1月4日
虫のように殺された
億万人の魂たちよ!
俺の話をどうか聞いておくれ。
金もなけりゃ家もねえ
汚え雨に体もとけて
毎日毎日行き止まりみたいだ!
こんな社会にツバを吐き、
ダイナマイトに火をつけろ!
(BO GUMBOS 「ダイナマイトに火をつけろ!」)
マツオさんが死んだ。というより死んでいた。むだに広い部屋の角に体を海老ぞりにして首を大きくのけぞらせて死んでいた。横にいた男性が「まさしく釜の労働者の死に様やな」と言った。
マツオさんは2年くらい前まで大阪城のピース大阪を根城にしていて、釜で日雇をしたりしてその日暮らしをやっていた。ほとんどの場合酔っていて、いつも上機嫌だった。2年前にちゃりぱくで警察にしょっ引かれた。電話があってかけつけて、そこから裁判を経て東住吉区のアパートに移った。酒でいつも天国と地獄を行ったり来たりして、アパートをおん出されて数か月前に孤独死のあった瑕疵物件の部屋へ移ったが、そこで今日マツオさんも死んでいた。石油ストーブを買って、灯油をどこで買うのかも知らなかった。
おふくろがよくやっていたとか言いながら、お米の上に肉まんを4個並べて炊いていた。炊飯器を開けると、ほかほかの湯気の中に肉まんが並んでいた。
イタリヤに行く朝に玄関を開けるとりくろーおじさんのチーズケーキとカップみそ汁その他が紙袋に入って置いてあったこともあった。まいど過剰だし、ありがた迷惑なところが多かった。
私は不動産屋から預かった鍵でドアを開けて、ちょうどふすまの加減で首から下しか見えなかったけど「ああ」と嘆息してすぐに警察に電話した。たぶん死後1週間以上は経っていると考えられるし、近づいて死体を見る勇気がなかったからすぐにアパートの外に出た。消防とか警官とかが来て事情を説明している間も、冷静だったし、悲しみとかやるせなさとかもあまりわいてこなかった。もう、1ヶ月前から死のほうへ向かっているような気がしてた。酒にずぶずぶになってたし、歩けてなかった。私にはもう差し出すものがなくて(あったかもしれないけど)、見て見ぬふりをした。だから、死んでいるのを見ても「ああ、死んだのだな」と思っただけだった。
マツオさんは、ザ・アウトローなのだった。全然社会に適応できていなかった。家に住んだことなんてほとんどなかった。真冬でも段ボール一枚で裸で寝ていた。
病院に入ってもすぐトンコだし、役所や病院の受付ですぐにわめきたてていた。
酒が抜けるとかわいかった。自分のことを語ることもあったし、別に悪いひとじゃなかった。思いの矛先がてんでバラバラで、誰にも届かなかった。
帰り道自転車で走りながら、マツオさんを追悼してボガンボスを流したら、ようやく涙が出てきた。
明日もどこか祭りを探して
この世の向こうへ
連れて行っておくれ
夢の中
雲の上
遠くまで
さみしいよって 泣いてても
何ももとへはもう戻らない
欲しいものはいつでも遠い雲の上
(BO GUMBOS 「夢の中」)