大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2021年2月4日(木)夜回り・活動を始めて19年

 こんばんは。よろず相談です。

 今日は暖かいなあ、とのどかな気分になる日と、寒くて寒くて縮こまるような日が順繰りに巡ってくるこの時期。例年なら春を待ちわびてでもいるのでしょうが、今年はというとコロナが一向に収束する気配なく、先行きの見通しは依然暗い。今日明日を無事に過ごすことを積み重ねていくしかないようです。

 

 大阪城公園よろず相談は活動を始めて19年になります。夜回りを始めてからも15年が経っています。その間にたくさんの出会いや別れがありました。去年の年末にはよろず相談の創設メンバーだったエチゼンさんが入所していた施設で亡くなりました。そして今年になって、ピース大阪を長年根城にしていたMさんが生活保護を受けていたアパートの部屋で亡くなっていました。私たちが活動を始めた頃から知り合った人達は今はもう70代前後。お別れしなければならないのは自然のことなのかもしれません。けれど、いつでも肩で風切って体張って生きていた先輩方の訃報に接すると、寂しく心もとない気持ちになります。

 先輩方のサバイバル精神や任侠心、そして繊細な男ごころに触れて、苦しくともタフに世の中を生き抜き、情けをかけるなとひとり臥した死に様を見せてもらったことをいつも心に留めていたいと思います。

 

 今週の火曜日、2月2日のことですが、ABCテレビの「キャスト」というニュース番組で大阪城公園の野宿者の現状を取材したものが放映されました。その中でよろず相談の夜回りの様子も紹介されています。前回の夜回りの際に、突然テレビカメラが同行していて驚いた方もおられると思います。取材に応じてお話をしてくれた方もおられて、どんな番組ができあがったのか興味もあるかと思います。録画したものを次回の寄り合いで観られる機会を作りたいと思います。ぜひお越しを!!感想などを述べ合って、テレビ局の方に伝えてもいいかもしれません。。。

2021年1月31日(日)寄り合い——おでんとテレビの取材

 今年はなるべく寄り合いの報告もしていきたいと思います。

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 2021年最初の寄り合いは恒例のおでんでした。具材ごとに手分けして作って持ち寄ります。正月の名残りのおもちでもち巾着を作って行ったところ、元板前のAさんから正しい巾着のあり方を説かれました(どうしろというのでしょう)。

 寒い一週間だったものの、日曜日は1月とは思えない暖かな1日でした。寄り合いが始まる少し前から、離れた場所で立ち尽くしてこちらを見ている人がいました。寄り合いのことを知っている人にまちがいはなさそうですが、今日の寄り合いの告知をした前回の夜回りで声かけした記憶がありません。

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 話しかけてみると、ずっと前に「若い子が野宿しとるから相談に乗ってやってくれ」とある人から引き合わされた人でした。日曜日に寄り合いをやっていることを頼りにやってきてくれていたのです。

 昨年、12月頭にお話しして以来でした。家賃が払えなくなって部屋を出て野宿をしているという40歳の方です。いろいろ利用できる制度についてお伝えして、一度役所に相談に行ってみることをお勧めしました。結局、相談には行っていないそうでしたが、今週は2日ほど仕事に行けたとのことです。おでんをふるまって、また夜回りの時でも寄り合いの時でも、いつでも相談に乗ることをと伝えしました。

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 この日はABCテレビの取材のカメラも来ていました。昨年末の朝日新聞に掲載されたよろずの活動についての記事(激変する野宿の風景 大阪城公園の夜回りに記者が同行:朝日新聞デジタル)をきっかけに、夜回りを取材したいという依頼を受けました。

 夜回りの取材は前の週の木曜日に済ませていたものの、寄り合いの様子の撮影にも見えられたのでした。また、私たちと付き合いの長いSさんのアルミ缶拾いには午前2時半から11時まで、密着取材を行なったとのことでした。

 寄り合いにはSさんも来てくれて、取材陣は車とレンタル自転車2台で追いかけてきたこと、姿が見えないと思ったら、大通りの向かいの歩道を並行して走りながらカメラを回していたり、いつのまにか移動して、横断歩道を渡るところを向かいから撮影されたりといった裏話を聞きました。

 寄り合いの後、Aさんが簡易テントを作成するところも撮影されたようで、この様子は実際の放送でも使われていました。これらの取材は、2021年2月2日にABCテレビ、キャストの17時台の特集で放映されました(YouTubeチャンネル「ニュースとキャスト特集」のアーカイブでご覧いただけるようになりました。大阪城公園によなよな現れるホームレスたち コロナの影響も・・・支える人たちに密着!)。

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 野宿生活をしていたOB(?)もたくさん集まり、大いに盛り上がりました。そのほか、おしゃべり仲間も立ち寄ってくれました。今年も路上での出会いと時間を大切にしていきたいと思います。

カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力下さい。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

マツオさんの死に寄せて

1月4日

虫のように殺された 

億万人の魂たちよ!

俺の話をどうか聞いておくれ。

金もなけりゃ家もねえ

汚え雨に体もとけて

毎日毎日行き止まりみたいだ!

こんな社会にツバを吐き、

ダイナマイトに火をつけろ!
BO GUMBOS 「ダイナマイトに火をつけろ!」)

マツオさんが死んだ。というより死んでいた。むだに広い部屋の角に体を海老ぞりにして首を大きくのけぞらせて死んでいた。横にいた男性が「まさしく釜の労働者の死に様やな」と言った。

マツオさんは2年くらい前まで大阪城のピース大阪を根城にしていて、釜で日雇をしたりしてその日暮らしをやっていた。ほとんどの場合酔っていて、いつも上機嫌だった。2年前にちゃりぱくで警察にしょっ引かれた。電話があってかけつけて、そこから裁判を経て東住吉区のアパートに移った。酒でいつも天国と地獄を行ったり来たりして、アパートをおん出されて数か月前に孤独死のあった瑕疵物件の部屋へ移ったが、そこで今日マツオさんも死んでいた。石油ストーブを買って、灯油をどこで買うのかも知らなかった。

おふくろがよくやっていたとか言いながら、お米の上に肉まんを4個並べて炊いていた。炊飯器を開けると、ほかほかの湯気の中に肉まんが並んでいた。

イタリヤに行く朝に玄関を開けるとりくろーおじさんのチーズケーキとカップみそ汁その他が紙袋に入って置いてあったこともあった。まいど過剰だし、ありがた迷惑なところが多かった。

私は不動産屋から預かった鍵でドアを開けて、ちょうどふすまの加減で首から下しか見えなかったけど「ああ」と嘆息してすぐに警察に電話した。たぶん死後1週間以上は経っていると考えられるし、近づいて死体を見る勇気がなかったからすぐにアパートの外に出た。消防とか警官とかが来て事情を説明している間も、冷静だったし、悲しみとかやるせなさとかもあまりわいてこなかった。もう、1ヶ月前から死のほうへ向かっているような気がしてた。酒にずぶずぶになってたし、歩けてなかった。私にはもう差し出すものがなくて(あったかもしれないけど)、見て見ぬふりをした。だから、死んでいるのを見ても「ああ、死んだのだな」と思っただけだった。

マツオさんは、ザ・アウトローなのだった。全然社会に適応できていなかった。家に住んだことなんてほとんどなかった。真冬でも段ボール一枚で裸で寝ていた。

病院に入ってもすぐトンコだし、役所や病院の受付ですぐにわめきたてていた。

酒が抜けるとかわいかった。自分のことを語ることもあったし、別に悪いひとじゃなかった。思いの矛先がてんでバラバラで、誰にも届かなかった。

帰り道自転車で走りながら、マツオさんを追悼してボガンボスを流したら、ようやく涙が出てきた。

明日もどこか祭りを探して

この世の向こうへ

連れて行っておくれ

夢の中

雲の上

遠くまで

さみしいよって 泣いてても

何ももとへはもう戻らない

欲しいものはいつでも遠い雲の上

BO GUMBOS 「夢の中」)

2021年1月21日(木)夜回り・年末と年始をまたいで

年末と年始をまたいで

 新しい年もすでに半月が過ぎました。いかがお過ごしでしょうか。新年最初の夜回りでは、12月頭に失業し、1月の家賃が払えなかったため、大晦日を境に部屋を出て野宿をはじめたという方にお会いしました。いろいろ活用できる制度をご案内しましたが、「十日戎まではがんばる」とおっしゃっていました。釜ヶ崎のこともご存知のようなので、いざとなればどこかに相談しておられるかと思いますが、心配しています。

 あとで気づいたのですが、その方とは1年半ほど前にも別の場所でお話ししたことがありました。野宿しながら清掃の仕事をされていて、そこそこの稼ぎはあるけれど、部屋を借りるのは厳しいとお聞きした記憶があります。その後、部屋を借りて暮らしておられたということなのでしょう。

 釜ヶ崎のセンターでも、同じように12月に会社が倒産して、給料が入らず、1月の家賃が払えずに、1ヶ月ほど野宿生活をしているという方にお会いしました。お話をお聞きすると、2020年は2月頃より椎間板ヘルニアで半年ほど入院生活で、まともに働けなかったとのことでした。悪いことは重なるものです。

 このようにして路上でお会いして、お聞きする話から、この社会の見えないところで起こっていることをうかがい知ることができます。夜回りの中で知りえたことを念頭に、今年もできることややるべきことを模索していきたいと思います。今年も大阪城公園よろず相談をよろしくお願いいたします。

第38回「センターの日」のお知らせ

年初めはぜんざいから

 年初めはあんこを溶かして、おもちを入れて、ぜんざいをしたいと思います。

 釜ヶ崎の街とともに失われようとしているものは、守ろうとする前に、捕まえることすらおぼつかないもののように感じられます。捕まえることのできないものならば、こちらから捕まりにいこうとしたのが「センターの日」だったと言えるのかもしれません。

場所・日時のご案内

 JR新今宮駅西口から地上に出て、国道の向かいのあいりん総合センター正面付近で、2021年1月16日(土)13時から16時に実施します(基本的に毎月第三土曜日)。

これまでの「センターの日」

 これまでの報告はこちらです (第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回 第21回 第22回 第23回 第24回(中止) 第24回 第25回 第26回 第27回 第28回 第29回 第30回 第31回 第32回 第33回 第34回 第35回 第36回 第37回)。

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カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力下さい。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

2020年12月19日(土)第37回「センターの日」——突然の雨と甘酒

第37回「センターの日」のあらまし

甘酒と炭火焼き

 今回も冬の定番の炭火焼きをしました。また、自家製の甘酒をいただいたので、こちらも温めて提供しました。

 昼過ぎまで晴れていたのですが、映画を再生して、肉を焼きはじめたあたりから小雨が降り出し、あっという間に本降りになりました。10月の雨の日の経験を活かして、金網の角にコンパネを載せて簡易屋根にして炭火焼きをしました。そばでずっと傘を差しかけてくださって、ありがとうございました。

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映画「王将」

 映画は1962年の三国連太郎主演の「王将」を観ました。白黒の映像ですが、出てくる風景や人びとを眺めているだけでも、興味を惹かれました。しかし、さすがに古過ぎたでしょうか。映画のセレクトはいつも難しいです。

 センターに貼ってある「センターの日」のビラを見て、楽器を抱えた若い女性が飛び入りで参加してくれました。東京から大阪に遊びに来ていて、何日かドヤに滞在しているとのことでした。彼女のリクエストで二本目に流した「男はつらいよ」は他の方にも喜んでもらえました。

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衣類のカンパ

 「センターの日」で必要な人に分けてあげてと、またカンパ物資をいただきました。暖かい上着や、パッチなどの衣類や腕時計もありました。皮ベルトや腰痛ベルトなどは胴回りが合わずになかなかもらい手が見つかりませんでしたが、最終的に全部無くなりました。

 カンパを下さった方には気持ちばかりのお礼に後で焼き芋を差し入れしました。ありがとうございました。

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年末の出来事

 みなさんご存知のこととは思いますが、2020年の11月、12月と相次いでセンターで亡くなった方がおられます。一人はいくつかの夜回り団体や医療センターから見守られながらも、受診に結びつかないまま亡くなったと聞きました。「センターの日」のビラを配るときに何度も話しかけ、最近は少しお話しできるようになった矢先でした。

 もう一人はバスのなかで亡くなられています。12月の「センターの日」の直前の出来事だというのにその時は知らなかった不明を恥じています。その後、その時のことやふだんの状況を知りたいと思い、何人かからお話を聞きました。バスのなかは夜回りではあまり確認されていないこと、バスの見守りに課題がありそうなことまではわかりました。

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 不法投棄がどんどん酷くなっていることも気になっています。多くの人の避難場所になっている場所が、裏返せば社会の目の行き届かない場所になっているのだと思います。

 「センターの日」は2017年11月から始めました。釜ヶ崎の街とともに失われようとしているものは、守ろうとする前に、捕まえることすらおぼつかないもののように感じられます。捕まえることのできないものならば、こちらから捕まりにいこうとしたのが「センターの日」だったと言えるのかもしれません。しかし、まとわりついてくるものに馴染みきれないまま、3年の日々が過ぎてしまった思いです。

12月27日(日)寄り合い——今年も年越しそば

 12月27日(日)は毎年恒例の年越しそばをしました。「そば用のつゆにした」とおなじみのAさんの語るそばつゆが今年も絶品でした。ふだんの持ち寄りごはんの時にも板前のキャリアを持つAさんが作ってくれるスープは、調味料を多用せずとも、素材の味を生かした美味しい仕上がりです。

 今年は2月の寄り合いの報告を最後に、寄り合いの記事を書いていませんでした。ふりかえれば今年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大一色で、5月から7月にかけては特別定額給付金に関する大阪市への申し入れも行いました。

 この状況で寄り合いをしていいのだろうかという迷いもありました。寄り合いというより、配食的な位置付けで、レトルトカレーとレトルトごはんを用意して行なった月もあります。その時に立ち寄って下さった方が、今回たまたま来られていて、久しぶりにお話しすることができました。大変な状況の中、どこでどうしておられるのかと気になっていたところ、再会して近況をお聞きできました。

 また、今回は生活困窮者の支援に関心があって、インターネットで見かけたよろずの活動に参加してみたいという方がいらっしゃいました。紙コップとビニール袋に一つひとつより分けて、から揚げとゆで卵を持ち寄って下さいました。ふだん夜回りでお会いする人たちのうち、昼間も居所のわかる人のところには寄り合いのご飯を差し入れすることにしているので、とても助かりました。

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 寄り合いの報告を書かないとブログは「センターの日」のことばかりになってしまいます。このブログは2016年2月末の大阪城公園市民の森の東家からの排除の後にはじめました。大阪城公園に600余りのテント小屋があった2002年頃から20年弱が過ぎ、路上をめぐる状況は変わりつつも、根本的なものは何も変わっていないと思います。しかし、そのことを示している人たちは減っています。

 新しく出会えるようになった人たちもいます。この人たちの歩む道もまた、変わらないものを示していくのかもしれません。しかし、その道はまだ現れていないように思います。また、それは、私たちがともに歩むことなくしては現れてこない道なのかもしれません。

 「センターの日」は2017年11月から始めました。釜ヶ崎の街とともに失われようとしているものは、守ろうとする前に、捕まえることすらおぼつかないもののように感じられます。捕まえることのできないものならば、こちらから捕まりにいこうとしたのが「センターの日」だったと言えるのかもしれません。しかし、まとわりついてくるものに馴染みきれないまま、3年の日々が過ぎてしまいました。

 私たちが目にしていることは大きな変化の一部なのだと思います。この変化は一部を見ているだけでは全体を見誤ってしまいます。しかし、その一部をも見ていなければ、変化に気付くことすらできません。近づくことと離れることとを同時に行なっていく必要があります。


 このブログやTwitterを通して、よろずの活動を知ってご支援下さった皆様に改めてお礼を申し上げます。この一年、二年は新聞でよろずの活動を取り上げていただくこともありました。基本的に地味な持続であるよろずの活動はわかりやすい成果を見せることができません。だからこそ、日々の活動報告をしっかりやっていく必要があるのかもしれません。しかし、今年は手が回りきらず、疎かになってしまいました。

 このような状況が来年になれば好転するのかどうか、正直自信がありません。この5年間やってきたことがまったく別物になってしまうのか、それともこの先に何かが見えてくるのか。いずれにせよわかるでしょう。