大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2019年6月6日(木)夜回り・釜ヶ崎センター続報/恐怖のバチカン

釜ヶ崎センター続報

 5/24に指定された荷物引き取り日にまた強制排除があるかと思われたものの、6/5現在、行政による目立った動きはないようです。

 しかし、暑さが増すなかで倒れ、救急搬送されて亡くなった方がおられました。センターが開いていればこんなことはなかったかもしれません。

 今年も豪雨や猛暑などの自然災害が予想されます。昨年の台風の時、日中はセンターに避難していたという人もたくさんおられました。避難所としてセンターは代わりのない稀有な場所です。

 毎月第三土曜日には「センターの日」と称してセンター周辺で寄り合いを行なっています(6/15で20回目)。たとえセンターがなくなっても、そこにいた人間がいなくなるわけではありません。集まることで当たり前のことを訴えていく力がセンターにはあるはずです。ぜひお立ち寄りください。

恐怖のバチカン

 イタリア三家族珍道中。なかなかトリノの社会運動現場の交流の話に入れません。引き続きローマ観光の話です。

バチカンって何?

 「朝のサン・ピエトロ大聖堂は絶対おすすめ」と言われていたので、じゃあ行こうかなくらいに考えていました。同じように「システィーナ礼拝堂は見ておくべき」という意見があって、どちらもバチカンにあるらしい。バチカンといえばローマ法王のいるところで、一つの街でしかないのに、独立した国家として扱われているとかなんとか、その程度の知識です。

 案内所まで連れてきてくれた女性はどこへやら、中東系の男性ガイドに引き渡されました。言われるがままにガイドに着いてくと、横断歩道もない路を強引にわたった目の前に高い壁が立ちはだかっています。大きな入り口があったかと思ったら、そこは出口。「バチカンミュージアム」とアルファベットで書かれています。その横の入り口は人だかりです。

バチカン美術館へ

 「別に美術館とかどうでもいいんだけどなー。バチカンのなかをぶらっと散歩して、大聖堂やら礼拝堂やらを見たいだけなんなけど」くらいに考えていたのが大まちがいでした。

 「バチカンに入る」というのは要するに「バチカン美術館に入る」ことで、そもそも散歩気分でぶらつくというような場所ではなかったのです。バチカン美術館の入り口では空港でやるような手荷物検査がありました。ガイドの人はそこで笑顔で去って行きました。

 「よくわからんけど、せっかくだし美術館も見ていくか」と、手近なフレスコ画のエリアに入ました。きっとすごいコレクションなんだろうけど、縁なき衆生にはやや退屈です。ここだけでも結構時間がかかりました。「全部見てたらきりがないから、とりあえずシスティーナ礼拝堂に行って、最後の審判の天井画を見に行こうよ」と、スマホの地図を見ながら移動しようとするのですが、どちらへ行こうにも建物の壁がのびており、結局案内表示にしたがって進むしかありません。

恐怖のバチカン回廊

 数百メートルは余裕でのびた建物の中は全て展示場になっています。ある通路はギリシャかローマかの頭部彫刻ばかりがはてしなく並んでいて圧倒されました。大理石で作られた浴槽や彫像で囲われた中庭は荘厳でした。その辺りで二人がはぐれてしまいました。合流しようと連絡を取ろうにも携帯電話の電波状態が悪く、気づけばものすごい人だかりで戻ろうにも戻れなくなっていました。「とにかく最後の審判のところまで行ってから合流しよう」ということにして、それぞれ歩みを進めました。

 ところが、歩けども歩けども先は見えず、高い天井はきんきらきんに飾り立てられ、壁はどでかいタペストリーに覆われた空間が数百メートルと続きます。もうしんどいから非常口から出させて欲しいとお願いしても、そんな理由では出してくれません。ベルトコンベアの上を自分の足で歩かされる供物のような気持ちで巨大建造物をさまよいました。

最後の審判

 「最後の審判」を目にするまでにも、いくつも天井画を見せられました(もうええっちゅうねん)。ようやくたどり着いたシスティーナ礼拝堂では「立ち止まるな」と叱られながら、見物客がひしめき合っています。その光景を評して「ガス室かと思った」と誰かが言ったとか言わなかったとか。

 バチカン美術館は「最後の審判」というボスに叩きのめされるまで全てのルートを歩き切らなければいけない、大仕掛けなお化け屋敷のような場所だったのです。サン・ピエトロ大聖堂に立ち寄る元気はもはやありませんでした(次回はいよいよトリノへ)。

 

2019年5月26日(日)寄り合い── 人が追い出される公園とは

 今月の寄り合いも難波宮跡公園で行いました。五月晴れの寄り合い日和で、市民の森の寄り合いも良いですが、広大で明るい難波宮跡公園はいるだけで楽しい気持ちになります。

 G20の警備対策とやらで懲罰にかけられたかのような強剪定が痛々しい樹々も、これから梅雨に入って大量の雨と陽射しを受けて負けじと生い茂って欲しいものです。

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 前回に引き続き、サクヤルミナが開催されている大阪城公園の「飛騨の森」についてお話を聞きました。大阪城公園は野鳥観察のスポットとして人気があることは知っていましたが、渡り鳥が立ち寄る時期ともなると、百人もの人が一羽の鳥を眺めに集まるそうです。

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 鳥を愛でるタイプと写真に収めたいタイプの人とがいて、写真を撮りたい人たちはベストショットをめぐって時にはもめることもあるとか。大阪出張で官庁を訪れた人が、これ幸い役得とスーツ姿で飛騨の森に立ち寄る姿も見られるとのことです。

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 ところが、こうして野鳥を楽しみに訪れる人たちを、16時になったら「サクヤルミナの準備をするから」と業者が追い出しているというのです。公園本来の利用者を金儲けのために追い出す権限が誰にあるでしょうか。このアトラクションは「自然の地形を生かした」ことを売りにしているというのだから、ますます呆れたものです。

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 大阪城公園はもとより自然と調和した都市の憩いの場所であり、人びとの生活のなかに織り込まれて愛されていることがわかりました。お話を聞いていると、前回の寄り合いで知り合った野宿の仲間と大阪城公園で出会ってあいさつを交わすといったこともあるそうです。

 今や、野宿者どころか、公園を利用しているだけで追い出されるおかしな社会になっています。休日の儲けだけのために6月頭まで業者が占拠し、平日は閑古鳥が鳴いている有料バーベキュースペースはなんでしょうか。

 私たちは自分が暮らしている街のこと、公園のこと、身近な他人のことをあまりにも知らないようです。当たり前に利用している場所のこと、隣人のことを知るなかで、この社会の実像や良さをも知ることができるのではないでしょうか。

2019年5月23日(木)夜回り・コロッセオからバチカンへ/釜ヶ崎のセンター続報

コロッセオからバチカン

ローマ観光のはじまり

 イタリアの朝は時差ボケではじまります。朝というよりまだ夜です。何時から寝はじめても必ず3時間ほどで目が覚めてしまい、しんどいのに二度寝できないまま明るくなるまでベッドで横になってすごします。

 今回の旅行のメインはイタリア北部にあるトリノ市であり、ローマは航空券の都合で発着地となっているだけでした。とはいえ、せっかくなので二日目はローマ観光にあてることにしました。

 そんなにあちこちまわることもできないので、「とにかくコロッセオには行きたい!」「バチカンシスティーナ礼拝堂は見てきなさいと言われた」ということで、この二ヶ所に行くことになりました。

地下鉄ののりかた

 宿になったアパートから徒歩で10分ほど、ゆるいカーブを描きながら分岐しては合流する起伏のある道のりを抜けると地下鉄のガルバテッラ駅があります。子どもを6人つれた観光客まるだしの10人の日本人が移動するので、どう見ても場違いです。飛行機の乗り降りと宿の利用方法以外はほとんど何も調べずに来ているため、電車の乗り方も一から確かめねばなりません。券売機のイタリア語を英語表記に切り替えて見てみると、イタリアの電車は利用時間によって料金が決まっていることがわかりました。日本では数駅ごとに料金が異なりますが、イタリアでは、100分乗り降り自由で1.5ユーロ(約200円)、24時間で7ユーロ(約900円)、72時間で18ユーロ(2,300円)といったふうになっています。

 子ども料金がいくらかわからず、最初は子どもの分も同じように買っていたのですが、9歳以下は付き添いの大人一人につき一人無料ということがのちにわかりました。年齢は身長を基準に大まかに判断しているようでした。イタリアのバスも同じような仕組みで、どちらも日本よりゆるい感じでした。

コロッセオが目の前に

 路線図を頼りに乗り換え駅を調べてコロッセオ駅まで行きました。「さて、コロッセオにはどっちに行ったらいいんだろう」とキョロキョロしていると、どっちも何も目の前にそびえ立っているのがコロッセオでした。駅の目の前に豪華な遺跡があることにびっくりしました。

 すぐそばにはコンスタンティヌス凱旋門という大きな記念碑があり、コロッセオの横の丘に赤れんがの遺跡が広がっているかと思えば、反対側は車道をはさんでふつうのアパートが立ち並んでいました。世界的な遺跡と都市が渾然一体となった風景が不思議です。お金のレートと相場感が今ひとつわからず、変にケチってコロッセオのなかに入らなかったことが悔やまれます。

バチカンへの道

 コロッセオを楽しんだあと、今度はバチカンに向かいました。電車に乗った瞬間にアジア系の中年の女性から日本語で話しかけられました。「オッタビアーノに行くの? 私も行くところなの」……話しかけられてすぐに怪しいと思いました。オッタビアーノというのはバチカンの最寄りの駅ですが、この電車に乗ってきたというだけでバチカンに行くのだろうと声をかけてくるのも変です。

 片言ながら日本語が上手で、両親は中国人だが自分はベトナム国籍で、日本語もしゃべれるようになりたいから勉強しているのだと笑顔で語ります。どこかで距離を取れないかと考えたのですが、この大所帯ではメンバー間の意思疎通も取れず、電車を降りてからも道案内されるかのように同行されることになりました。「バチカンにふつうに入るとものすごく並ばないといけない。インターネットで予約しなければならない」と訊いてもいないことをいろいろ教えてくれました。

 すでに書いたようにわれわれは何ひとつ調べずに名前だけ知っている場所に適当に向かっていたので、システィーナ礼拝堂を見ること、バチカンに入るとはどういうことなのかまったくわかっていませんでした。要するに彼女は予約チケットの転売ビジネスの営業でした。バチカンのシステムもよくわからないし、提示された料金もめちゃくちゃ高いということもなかったので、結局彼女にお願いすることにしました。

 行き当たりばったりのマヌケな三家族、さっそく引っかかってしまったわけですが、これから向かうバチカンがまさかあんなに恐ろしいところだとは思いもよりませんでした(つづく)。

釜ヶ崎のセンター続報

 4/24の強制排除、センター閉鎖後も西側シャッター前ではテント屋が立てられ、抗議行動が続いています。5/19には三角公園で集会とデモ、5/21には府庁で抗議行動が行われました。センターの周りには今も休んでいる人たちがたくさんいます。追い出されてもどこかで生きていかねばなりません。生活を守るために力を合わせていくことが大切だと思います。近くに行った際はセンター開放行動のテント屋をのぞいてみて下さい。よろずも応援しています。

 

第19回「センターの日」のお知らせ

センター開放闘争が行われています

 3月31日に閉鎖されようとしたセンターは、反対に集まった人びとによって限定的ながら24時間開放を実現したのもつかのま、機動隊の強襲を受けて強制排除されました。

 現在はシャッターの前に拠点を設け、抗議行動を続けています。この場所に繰り返し訪れることが都市空間の統治に裂け目を作る力になります。「センターの日」をきっかけにお越しください。

場所・日時のご案内

 JR新今宮駅西口から地上に出て、国道の向かいのあいりん総合センター正面付近で、2019年5月18日(土)13時から16時に実施します(毎月第三土曜日)。ブルーシートとこたつ、コーヒーの焙煎の匂いを目印にお越し下さい。

 古本放出はとても人気があります。特に読み終えた時代小説を寄付いただけると大変喜ばれます。古本チェーン店では二束三文にしかならない本の有効活用をお考えの方はぜひ「センターの日」にお持ち下さい。

 現在はセンターに図書室が設置されています。本棚はつまっているものの、固い本ばかり残っていて、品揃えに少し難があるようです。古本の寄付をお待ちしています。

これまでの「センターの日」

 これまでの報告はこちらです (第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回)。

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カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力いただけると幸いです。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

2018年4月20日(土)第18回「センターの日」とその後の出来事について

第18回「センターの日」のあらまし

センター開放下での開催

 第18回目となった2019年4月20日(土)の「センターの日」は「センター開放」下で行いました。ふだんはビラを貼ってもすぐにはがされてしまうのですが、「すでに行政機関の管理下を離れている今なら貼り放題なのでは」と気づき、数日前に告知のビラを貼りました。

 電気の供給は止められ、3階は閉鎖されているものの、1階部分には多くの人の姿が見られました。「センター開放」の拠点となるテントがいくつも張られ、各地から応援に訪れた人たちが残した横断幕や造作物にあふれていました。「応援しまっせ! あなたのやる気── 西成労働福祉センター」の横断幕をパロディにした「応援しまっせ! みんなのねる気── 宮下公園ねる会議」は秀逸でした。

 北側の正面や南側のシャッターは降ろされているものの、中央部は行き来が可能であるため、ふだん以上のにぎわいが感じられました。とはいえ、日々出てくるゴミの問題や、センター清掃がないため、床やトイレは汚れが気になりました。トイレはシフトを組んで有志で清掃しているとのことで、頭が下がりました。

トラック野郎を上映

 映画は菅原文太主演、中島ゆたかマドンナの『トラック野郎』第1作目を上映しました。上映前にビラを配っていて「今日は何やるの?」と聞かれ、「トラック野郎です」というと、「おっ、トラック野郎やるの!」と人気の高さがうかがえました。

 いつもの場所は休んでいる人もいるので、少し下がったところにスペースを作りました。いつもよりスクリーンが大きかったので映像も大きめにしたのですが、これは失敗でした。プロジェクターで出せる光の量に限界があり、大きくしすぎると薄くて見づらくなってしまいました。とはいえ、今までになく多くの人が集まって、菅原文太愛川欽也の熱演に見入りました(常時30人くらいの人がいたと思います)。

 いつもは映画が終わるとすぐに人気がなくなってしまうところ、しばらくは留まっている人が少なからずいて、映画について感想やご意見をいろいろお聞きすることができました。いつも上映中のタイトルを書いた看板を立てているのですが、「ヒロインが誰なのかを書いといてくれんとあかんわ!」とのコメントにはなるほどと思いました。

 映画のリクエストをお訊きすると、やはり『男はつらいよ』や高倉健は人気なのだとわかりました。石原裕次郎の名前もあがりました。片付けをしながら試しに石原裕次郎の歌をスピーカーで流してみると、「おっ、裕次郎やな」とさっそく反応がありました。

 介助者を連れて立ち寄ってくれたのかなという人が何人かおられました。そのなかに映画が終わった後に「映画やるのか?」と話しかけてこられた方がいました。「今日はもう終わったんですけど、来月も第3土曜日にやりますから」というと、「ずっとこんなふうにできたらええなぁ。(みんなの場所を守るために)がんばってくれとるんやろ? 応援するわ!」と励ましていただきました。

4月24日(水)の強制排除

突然の報せ

 13時前、仕事に向かう途中で電話をもらいました。「今センターで強制排除がはじまってるみたいだから行けるなら行った方がいい」ということだったので、仕事をキャンセルしてそのままセンターに向かいました。

 スマートフォンでインターネットの情報を見ると、いきなりシャッターが一斉に下がりだして、止める間もなく閉鎖されてしまったようであることがわかりました。行ったところですべて終わっている可能性も考えられましたが、仮移転先の西成労働福祉センターの向かいのシャッターにお尻を突っ込んであった大型バスのところだけ無事なようでした。

 JR新今宮駅について横断歩道を渡ると、南海のガード側は南北の入り口が警官隊に封鎖されており、大型バスはアスファルトのはるか遠くに見えるばかりでした。正面側で知り合いの労働者の人に会いました。「来るべきものがもう来てしまった。もう終わってしまった」という感じの苦笑いを浮かべながら状況を教えてくれました。

 おそらく水も漏らさぬ封鎖体制がすでに敷かれているだろうと考えながら、センターの周りをぐるっと見て回りました。4月25日(木)の毎日新聞によれば大阪労働局と府の職員計約220人が動員されていたとのことですが、機動隊を合わせればそんなものではなかったはずです。

 インターネットの情報では中の様子はほとんど分かりません。誰が残されているのだろうかと気になっていると、ふだん「センター開放」でつめているはずのあの人もこの人も、包囲網の外にいました。警察は綿密な計画を練り、人が少なくなる時間帯をピンポイントで狙って強襲をかけたようでした。

 1人の人間に対して4人の警察官が四肢をつかみ、センターから締め出していったようです。3月31日以降、大阪府は話し合いをすると口にしていたと聞いています。それを無視しての強制排除が警察と手を組んで実行されたことになります。

 最後の楔だった大型バスも15時前にはレッカー車で引きずり出されてしまいました。その気になれば大型バスの一台や二台、簡単に動かせてしまうことに抵抗のむなしさを見せつけられるようでもありました。

 最後のシャッターが閉じられた後は機動隊に代わって府の職員が表に出てきて、抗議する人びとを足止めします。商工労働部の総務課長が「まずバスを動かしてもらわないとセンターの中に残った荷物を返せない」と言いながら、なかなか動こうともしませんでした。動きだしたと思ったら、抗議する人びとに押されるように南海のガードの奥に潜り込み、「センターの中に残された荷物は明日の15時に返す」と一方的に通告して立ち去ってしまいました。

仕組まれたできごと

 手薄になるところを狙って機動隊が強制排除を行い、レッカー車でバスを引き出して、全てのシャッターを降ろす。その後は府の職員と交代して抗議のガス抜きをするかのような茶番劇でした。実際これは仕込み通りのお芝居でもあり、センターの中では警察が残された荷物を物色するための時間稼ぎを府の職員はしていたのです。

 やたら若い機動隊員、竿の先に掲げられたビデオカメラが何台も回され、やがて予定されているさらなる排除のための情報収集ないし、実験をしているかのようでもありました。

 松井一郎と入れ替えで新たに知事になった吉村洋文は「リーガルチェックのうえ、排除した」とマスコミに語ったようですが、人間を強制的に立ち退かせることを正当化する法律など日本にはありません(そもそも行政代執行の手続きすら踏んでいません)。裁判になっても行政サイドが負けることはないだろうと見切りをつけることを「リーガルチェック」というのでしょうか。

今後のことについて

閉鎖後に起きた問題

 翌4月25日に残された荷物はシャッターの前に引きずり出され、5月24日までに持ち帰らなければ処分すると通告されており、この日にまた強行的な手段が用意されていることが予測されます。

 また、強制排除の当日の夜に、排除の報を聞いて駆けつけた女性がセクシャルハラスメントを受けていたことがわかりました。このことについてはビラも貼られているので、ご存知の方もおられると思います。この間、センター閉鎖の問題に関心を寄せる人たちがたくさん訪れました。その中で性暴力が起こっていたという事実には暗澹たる気持ちになりました。

 加害者が悪いのであって、釜ヶ崎の労働者一般が悪いわけではありません。呼びかけをした支援者の方にも配慮が足りない部分があったのかもしれません。どこでも起こりうることかもしれませんが、ここで起きたことに違いはありません。

矛盾のなかを生きる

 センターに集まる人たちにとってセンターの閉鎖はどのような意味を持つのでしょうか。

 「センターが閉鎖したら困りますか?」と訊かれれば「そりゃ困るよ」と答えると思います。しかし、そこから「センター閉鎖反対」を主張するまでにはかなりの距離があります。「センターは寝るところじゃないんだから、ここにおる自分たちが悪い」という言葉も「センターの日」の繰り返しの中で聞いてきました。そう言いながらも「でもわしらに何の説明もないのは腹立つな」とも思っています。

 「自分でがんばれるうちは自分の力で生きていたい」という思いを知ろうとする者は目の前におらず、もしいたとしても、「生活保護を受ければいいのに」と素朴に思う人から返ってくるのは、力説する虚しさかもしれません。

 センターが閉鎖されてもっとも困る人たちは、センターが閉鎖されてもされなくてもすでに苦しい生活を送ってます。センターが閉鎖されればすでに苦しい生活がもっと苦しくなるだけで、自分の力で生き抜いていかねばならない毎日に違いはありません。

 私たちは希望を探すことすら、矛盾のなかを生きることからはじめなければなりません。前回も書いたように、変わらないという意味では何も変わっていないのです。みながここに生きていること、明日も生きていかねばならないこと、そして、そのために寄り合う仲間がいることも変わりません。この場所で何度でも再開し、ここに生きているありのままの姿を見せつけてやりましょう。それが「センターの日」です。

2019年5月9日(木)夜回り・NO! 追い出し

こんばんわ。よろず相談です。
 1、2ヶ月前から、難波宮の夜回りで、「役所の人間の人間が回ってきて、出ていってくれ」と言われているという話を耳にすることがありました。前回の夜回りのときに、難波宮の木立がひどい有様に切られており、何事かと役所に問い合わせました。すると6月28日と29日にかけて開催されるG20のために難波宮が警備拠点になるとのことで、見通しのいいように邪魔な木を取り除いたとのこと。警察車両が入り警戒網をはるようです。正確には、現難波宮旧跡の中のフェンスで囲われた空き地を占有するのですが、ふだん時を忘れさせるようなのどかな難波宮の空気がものものしい雰囲気になることでしょう。
 ほのぼのした公の場所を権力機構に占有させるとは。有事とあらば何から先に奪われていくのかがわかるような気がします。
 釜ヶ崎の労働福祉センターでは、3月31日で閉まるはずのシャッターが、労働者の抵抗で閉められず、1ヶ月弱の間開放されたままになっていたところ、4月24日の昼のさなかに突然200人もの警察が押し寄せ、道路を封鎖し、寝ている人を引きずり出して強硬にシャッターを下ろしました。その後も、シャッター前にテントを立て、抵抗は続いています。
 問題は、金儲けのために金にならんやつは追い出すということと、もう一つは、そのやり方です。力づく、だまし討、みせしめ、おどし、なんでもアリです。資本と政治が一体化して、権力の暴走が加速しているのです。
 われわれを安い賃金でコキ使うだけでなく、稼いだ金を税金やら商業施設やらアミューズメントパークやらコンビニやらなんやらかんやら今度は持っていかれる仕組みです。タコ部屋のような生活です。貧困から抜けだせるわけがない! しかも払わないなら力づくで追い出すというのですから太刀打ちできません。
 しかし、太刀打ちできなくても、プロレタリアートたるわれわれは、これに対し、ブーブー言わねばなりません。
 ブーブー言わねども、確実なことは、結局のところわたしらは生き抜くことこそ闘いである!ということだと思います。
 お上に歯向かってもなあ、、というのが庶民の知恵。したたかにのらりくらり、口では「わかりました」と言いつつ、居座り続ける根性、たぬき寝入り、居留守、話題をそらす、聞こえないふり、だじゃれ、なんでもいいです。おどしに乗って出ていく必要はありません。
 とはいえ、ヤクザまがいの行政です。この頃は法律もヤクザの味方。身を守りつつ、なにかあればひとりで悩まず、話を聞かせてください。

2019年4月25日(木)夜回り・イタリアに行ってきました/釜ヶ崎のセンターが開放されています

イタリアに行ってきました

 前々回のビラでイタリアに行っていたことをバラされてしまいましたので、イタリアの話をすることにします。

 3家族10人合同(うち義務教育年齢の子ども6人)でのイタリア旅行、8時間の時差を計算に入れておらず、6時間ちょっとで着くものと思って乗った飛行機のなかで、実質11時間かかることがわかって気が遠くなりました。

ローマに到着

 イタリアに到着したのは19時過ぎ、ローマにあるフィウミチーノ空港(別名レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)でした。宿泊先はホテルなどという上等なものではなく、Airbnb(エアビーアンドビー)、Booking.com(ブッキングドットコム)といったサービスを利用して予約したアパートでした(日本でいうところの「民泊」です)。

白タク(?)で宿泊地まで

 外れにある空港から宿泊地のあるローマ市郊外までどうやって行くか思案しながら空港の外へ向かっていると、見るからに怪しげなタクシー業者が待ち構えています。白タクじゃないのかと訝るものの、すでに20時前、11時間の連続フライトの後で疲れはてた頭と身体では、高すぎなければタクシーも検討したくなります。

 いくらか交渉して、10人ならタクシー1台で1人10ユーロ(1,300円くらい)でいいということになりました。8人乗りのファミリーワゴンに10人詰めて乗り、陽気な若いドライバーと英語での簡単なおしゃべりに耳を傾けながら、30分弱で宿泊先に着きました。

マトリューシカのようなアパート

 大きなアパートは、管理人がいるわけでもなく、あらかじめ通知された指示書のパスコードを入力して玄関の扉を解錠します。指示書の通り、1階フロアの奥まで行くと、やはりナンバーを合わせて解錠する小さな箱があり、さらにその箱の中に1階奥の扉を解錠するためのパスコードを書いた紙があるという念の入れようでした(しかし、それでセキュリティが万全かというと多少疑問です)。

 中に入るといくつか部屋がありました。ダイニングキッチンや二つあるバスルーム(トイレ)は共用です。廊下の壁際にに置いてあるソファとテーブルのうえには、世界地図が貼ってあり、宿泊客が自分が来た場所にピンを指す仕掛けになっていました。

 われわれが予約したのは10人部屋で、二段ベッドが三つ、ダブルベッドが一つ、そして、二段ベッドの下からさらに二つ簡易ベッドが引き出せるようになっていました。なるほど、10人分のベッドがあると感心しました。ところが、毛布や枕がまったく足りていませんでした。

 この部屋には、最初の2日と最後の1日の合計3日お世話になりました。アパートの向かいにはローマ第三大学という大学があり、このアパートももともとは学生向けの安アパートだったと思われます。ふだん観光開発を批判的に見ているよろずの立場からすると、「ジェントリフィケーションに加担してしまっているのでは……」と思わなくもありません。

ガルバテッラという地域

 ガルバテッラというこの地域は、戦前に開発が始まった労働者住宅の集まるところだったようです。また、1960年代は学生運動やヒッピームーブメントが盛り上がった歴史もあり、落書きだらけの街並みの中に政治的なメッセージを見つけることもできました。

 この旅のなかで、私たちは数々の貴重な体験をし、印象に残る物事を目にしました。「こいつはまた何回このネタでビラを書く気だ」とみなさん思われるかもしれませんが、ネズミ退治のシリーズのように気長におつきあい下さい。

釜ヶ崎のセンターが開放されています

 3月31日に閉鎖が通告されていた釜ヶ崎のセンターですが、多くの人びとが反対に集まり、閉鎖が阻止されました。現在、センターは24時間開放され、ソファとテーブルが運び込まれ、図書スペースが作られたり、ちょっとしたライブコンサートや共同炊事が行われています。

 水道やトイレは使えるものの、電気が止められ、一部閉じられたシャッターもあるために薄暗いスペースもありますが、労働者のための場所としてセンターは息を吹き返し、その本来の力を取り戻しつつあるようにも思われます。

 この場所を守るため、応援するために多くの人たちがセンターを訪れるようになっています。この流れを大阪中の仲間に伝えていきたいと思います。私たちは独りではありません。

追記

 昨日昼すぎに警官隊による襲撃を受け、中にいた人が強制的に排除され、障害物として停められていたバスもレッカー移動されて、完全に封鎖されました。

 行政代執行の手続きもなく、また人間を標的とした排除は完全に違法です。

 現地ではまだ攻防が続いています。この事実を忘れてはいけません。