かき氷か、たこせんか
5月15日(土)の「センターの日」は久しぶりに好天に恵まれました。前回に引き続き、写真の展示も行ないました。映画は『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(シリーズ42作目)を観ました。また、何となく思い立って業務スーパーの鶏肉を購入し、塩ダレを付けたものを炭火で焼きました。ウィンナーは火が通るまで待ちましょう。
6月はぼちぼちかき氷をやろうかという話も出ています(また雨が降らなければ良いのですが)。また「たこ焼きを焼いてたこせんを作ろう」「ソースせんだけでも美味い」などと盛り上がっていますが、いかがなものでしょう。ご意見をお聞かせ下さい。
人情を売り物にするなら
4月に発表された「新今宮ワンダーランド」は、インターネットで批判が集中して、にわかに話題になりました。批判の的となったのは、人情を売り物にしようとする広告会社のやり口でした。
人情を売り物にするというと、自分の利益しか考えない守銭奴の姿が思い浮かびます。しかし、何かが売れるのは、それに魅力を感じる人がいるということでもあります。では、人情とは何でしょうか。資本主義の矛盾が凝縮されたこの街で、さまざまな事情を持った人たちが境遇を同じくしています。しかし、その矛盾に抗うようなエネルギーが釜ヶ崎の魅力であり、人情だったのではないでしょうか。
「見せもんちゃうで!」と言ったところで、行政のお墨付きで勝手に人情は売りに出されるし、頼んでもいないのにユーチューバーはやってきます。しかし、支援者や活動家といった人たちも、元はといえばこの街に惹かれるものがあってやってきたところは同じです。この街の魅力は、外からやってきた人に対して「見せもんちゃうで!」と言いつつも、なんだかんだ付き合ってしまう人の好さにもあると思います。
「新今宮ワンダーランド」が売り物にしようとした人情は、矛盾に抗う釜ヶ崎の生活そのものから生まれ出てくるものです。そのエネルギーに惹かれてやってきて、やがてこの街を支持する人たちがあります。その人たちが守らなければならないのは、釜ヶ崎の住人一人ひとりの選択です。それは、ときに生活保護を受ける手助けをすることであり、野宿生活を続ける姿を見守ることでもあります。
なにか自分たちにとって利益があるなら、「清濁合わせ飲む」とばかりに、人情を売り物にするのもいいかもしれません。しかし、釜ヶ崎の人情を売り物にした利益は労働者のものになるわけではなさそうだし、そもそも大多数の人にとっては雲の上で勝手に進められている計画にすぎません。
誰かが人情を売り物にするのは勝手だけど、それなら売り物にならない部分を守ることも堂々と肯定していいはずです。野宿生活をしている人も、生活保護を受けている人も、現役の労働者も、活動家も支援者も、誰であれ、その人情を支持する者は共に生きることができます。私たちはその抗いの下に一つであることを忘れてはならないのです。