はじめての「センターの日」
昨年12月21日は強制排除後はじめての「センターの日」でした。どこでどうやってやるのか、やれるのか、頭の中は真っ白でしたが、なんとかなりました。
場所が変わるとそもそも「センターの日」をやっているアピールからはじめなければなりません。2017年11月にセンターの中で第1回目をやった時も、目立つことを目的としながら恐る恐るシンボルとなるこたつを設置しました。
2019年4月の「センターの日」は24時間開放状態になったセンターの中で行いました。センターが強制閉鎖された後、同年5月以降の「センターの日」は、釜ヶ崎センター開放行動の団結小屋やその周辺のスペースを借りて実施していました。
7年余りの取り組みの中で
「センターの日」の目的は、閉鎖・解体・建て替えスケジュールが発表される中、釜ヶ崎に暮らす人びとにとってセンターがどのような場所なのか、まちづくりをどう理解すればよいのかを知るためでした。
まちづくりの中で釜ヶ崎で暮らす労働者・野宿者・生活保護受給者が置き去りにされている状況はあるのだと思います。これは現代社会の制度的・構造的な問題です。
あまり知られていないかもしれませんが、「センターの日」を通して聞いた話、理解したことをもとに、いくつも問題提起を行ってきました。
一つの試みとして、2022年4月にセンター敷地内の不法投棄ゴミの片付けを呼びかけたことがあります。これによってセンター正面を一時的にきれいにすることができました。まちづくりへの賛否にかかわらず、生活の場でもあるセンター周辺の不法投棄ゴミは問題だと思われていました。にもかかわらず、どの立場からも根本的な取り組みが出てこないようでした。これは釜ヶ崎で暮らす人びとの日常にかかわる問題と言えるし、こう着状態を変えていく可能性を探ろうという考えもありました。結局この試みは、誤解に誤解がかさなる騒動となって潰えてしまいました。
「囚われ」としてのまちづくり
センターが鉄の板で完全に封鎖された現在、状況は大きく変わったように感じます。しかし、問題は何も変わっていないようにも思います。1990年代の野宿者問題、2000年代のホームレス対策の進展、労働市場としての寄せ場の衰退は、まちづくりがあろうとなかろうと起こっていたことです。むしろ、まちづくりは必要なことだったかもしれません。
問題はまちづくりが「囚われ」になってしまっていることなのだと思います。取り組んでいる側も批判している側も、そこに思考を奪われ、別の可能性を広げていくエネルギーを削がれているのではないでしょうか。
もっとも排除から逃れられている場所から
可能性は路上にあるのだと思います。路上とは、公園のことでもあり、センターも路上と地続きだったのです。その可能性は、そこにきっかけを作り出す人がいて、そのきっかけに立ち止まり、集まる人たちによって作り出されるものです。
なぜ路上なのか。路上にも排除は満ちています。しかし、それでも路上は他の場所に比べれば排除から逃れられている場所なのだと思います。路上は別にすばらしい場所ではありません。にもかかわらず、路上でしかチャンスを得られない人がいる現実があります。
「センターの日」はただその実践であり、理解の場でありたいと思います。