文章はなぜ書けるのかを考えてみましょう。文章を書くためにはまず最低限文字が書けねばならないでしょうが、そこまで細かく考えるのはやめておきます。
人は何かを考えてしまうものだし、考えるためには言葉を使うのだから、それを文字にしてしまえば文章になるはずです。しかし、実際は私たちは文章のように考えていないので、考えを文章の形にまとめなおす必要があります。
「文章をふくらませる」と言いますが、文章を書くためには、文章にまとめてもその後に残骸が残るほどの余裕が必要です。ふだんあれこれ考えていて、どういうことなのかまとめてみたいという欲求があってこそ、文章はまとめられるのでしょう。
あるいは、それと意識していなくても、何かができているということは、そのためにやっていることがあるはずで、やっているからにはまとめられるだけの素材を発見するということもあります。
文章を書くには技術が必要で、分かりやすく書くための技術もあれば、難しいことを難しいままに書き切る技術というのもあります。しかし、問われるべきはなぜ文章は書けるのかでした。簡単か難しいか、上手いか下手かとは関係のない水準でこれを問いたいのです。
そもそもなぜこんなことが問われねばならないのか、目的を達したればこそ、明らかになるのだとすれば、その答えは「問いがあるから」ということになります(やれやれ……)。
来月の寄り合いは3月10日を予定しています。