コロッセオからバチカンへ
ローマ観光のはじまり
イタリアの朝は時差ボケではじまります。朝というよりまだ夜です。何時から寝はじめても必ず3時間ほどで目が覚めてしまい、しんどいのに二度寝できないまま明るくなるまでベッドで横になってすごします。
今回の旅行のメインはイタリア北部にあるトリノ市であり、ローマは航空券の都合で発着地となっているだけでした。とはいえ、せっかくなので二日目はローマ観光にあてることにしました。
そんなにあちこちまわることもできないので、「とにかくコロッセオには行きたい!」「バチカンのシスティーナ礼拝堂は見てきなさいと言われた」ということで、この二ヶ所に行くことになりました。
地下鉄ののりかた
宿になったアパートから徒歩で10分ほど、ゆるいカーブを描きながら分岐しては合流する起伏のある道のりを抜けると地下鉄のガルバテッラ駅があります。子どもを6人つれた観光客まるだしの10人の日本人が移動するので、どう見ても場違いです。飛行機の乗り降りと宿の利用方法以外はほとんど何も調べずに来ているため、電車の乗り方も一から確かめねばなりません。券売機のイタリア語を英語表記に切り替えて見てみると、イタリアの電車は利用時間によって料金が決まっていることがわかりました。日本では数駅ごとに料金が異なりますが、イタリアでは、100分乗り降り自由で1.5ユーロ(約200円)、24時間で7ユーロ(約900円)、72時間で18ユーロ(2,300円)といったふうになっています。
子ども料金がいくらかわからず、最初は子どもの分も同じように買っていたのですが、9歳以下は付き添いの大人一人につき一人無料ということがのちにわかりました。年齢は身長を基準に大まかに判断しているようでした。イタリアのバスも同じような仕組みで、どちらも日本よりゆるい感じでした。
コロッセオが目の前に
路線図を頼りに乗り換え駅を調べてコロッセオ駅まで行きました。「さて、コロッセオにはどっちに行ったらいいんだろう」とキョロキョロしていると、どっちも何も目の前にそびえ立っているのがコロッセオでした。駅の目の前に豪華な遺跡があることにびっくりしました。
すぐそばにはコンスタンティヌスの凱旋門という大きな記念碑があり、コロッセオの横の丘に赤れんがの遺跡が広がっているかと思えば、反対側は車道をはさんでふつうのアパートが立ち並んでいました。世界的な遺跡と都市が渾然一体となった風景が不思議です。お金のレートと相場感が今ひとつわからず、変にケチってコロッセオのなかに入らなかったことが悔やまれます。
バチカンへの道
コロッセオを楽しんだあと、今度はバチカンに向かいました。電車に乗った瞬間にアジア系の中年の女性から日本語で話しかけられました。「オッタビアーノに行くの? 私も行くところなの」……話しかけられてすぐに怪しいと思いました。オッタビアーノというのはバチカンの最寄りの駅ですが、この電車に乗ってきたというだけでバチカンに行くのだろうと声をかけてくるのも変です。
片言ながら日本語が上手で、両親は中国人だが自分はベトナム国籍で、日本語もしゃべれるようになりたいから勉強しているのだと笑顔で語ります。どこかで距離を取れないかと考えたのですが、この大所帯ではメンバー間の意思疎通も取れず、電車を降りてからも道案内されるかのように同行されることになりました。「バチカンにふつうに入るとものすごく並ばないといけない。インターネットで予約しなければならない」と訊いてもいないことをいろいろ教えてくれました。
すでに書いたようにわれわれは何ひとつ調べずに名前だけ知っている場所に適当に向かっていたので、システィーナ礼拝堂を見ること、バチカンに入るとはどういうことなのかまったくわかっていませんでした。要するに彼女は予約チケットの転売ビジネスの営業でした。バチカンのシステムもよくわからないし、提示された料金もめちゃくちゃ高いということもなかったので、結局彼女にお願いすることにしました。
行き当たりばったりのマヌケな三家族、さっそく引っかかってしまったわけですが、これから向かうバチカンがまさかあんなに恐ろしいところだとは思いもよりませんでした(つづく)。
釜ヶ崎のセンター続報
4/24の強制排除、センター閉鎖後も西側シャッター前ではテント屋が立てられ、抗議行動が続いています。5/19には三角公園で集会とデモ、5/21には府庁で抗議行動が行われました。センターの周りには今も休んでいる人たちがたくさんいます。追い出されてもどこかで生きていかねばなりません。生活を守るために力を合わせていくことが大切だと思います。近くに行った際はセンター開放行動のテント屋をのぞいてみて下さい。よろずも応援しています。