更することにしました。
2019年1月の「センターの日」は新世界を舞台とした1996年の映画『ビリケン』が候補に挙がっています。
横断幕作成「青い鳥がここにいる どこに行ったらええねん」
「センターの日」のメッセージを考えてみようと横断幕作成を決めました。初めての試みであり、何を書くか悩んでいる時間が長かったものの、とりあえず完成させることができました。実際に文字を書きはじめると立ち止まって眺める人もおられました。
また、何を書くか検討している時に、コーヒーに並んでいる人たちにメモ帳片手に意見を求めたりもしました。思わぬところに食いついたり、異論があったり、交流のメディアとして楽しめました。
第15回では横断幕を展示するので、ぜひお立ち寄りください。
コーヒーと古本
温かいコーヒーはふだんと変わらずに楽しんでいただけたようです。センターに布教活動で来ている女性が常連になっていて、「ここのコーヒー美味しいわ! 喫茶店より美味しいな!」とみんなに勧めてくださり、笑いを誘っていました。
古本コーナーはあいかわらず人気で、開始直後に毎回来てくださる方もいます。ふと立ち寄って「もらってええの?」とごっそり持っていく人もいました。
追加した分と合わせて3箱あったものが終わる頃には2箱にまとまりました。釜ヶ崎の労働者の知識欲の強さがよくわかります。
「センターの日」のめざすもの
映画上映、横断幕作成、古本コーナーなど、コーヒーを飲みながら、その場にいるだけで楽しめるような時間をセンターに作り出せないかといろいろ試しています。
というのも、労働者にとってセンターとはもともとそういう場所だと思うからです。
新しい公共性とコモンズ論
ひと昔前の「新しい公共性」の議論の登場にともなって、担い手問題の解決策としてコモンズ(共有地)が注目されるようになりました。一方、ジェントリフィケーションを「都市のコモンズ」を拠点として形成する階級闘争として位置付ける議論があります。
コモンズとは、里山や放牧地など、共有されながらも誰の所有にも属さない土地のことを指します。また、資源に余裕があり、そこから得られる利益を分かち合う余裕のあるところに成立する仕組み(ルール)を含むこともあります。
「新しい公共性」という言葉とともに注目されたコモンズの議論は、市民参加を取り入れる際の公有地の管理(ルール)の問題にすり替えられ、人びとに共有されるコモンズがどのような場所であるのかが見落とされてしまいました。
コモンズとは本来「ゆるい共有地」、つまりほどほどに放置されながら共有されていた場所に時間をかけて形成されていった仕組みだったのだと思います。言ってみれば、コモンズとはそもそも不法も合法もないような放置された状態の利用から始まるものです。
野宿生活をする仲間がいる場所は、都市の隙間的な空間であり、河川敷や橋の下のような、これといった使い道の定まっていない空間です。そこを誰かが私用していたとしても、管理の手間に見合うメリットがないために放置されます。ゆえに、持たざる者が「そこそこ放置された空間」を利用する(住み着く)ことで、ようやく人間らしい暮らしを取り戻していく拠点となります。それは時に「不法占拠」と呼ばれます。
「不法占拠」とは「都市のコモンズ」であり、最初から奪われている者が権利を取り戻すための「生きながらの階級闘争」ととらえることができます。
都市のコモンズにおける「センター」
そういう意味では釜ヶ崎自体が都市のコモンズであり、「不法占拠」から発しながら、労働者が奪われた生活の権利を取り戻す場所となっていったのだと考えられます。このような「階級闘争」を通して、夜間シェルターや禁酒の館は、合法的な居場所として獲得されたといっても過言ではありません。
しかし、一つ二つ合法的な居場所を確保したところで、圧倒的な剥奪状況は解消されていません。釜ヶ崎の労働者には未だ都市のコモンズを形成して階級闘争を行う権利があります。都市のコモンズ=「不法占拠」を展開するうえで、センターは占拠のあり方として独特な位置にあるように思われます。
「最初から奪われた者たち」の権利回復は、都市空間に滲み出し、コモンズを構築することで交渉の掛け金を作るところにあります。路上にあっても野宿の仲間は生きるために働いているのはもちろんです。センターにおいては「労働者でありながら野宿せざるをえない」というように、センターにあってはそこにいることが労働者としての権利を主張することと重なってきます。
ジェントリフィケーションと都市のコモンズ
ジェントリフィケーションとは、貧者の追い出しをともなう地域の再開発のことを言います。再開発にかかわる人びとは「貧者にこの場所を奪われてきた」という報復感情を抱いています。
釜ヶ崎は、日本の高度成長期を支えるために政策的に作り変えられた街であり、その頃には日本全国から労働者が集められました。しかし、集まった労働者はただ都合よく使われるのではなく、ここに都市のコモンズを作りだしたのです。
そうしてできた街から、同じ労働者を今度は追い出そうとしている人たちがいます。釜ヶ崎で生きること自体がもともと階級闘争を生きることだったのだとすれば、その階級闘争が今度はジェントリフィケーションという姿で現れてきたというだけの話です。
「センターの日」はセンターに
現センターが閉鎖されたとしても、労働者はどこかに身を置かねばならず、「放置された場所」を見つけて潜り込むはずです。そこがどこになるのかはまだわからないにしても、必ず「そこ」を見出します。
仮移転先のセンター、本移転予定のセンターがどのようなものになったとしても、労働者の置かれた窮状は変わらないし、この闘いは生きることと地続きです。状況がどのように変わろうと、「その場にいるだけで自分たちのものであるような空間を作り出す」ものとして「センターの日」を続けることが、労働者によりそう形を作り出す可能性を私たちは見据えています。
釜ヶ崎の外で野宿者支援に取り組んでいた私たちが「釜ヶ崎回帰」して始めた「センターの日」は、野宿者運動の中で学んだことを寄せ場に返すものでなければいけません。「不法占拠と都市のコモンズ」という視点を、その一つとして提案したいと思います。
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