大阪城公園よろず相談

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2024年3月16日(土)第75回「センターの日」——中島写真を読み解く④——『定点観測 釜ヶ崎 増補版』(2017年、東方出版)

 中島写真の全容を把握するために前回から作品集を見ています。前回は『ドヤ街 釜ヶ崎』だったので、順番通りなら『単身生活者』を取り上げるところですが、この作品はコンセプトがはっきりしていて、収録されている写真もドヤの個室に絞られています。「全容を把握する」という目的からは3つめの作品集を見たほうがよいでしょう。

誰かが撮った写真

 『定点観測 釜ヶ崎』には1999年の葉文社版と2017年の増補版(東方出版刊)があります。「定点観測」とあるように、同じ場所を同じ角度から比較できる写真が収められています。面白いのは、比較の出発点となる写真の大半は中島が撮影したものではないところです。

 古くは1925年、1950〜1960年代を中心とした写真は、個人が撮影したものや行政機関によるものなど、さまざまです。いろんな地点、いろんな角度から撮られた写真を集めようとしたのでしょう。中島さん自身、1969年以降に釜ヶ崎の写真を撮りはじめているといっても、定点観測を志向して撮りためてきたわけではないはずです。また、どこを比較の参照点と定めるかも、なかなか見通せるものではありません。他人が撮った古い写真の中から参照点を発掘していこうというところに、この作品集の戦略があります。

現在との比較

 3時点の比較である増補版に対して、2時点を見開きで閲覧できる葉文社版のほうが視覚的な分かりやすさはあります。増補版は、まず左ページにその観測点の解説文があり、一番古い写真が右ページにあります。めくって次のページに見開きで1994〜1995年頃の写真と2017年時点の写真が並んでいます。

 一番古い写真と比べると、葉文社版と増補版の20年はあまり変化がなく、さほど面白みがないようにも思えます。しかし、2024年現在、私たちが実際に目にしている風景と比べると、ほんの6、7年のあいだにも結構変わってきているなと気づかされます。

鉄板とフェンスの現在

 また、もう一つ気付かされるのは鉄板とフェンスの存在です。ある観測点の1960年の写真には、1985年頃まではあったというバラックが写っています。1994年の写真ではバラックがあったであろう場所がまるまる鉄板とフェンスで囲われています。2017年にはその鉄板とフェンスは撤去されているものの、後方に写った南海線の高架沿いはやはり鉄板とフェンスで封鎖されています。

 追い出しては鉄板とフェンスを張り、何かを作ってはまた張り直す。釜ヶ崎の街はこの20年あまり、労働者が安心して集える場所を壊しながら、いびつな方法でつぎはぎ状態にされてきたのではないでしょうか。

「記録の力」の内実へ

 『定点観測 釜ヶ崎』にも巻末資料が収録されています。古い地図や新聞記事、石碑など、写真とは異なるメディアもふんだんに活用して、釜ヶ崎の歴史と風景の連続性を想像させます。そのほか、いくつかのテーマで写真が集められています。

 やはりここにあるのは「記録の力」なのだと思います。そして、「記録の力」を引き出すために中島さんがやっていることの内実について、次回は掘り下げてみようと思います。