第31回「センターの日」のあらまし
「センターの日」はどこでやるの?
2020年6月20日(土)で「センターの日」は31回を数えました。前日にセンター周辺に告知のポスターを貼っていると「「センターの日」やな。いつやったかな」などと声をかけていただけるのが当たり前のようになってきて、不思議な気持ちになります。そのほか、ポスターを貼っていると「なんかええこと書いとるか?(笑)」と物見高い目線で話しかけられることもあります。「どこでやるんや」と訊かれて、そういえば場所を書いていなかったことに今さらながら気づかされました。
センターの中でやっていたころは、どこでやるかなど、そもそも問題にもなりませんでした。でも、よく考えると、前日に告知ポスターを貼るようになったのはわりと最近のことです。当日お配りしているビラのほかにポスターを貼りはじめたのも、そういえばセンターが閉鎖されてからでした。
「センターの日」はとにかく私たちがセンターに入れてもらって、みなさんに立ち寄ってもらって、センターのことを知ろう、教えてもらおうという考えで始めたものです。毎月第三土曜日の開催というのも「月の真ん中(センター)にやろう」というセンターづくしの日にしたかったからです。
センター閉鎖後の「センターの日」は、センター北西部、南海電鉄側の北側にある「団結小屋」の横のスペースを借りてやっています。
三ヶ月ぶりに復活のバーベキューコンロ
この日は、団結小屋の人が通りすがりの人からカンパでいただいたというみりん干しをさらにカンパしていただいたので、三月の「センターの日」まで毎月登場していたバーベキューコンロを取り出して、炭火焼きにしていただきました。10匹ほどもあった大きなみりん干しは、焼いている先から集まっていた人たちに食べていただきました。
まだまだ炭が余っていたので、ウィンナーやさつまいもも買ってきて焼きました。東京の山谷で長いこと暮らしていたという人が炭火焼きを仕切って下さったのでとても助かりました。この日はさらに鶏むね肉を買ってきてもらえたので、そぎ切りにしたものを塩コショウで焼いて食べました。さらに「参加費や!」と言って牛肉を買ってきてくれる人がいたり、最後には凍ったホルモンのかたまりまで加わって、美味しい匂いが充満していました。
昨年の6月といえばもう結構暑かったし、かき氷をやっていたのですが、今年は炭火焼きバーベキューもまだ楽しめました。7月の「センターの日」からはまたかき氷が楽しめるでしょうか。
映画「少林寺」
映画はジェット・リー(リー・リンチェイ)主演のカンフー映画「少林寺」(1982年)を観ました。最近もカンフーものの映画は作られていますが「少林サッカー」(これももう古い?)のように、ちょっとネタ的にひねったものになっています。この「少林寺」は歴史的な設定を背景に、カンフー・アクションの王道という感じで、観ているだけでワクワクしてきました。
散髪の季節到来
事前のリクエストもあったので、15時頃から散髪をはじめたところ、自分もして欲しいと次々と希望者が現れました。
映画、かき氷、バーベキューコンロ(七輪)と並ぶ「センターの日」の人気コンテンツ、素人散髪の季節が到来したようです。恐れを知らぬ人はぜひお越し下さい。
最近の出来事から
特別定額給付金の要望について
特別定額給付金については有志の団体で引き続き、6月30日には総務省に、7月6日には大阪市に対して要望を提出し、協議の場を持ちました。国も大阪市も、呆れるくらい強固に建前でやり過ごそうとしています。大阪市長は「自立支援センターに住民票を置いて下さい」と記者会見の場で言ったにもかかわらず、自立支援センターを管轄する窓口は「自立支援センターは住民票を置く場所ではありません」などと、正反対のことを言い出すという無茶苦茶な状況です。シェルターに住民票を置けるか置けないかといった話になっています。
二つの都市のコモンズ
1年半くらい前に「都市のコモンズ」について書きました。近年注目されてきているこの言葉をめぐって、二つの立場があります。
一つは「まちづくり」です。「コモンズ」とは、もともと「共有地」とその管理の仕組みを意味する言葉であり、都市においては住民自治の仕組みとして活かしていこうというスタンスです。アメリカでは、指定された地域の不動産所有者から活動費を強制徴収する代わりに、それを財源に地域改善活動を行う住民組織を結成するビジネス改善地区(Business Improvement District)があります。2014年に大阪市では、大阪市エリアマネジメント活動促進条例というものが作られ、これは日本型BIDと言われています。大阪市のこの条例では、活動費を徴収する代わりに、公有地の占拠を許し、収益事業を可能にするものとなっています。よく似たものに2015年からはじまった大阪城パークマネジメント事業があります。これらは言ってみれば「上から作り出された都市のコモンズ」と言えるでしょう。
それに対して「草の根で作り出された都市のコモンズ」もあるはずです。これは、ふだん当たり前のように私たちが行っていることなので、なかなかその存在に気づかれることがありません。コモンズなどという言葉に注目が集まる以前から、私たちが作ってきた、もう一つの「都市のコモンズ」がこれにあたります。
コモンズとは単に場所のことではなく、その場所を利用する人たちが作り出すエネルギーそのものです。「今日は「センターの日」やろ?」と誰かがやってきて、映画や炭火焼き、コーヒーなどの取り組みもあるものの、必ずしも知り合い同士でもない人たちが集まって、月一回何だか盛り上がって終わる「センターの日」も、一つのエネルギーの発散だと思います。
もちろん、「センターの日」の前に、そもそもセンターがエネルギーが集まる場所でした。センターに集まるエネルギーがセンターをセンターたらしめていました。センターが閉鎖されても、まだこの街にはその力が存在するし、その場所であり続けています。
新型コロナウイルスは、人が集まれない社会を作り、集まらなくても済む仕組みを作り出そうとしています。人を集めるということはお金を儲ける手段としてもてはやされてきました。もう一方で、お金のない、行き場のない人間の場所は限られているために、特定の場所に偏って集まりが生じることともなっていました。集まるということと集まる場所とは、不思議なことに、全く立場の異なる人たちの間で、大きな関心事となっているわけです。どうすればこのことを多くの人にわかってもらえるのでしょうか。それはまちがいなく私たちの手のなかにあり、私たちの生き方に織り込まれているはずなのです。