大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2022年12月17日(土)第61回「センターの日」——『関西公園 Public Blue』の頃

 『関西公園 Public Blue』という映像作品があります。2006年1月30日の大阪城公園靱公園の行政代執行による強制排除を控えたテント村にカメラを向け、ドイツ人の監督が日本の野宿者問題に考察を加えた一本です。2006年当時の、あちこちにテント小屋のある風景や行政代執行当日の様子も収められており、今見ると貴重な映像資料でもあります。

 ウチとソトがどうとか、儒教がどうとか言ったり、丸山眞男やら福沢諭吉やらの言葉が引用されたり、日本文化論っぽい構成もあって、昔はよく分からなかったのですが、何度も見ていると、ああそういう話だったのかと理解できてきました。

 映像の中には、当事者と支援者がデモをしたり、市役所に申し入れ書を提出しにいく場面が出てきます。福沢諭吉は「誰でも自分の意見を言って抗議する権利があるんだよ」という文脈で出てくるのですが、日本社会はいまだにそのような権利がまともに守られていないと。日本の場合、議論を交わす公の(パブリックな)場というものが外国から輸入されたものなので、うまく根付いていないのだろうということです。

 また、公園というのも同じ時期に外国から入ってきた概念です。お寺の境内が公園のように利用されていて、明治維新後は公園に流用されたということもあったようだし、第二次世界大戦の敗戦後に軍事施設が平和利用の名目とともに公園に転用されていきました。お城はもともと武士(軍人)の住居ですから、大阪城公園は陸軍第四師団の拠点だったし、大阪砲兵工廠がありました。靱公園も飛行場の予定地だったので、あんな長細い変な形をしているのです。

 つまり、この作品では公と公園をだぶらせて、抗議行動は無視され、テント村は強制排除される様を日本社会論としてまとめたかったのだとようやく理解できました。また、途中でわりと唐突に釜ヶ崎にスポットが当たり、1990年の暴動のニュース映像も引用されています。暴動も抗議行動と考えれば、やはり抗議行動は無視され、暴力的に鎮圧されるのみであることを、同じ系譜のうえにある現象として位置づけたかったのでしょう。

 労働者の街は勢いを失い、テント村も潰された現在、このような扱いをされる人たちはどこに行ったのでしょうか。きちんと話を聞いてもらえる社会になったのでしょうか。なるほど、釜ヶ崎にもまちづくり会議が作られて久しく経ちます。しかし、その間にも強制排除があったのは何だったのでしょうか。渋谷区の美竹公園では今まさに強制排除が起こっています。話を聞かれる場所と実際に排除が起こる場所とが切り離され、公共空間は、言論の場という意味でも公園という意味でも、ますます狭められ、歪められるようでは、事態は悪化していると言わざるをえないでしょう。