大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

釜ヶ崎の外へ/開会のあいさつ

 この記事に収録したのは、2022年2月5日(土)に開催されたトークイベント「釜ヶ崎の外へ——2000年代の行政代執行、以前/以後の経験から学ぶ」の開会のあいさつとして配布されたテキストです。

センターの日番外篇「釜ヶ崎の外へ——2000年代の行政代執行、以前/以後の経験から学ぶ」 - 大阪城公園よろず相談

 当日の様子は前後半に編集した動画でご覧いただけます。以下のテキストは前半の動画の冒頭部分に当たるので、動画に代えて読んでいただくこともできます。

釜ヶ崎の外へ行政代執行以前/以後の経験から学ぶ 前半 - YouTube

釜ヶ崎の外へ行政代執行以前/以後の経験から学ぶ 後半 - YouTube

開会のあいさつ

 今日のイベント「釜ヶ崎の外へ 2000年代の行政代執行、以前/以後の経験から学ぶ」は、映画『長居青春酔夢歌』とトークセッションの二部構成です。

 この映画は長居公園テント村と2007年の行政代執行を題材とした作品です。この頃、大阪中に野宿する人たちがいて、あちこちにテント小屋があり、公園にはテント村がありました。テント村にはエネルギーがあふれていて、支援者とか研究者とか呼ばれる私たちは、そのエネルギーに引き寄せられました。野宿する人たちが釜ヶ崎の外へ広がっていく中で、野宿者運動も釜ヶ崎の外へ向かったのです。

 大阪市は自立支援センターを作り、公園にシェルターを立てて、就労自立と福祉自立を目指すべく、テントで暮らす人たちにテントをたたむことを迫りました。これに従わなければ、待っているのは強制立ち退きでした。排除に反対する運動と並行しつつ、そうして、テント小屋の数、野宿する人たちの姿は減っていきました。

 今、釜ヶ崎は生活に困った人たちの最後のよりどころであるように語られています。これは、釜ヶ崎の街には運動の中で実現されてきた取り組みが集中しているということと、野宿する人の姿がまとまって見られるのが今や釜ヶ崎だけになっているためでしょう。2012年にはじまった西成特区構想は、釜ヶ崎に蓄積された社会資源を活かした社会包摂の仕組みづくりを理想として掲げています。こういった社会包摂の仕組みは、野宿者運動が排除と闘い、実現させてきた権利の上にあるものです。シェルターや自立支援センターではなく、路上から生活保護を受ける権利も、反排除の粘り強い取り組みがあってこそ、広がってきた選択肢でした。

 ところが、西成特区構想のまちづくりが進む過程で、釜ヶ崎では強制立ち退きが繰り返されています。包摂をうたい文句にしながら、用意された包摂の道に乗らないものへの排除が強行されるようになっています。15年前に大阪市がテント村を潰していった時と、基本的な排除の構造は変わらないまま、包摂の仕組みが増えたがゆえに、排除は見えづらくなり、反排除の訴えは届きにくくなっています。包摂が排除を後押しし、反排除が包摂にからめとられるようになっているのです。

 排除とは何なのか、排除に立ち向かうとはどういうことなのか。目の前の排除をふせげるかふせげないかがすべてではないし、からめとられるからといって排除に反対するのをやめるわけにもいきません。排除に立ち向かう過程で生まれてくるものもあるはずです。今の釜ヶ崎で起きていることを理解し、現状を打開するためには、釜ヶ崎の外で野宿者運動が経験したことをふりかえりつつ、釜ヶ崎の内と外の視点を交差させて考える必要があります。そこで、トークセッションでは、当時の釜ヶ崎の外の野宿者運動の取り組みを牽引した二人をゲストにむかえ、当時の経験をお聞きしながら、この問いの答えを探りたいと思います。