大阪城公園よろず相談

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2018年2月8日(木)第14回哲学読書会『自由の哲学』

 今回はルドルフ・シュタイナー自由の哲学』を読みました。読み進めていくと「ああ、ここはカントを踏まえているのかな?」と、よく知らないながらに気づくところがあります。「この本は勉強になりそうだから」というKさんの提案で、第1部と第2部以降の2回に分けて読むことにしました。したがって、今回は第1部までを読みました。

 書き出しから刺激的で、はたして自由は可能なのか、可能だとすれば、どのようにして可能になるのかという問いが投げかけられます。第1部では、まだ「自由とは何か」に踏み込んだ議論にはなりません。第2部以降に展開される自由論のための下準備という位置付けになりそうです。よくわからないところも、第2部以降の伏線であることを念頭に読めば、複雑さ、難解さに引きずられずに受け入れられるかもしれません。

 とはいえ、「途中で挫折してしまった」というメンバーもおり、決してわかりやすい本というわけではないようでした。第1部は、シュタイナー独自の視点から、科学的認識のあり方が繰り返し述べられています。一元論と二元論を批判しつつ、思考の役割に重きを置いた認識論が展開されます。認識はあくまで一人ひとりが行う「個的」なものでありながら、一人ひとりがまた宇宙の一部でもあるのだという全体をとらえる視点も組み入れつつ、シュタイナーの考え方が展開されます。

 みんなの議論では(まだ第1部では踏み込んでいないところではありますが)、「自由であらねばならない」という立場、規範的な「自由」に対する懐疑が語られていました。「自由の哲学」というタイトル、そして、認識のあり方を綿密に問うていく文章を読んでいるだけでも、シュタイナーの語らんとする「自由」が、努力によって獲得されるものであり、また、それを他人にも求めるものであろうことは感得させられます。

 この本を選んだきっかけの一つに、哲学で取りざたされる「自由意志」とは何か、勉強してみようということがありました。また、名前だけは知っている「シュタイナー教育」への興味もあります。次回は、「自由とは何か」という本質のところを読んでいきたいと思います。