大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年4月20日(土)第18回「センターの日」とその後の出来事について

第18回「センターの日」のあらまし

センター開放下での開催

 第18回目となった2019年4月20日(土)の「センターの日」は「センター開放」下で行いました。ふだんはビラを貼ってもすぐにはがされてしまうのですが、「すでに行政機関の管理下を離れている今なら貼り放題なのでは」と気づき、数日前に告知のビラを貼りました。

 電気の供給は止められ、3階は閉鎖されているものの、1階部分には多くの人の姿が見られました。「センター開放」の拠点となるテントがいくつも張られ、各地から応援に訪れた人たちが残した横断幕や造作物にあふれていました。「応援しまっせ! あなたのやる気── 西成労働福祉センター」の横断幕をパロディにした「応援しまっせ! みんなのねる気── 宮下公園ねる会議」は秀逸でした。

 北側の正面や南側のシャッターは降ろされているものの、中央部は行き来が可能であるため、ふだん以上のにぎわいが感じられました。とはいえ、日々出てくるゴミの問題や、センター清掃がないため、床やトイレは汚れが気になりました。トイレはシフトを組んで有志で清掃しているとのことで、頭が下がりました。

トラック野郎を上映

 映画は菅原文太主演、中島ゆたかマドンナの『トラック野郎』第1作目を上映しました。上映前にビラを配っていて「今日は何やるの?」と聞かれ、「トラック野郎です」というと、「おっ、トラック野郎やるの!」と人気の高さがうかがえました。

 いつもの場所は休んでいる人もいるので、少し下がったところにスペースを作りました。いつもよりスクリーンが大きかったので映像も大きめにしたのですが、これは失敗でした。プロジェクターで出せる光の量に限界があり、大きくしすぎると薄くて見づらくなってしまいました。とはいえ、今までになく多くの人が集まって、菅原文太愛川欽也の熱演に見入りました(常時30人くらいの人がいたと思います)。

 いつもは映画が終わるとすぐに人気がなくなってしまうところ、しばらくは留まっている人が少なからずいて、映画について感想やご意見をいろいろお聞きすることができました。いつも上映中のタイトルを書いた看板を立てているのですが、「ヒロインが誰なのかを書いといてくれんとあかんわ!」とのコメントにはなるほどと思いました。

 映画のリクエストをお訊きすると、やはり『男はつらいよ』や高倉健は人気なのだとわかりました。石原裕次郎の名前もあがりました。片付けをしながら試しに石原裕次郎の歌をスピーカーで流してみると、「おっ、裕次郎やな」とさっそく反応がありました。

 介助者を連れて立ち寄ってくれたのかなという人が何人かおられました。そのなかに映画が終わった後に「映画やるのか?」と話しかけてこられた方がいました。「今日はもう終わったんですけど、来月も第3土曜日にやりますから」というと、「ずっとこんなふうにできたらええなぁ。(みんなの場所を守るために)がんばってくれとるんやろ? 応援するわ!」と励ましていただきました。

4月24日(水)の強制排除

突然の報せ

 13時前、仕事に向かう途中で電話をもらいました。「今センターで強制排除がはじまってるみたいだから行けるなら行った方がいい」ということだったので、仕事をキャンセルしてそのままセンターに向かいました。

 スマートフォンでインターネットの情報を見ると、いきなりシャッターが一斉に下がりだして、止める間もなく閉鎖されてしまったようであることがわかりました。行ったところですべて終わっている可能性も考えられましたが、仮移転先の西成労働福祉センターの向かいのシャッターにお尻を突っ込んであった大型バスのところだけ無事なようでした。

 JR新今宮駅について横断歩道を渡ると、南海のガード側は南北の入り口が警官隊に封鎖されており、大型バスはアスファルトのはるか遠くに見えるばかりでした。正面側で知り合いの労働者の人に会いました。「来るべきものがもう来てしまった。もう終わってしまった」という感じの苦笑いを浮かべながら状況を教えてくれました。

 おそらく水も漏らさぬ封鎖体制がすでに敷かれているだろうと考えながら、センターの周りをぐるっと見て回りました。4月25日(木)の毎日新聞によれば大阪労働局と府の職員計約220人が動員されていたとのことですが、機動隊を合わせればそんなものではなかったはずです。

 インターネットの情報では中の様子はほとんど分かりません。誰が残されているのだろうかと気になっていると、ふだん「センター開放」でつめているはずのあの人もこの人も、包囲網の外にいました。警察は綿密な計画を練り、人が少なくなる時間帯をピンポイントで狙って強襲をかけたようでした。

 1人の人間に対して4人の警察官が四肢をつかみ、センターから締め出していったようです。3月31日以降、大阪府は話し合いをすると口にしていたと聞いています。それを無視しての強制排除が警察と手を組んで実行されたことになります。

 最後の楔だった大型バスも15時前にはレッカー車で引きずり出されてしまいました。その気になれば大型バスの一台や二台、簡単に動かせてしまうことに抵抗のむなしさを見せつけられるようでもありました。

 最後のシャッターが閉じられた後は機動隊に代わって府の職員が表に出てきて、抗議する人びとを足止めします。商工労働部の総務課長が「まずバスを動かしてもらわないとセンターの中に残った荷物を返せない」と言いながら、なかなか動こうともしませんでした。動きだしたと思ったら、抗議する人びとに押されるように南海のガードの奥に潜り込み、「センターの中に残された荷物は明日の15時に返す」と一方的に通告して立ち去ってしまいました。

仕組まれたできごと

 手薄になるところを狙って機動隊が強制排除を行い、レッカー車でバスを引き出して、全てのシャッターを降ろす。その後は府の職員と交代して抗議のガス抜きをするかのような茶番劇でした。実際これは仕込み通りのお芝居でもあり、センターの中では警察が残された荷物を物色するための時間稼ぎを府の職員はしていたのです。

 やたら若い機動隊員、竿の先に掲げられたビデオカメラが何台も回され、やがて予定されているさらなる排除のための情報収集ないし、実験をしているかのようでもありました。

 松井一郎と入れ替えで新たに知事になった吉村洋文は「リーガルチェックのうえ、排除した」とマスコミに語ったようですが、人間を強制的に立ち退かせることを正当化する法律など日本にはありません(そもそも行政代執行の手続きすら踏んでいません)。裁判になっても行政サイドが負けることはないだろうと見切りをつけることを「リーガルチェック」というのでしょうか。

今後のことについて

閉鎖後に起きた問題

 翌4月25日に残された荷物はシャッターの前に引きずり出され、5月24日までに持ち帰らなければ処分すると通告されており、この日にまた強行的な手段が用意されていることが予測されます。

 また、強制排除の当日の夜に、排除の報を聞いて駆けつけた女性がセクシャルハラスメントを受けていたことがわかりました。このことについてはビラも貼られているので、ご存知の方もおられると思います。この間、センター閉鎖の問題に関心を寄せる人たちがたくさん訪れました。その中で性暴力が起こっていたという事実には暗澹たる気持ちになりました。

 加害者が悪いのであって、釜ヶ崎の労働者一般が悪いわけではありません。呼びかけをした支援者の方にも配慮が足りない部分があったのかもしれません。どこでも起こりうることかもしれませんが、ここで起きたことに違いはありません。

矛盾のなかを生きる

 センターに集まる人たちにとってセンターの閉鎖はどのような意味を持つのでしょうか。

 「センターが閉鎖したら困りますか?」と訊かれれば「そりゃ困るよ」と答えると思います。しかし、そこから「センター閉鎖反対」を主張するまでにはかなりの距離があります。「センターは寝るところじゃないんだから、ここにおる自分たちが悪い」という言葉も「センターの日」の繰り返しの中で聞いてきました。そう言いながらも「でもわしらに何の説明もないのは腹立つな」とも思っています。

 「自分でがんばれるうちは自分の力で生きていたい」という思いを知ろうとする者は目の前におらず、もしいたとしても、「生活保護を受ければいいのに」と素朴に思う人から返ってくるのは、力説する虚しさかもしれません。

 センターが閉鎖されてもっとも困る人たちは、センターが閉鎖されてもされなくてもすでに苦しい生活を送ってます。センターが閉鎖されればすでに苦しい生活がもっと苦しくなるだけで、自分の力で生き抜いていかねばならない毎日に違いはありません。

 私たちは希望を探すことすら、矛盾のなかを生きることからはじめなければなりません。前回も書いたように、変わらないという意味では何も変わっていないのです。みながここに生きていること、明日も生きていかねばならないこと、そして、そのために寄り合う仲間がいることも変わりません。この場所で何度でも再開し、ここに生きているありのままの姿を見せつけてやりましょう。それが「センターの日」です。