大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年3月17日(土)第5回「センターの日」──壁面写真展

 2月の「センターの日」は吹き止まない寒風にさらされましたが、3月はまた柔らかな日差しの下で行うことができました。

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 その場で豆を挽いてコーヒーを淹れることにこだわってきましたが、ミルが悪いの豆が悪いのか、淹れる人間の腕が悪いのか、ドリップし終わるまで時間がかかり、大変お待たせしてしまいました。コーヒーマイスターがいない時は、市販の挽いた豆でご容赦ください。

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 いつもより大きなブルーシートを敷き、2倍のスペースをとって設営しました。2月から用意している大きな地図を囲んでおしゃべりできたら面白いと思うのですが、もう一工夫必要な印象です。

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 かつては早朝4時台にセンターに来れば、現金をつかまえることができたように思うのですが、現在は2時半に来なければ無理だとお聞きして驚きました。顔づけが厳しいので、3時半だともう遅いそうです。

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 「ならび」の仕事をやっているという方のお話もお聞きしました。釜ヶ崎には最近来たのだが、知り合った人がいろいろ教えてくれて助かっているそうです。そのエピソードをいろいろお聞きしていて、「そんなやり方もあるのか」とこれまた驚かされました。

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 釜ヶ崎の写真は関心を示してくださる方が多いので、今回はプリントアウトした大きめの写真を用意しました。A4サイズの紙にプリントアウトした写真をセンターの壁面に貼っていくと楽しい感じがします。立ち止まっておしゃべりをするにも適しています。差し向かいで話をするより、お互い同じ方向を向いて、同じ風景を見ながらおしゃべりをする方が気安いようです。

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 センターの移転、建て替えがについてのお話も少しうかがうことができました。センターが住吉区に移転されると聞いたという方は「(仕事仲間や友だちは)みんなセンターに来るのに、みんなバラバラになって会えなくなる」とおっしゃっていました。

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 センターが社交の場であることは、これまでの「センターの日」を通しても感じました。センターはどこに立っても全体が見通せないほど広い建物です。可視的であると同時に不可視でもあるところがセンターの空間としての要なのかもしれません。話しかけたりするわけではなくても、センターに立ち寄ったり、外出の際に通り抜けたりするだけで、お互いの姿を認められるます。他人の姿をそれとなく眺めることで、自分自身のおかれた状況を確かめ直すような時間が人には必要なのではないでしょうか。

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 今回から開始時間を13時半にしましたが、まだ人通りもまばらなので、もう少し遅めにしてもいいように感じました。終了間際の16時になると、仕事帰りの方が大勢センターに戻って来られます。5月からは時間帯を後ろ倒しにして14時からの開始にして、17時くらいまでやってみようと思います。

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カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力いただけると幸いです。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

「公園を盗むな!花見有料化粉砕デモ」のお知らせ

公園を盗むな! お花見有料化粉砕デモ!

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盗まれた公園

 都市公園はむかし、社会の矛盾を引き受ける懐の深い場所でなかったか・・・。

 都市公園が持つ陰は、ただ明るさを求める人々にとって恐ろしく踏み入れがたかったかもしれない。鬱蒼とした森、噴水、広場、並木道、ベンチ、湿度の高い東家、児童公園の子どもたちのはしゃぐ声、夕方になると聞こえてくるトランペットの音色、そして桜、どんちゃん騒ぎ。人間社会の明暗をその時々に映し出し、巨大な生き物のように、公園は私たちをその懐に宿らせてくれたのではなかったか。

 そう。公園はいつも私たちの自己表現の場であり、解放の場であり、救済の場であり、休息の場であり、逃避の場であり、出会いの場でなかったか

 しかし今や、私たちが公園で営むさまざまな行為は消費行動とすり替えられ、資本家の手のひらで踊らされていることに気が付かねばならないだろう。

 さかのぼること3年前、大阪城公園はPMOによって公園まるごと企業に売り渡されてしまった。都市の中心部に100ヘクタールもの広大な土地を2億5千万(年間)で手に入れた企業は公園をあっという間に商業地に作り替え、こともあろうに今年の春はお花見を全面有料化すると宣言した

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階級闘争としてのお花見有料化粉砕!

 公共の空間からいわゆる「一般市民」すら締め出すこのお花見有料化とはなんなのか。

 金儲けということももちろんそうだろうが、それ以上に、この堂々たる宣言は、公園の所有者が今後誰になったのかを知らしめる意味が大きいだろう。今後、この公園では我々の決めたルールに従ってもらうという、支配宣言である。つまり、「金を払え」ということであり、「嫌なら出ていけ」ということであり、「貧乏人は給仕をしろ」ということである。「会社で稼いだ金をまた出しやがれ!」ということである。労働力として切り売りした心身の再生産にかかる費用を持ち出せという、2重の搾取を私たちは強制されることになる。結局のところ労働者でしかない我が身の置き所をいったい私たちはどこに見いだせるのだろう。

 一方で、資本の都市回帰熱は現在沸騰中だ。公共の空間を買い叩き、開発し、利潤を吸い上げようと躍起である。その熱は空き地、公営住宅都市公園寄せ場へと伝導し、既存の生活者を締め出すことに関して無垢を装い、まるですべての人が享受できるかのような夢の世界を私たちに示してみせる。しかし、私たちは黄色いトマトを差し出して門前払いを食らって泣いてしまうペムペルとネリのように、暗い丘の道をとぼとぼと帰らなければならない。

 だから、このお花見有料化粉砕デモは、階級闘争として位置付けるべきなのである

 思い返せば2002年のホームレス仮設一時避難所設置から始まり、2006年のテントの行政代執行、露天商の一掃、駅周辺の再開発へと、15年かけて着々とジェントリフィケーションは進行していた。今回のお花見有料化はもはやその仕上げ段階であることを私たちに示唆している。 

声高らかに叫ぼう!肉を焼かせろ!

さあ!ブルーシートを広げよう!

 資本家連中に、お花見で仲間と焼き肉をしたい、という私たちの欲求をそのままぶつけよう。場所をあけろ!もちろんタダでだ!

 お前らに払う金はふだん食えない牛肉代に回したいのだと!

 給仕はいらない、自分でやるから!と、切り替えしてやろう!

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日時 2018年4月1日(日)

集合時間 午前10:55(11:00出発厳守)

集合場所 難波宮跡公園北西角

ゴール JO-TERRACE OSAKA

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主催 お花見有料化に反対するデモ実行委員会

2018年3月15日(木)夜回り・無料は有料化のはじまり

 ようやく暖かくなってきました。桜のつぼみもふくらんで、お花見シーズンを待つばかりといったところです。ところで、大阪城公園長居公園では、今年からお花見のバーベキューゾーンが有料化されることが2月頭にとつぜん発表されました。特に大阪城公園は完全有料化です。長居公園でも、無料ゾーンは入れ替え制の予約方式になるとのこと。

 大阪市は、利益を出さない範囲で料金を設定しているといいます。ところが、一般の宅配バーベキュー業者の場所取りのみのサービスと比較しても、数百円安いだけですし、場所取りに要する手間や人件費が不要なので、かなり安くついているはずです(肉の販売も別途するつもりのようです)。また、利用時間もたった2〜3時間なので、単価も高く設定されていることになります。お花見バーベキューをうたいながら、桜の木のないところも「森の中のカジュアルゾーン」などと称して、価格差をつけて売りつけるつもりです。

 「無料ゾーン」ができた時には、すでに有料化がはじまっています。釜ヶ崎では最近、無料駐輪場が増設され、もともと路上に停めてある自転車には取りしまりのタグがつけられています。わざわざ無料を言いだすヤカラには注意が必要です。

第5回「センターの日」のお知らせ

 第5回「センターの日」を3月17日(土)13:30〜15:30に行います。

 今回の写真は1960年代の釜ヶ崎です。南海線のガード下のバラックと思われます。

 ようやく暖かくなってきました。ぼちぼち企画ごとなども取り組んで行きたいと思います。今回は、1960年代の釜ヶ崎の写真を引きのばしたものを用意する予定です。写真を元に労働者の生のコメントを聞きにお集まりください。

 これまでの報告はこちらから(第1回 第2回 第3回 第4回)。

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2018年3月1日(木)夜回り・持つことと暮らすこと

 引き続きネズミと戦っています。超音波発生装置でだいぶマシになった感じがあったものの、解決にはまだまだ遠い道のりが待ちかまえていたのでした。一つ一つの出来事が衝撃的で、どこから書きはじめたらよいやらわかりません。

 いくつかある対策の一つとして、食料をネズミの手の届かないところにしまうことがあります。新しく容器をそろえるのも大変なので、どうでもいいもので埋まっている戸棚やケース類の中身を食料の保管用に入れかえました。ハンカチや下着入れになっているケースの中身を移しかえるために、何段にもわたって新品のタオルが山のようにつめこまれている洗面所の戸棚の中身を空けることにしました。すると、各引き出しの新品のタオルの上にネズミのフンが散乱していました。ここがネズミの寝床になっていたのです。

 贈答品のタオルはビニールや添え書きの紙が食い破られているものもありました。ぞうきん用にと古いタオルを大量に保管し、使いもしない新品のタオルで貴重な収納をあふれかえらせてネズミの寝床を用意してやっていたと思うと、どうしようもない忌々しさにおそわれます。

 人は、最大限活用する必要を考えて、いろんなものをためこむのだと思います。しかし、物を持つことによって失っているものもあるのだと思います。持たなければ暮らせない、持ちすぎても暮らせない。このシリーズはまだまだ続きます。

 

2018年2月17日(土)第4回「センターの日」──強風にあおられながら

 冬になるとセンター1階を吹き抜ける強風に悩まされます。この強風では、誰も立ちよってくれないのではと思いましたが、結果的には多くの方がのぞいていって下さいました。

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 ダンボールで作った風防を用意しても、残り少なくなったボンベではカセットコンロの火がすぐに消えてしまいます。新品のボンベに取り換え、カンパでいただいたやかんでお湯を沸かしました。

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 「センターの日」常連の方に、寒い日にはみんなどこで過ごしているのかをお聞きしました。「禁酒の館だね。あそこは暖房もあるし」「お茶も飲めるけど、お茶は三徳寮の談話室の方が美味しい」といった居心地のほか、利用できる時間帯なども教えていただきました。高齢の方になると、ふるさとの家で過ごすケースもあるようです。同じ場所にずっといるのに飽きた頃にふらっとセンターに顔を出して、立ちよっていただいているのでしょうか。

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 コーヒー片手にお聞きした話を共有するのに、何か面白いアイデアがないかと考え、釜ヶ崎の地図とセンターの見取り図を大判の紙で用意しました。ところどころふせんを貼ってみましたが、強風にあおられて、地図を広げるだけでも一苦労でした。これから暖かくなるにつれ、ゆっくり作業することもできるようになるでしょうから、少しずつ準備をしていきたいと思います。

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 毎回、話のきっかけになればと、本を持ってくるようにしています。有名な『定点観測釜ヶ崎』の増補版と、もう一冊、昨年出た『釜ヶ崎』という写真集はみなさんの関心を集めていました。パネル展示なども面白いかもしれません。マンガ版の『鬼平犯科帳』にはたくさんファンがおられるようでした。

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 前回カンパを下さった方から、またカンパをいただきました。特掃の仕事中の方に声をかけられてビラをお渡しすると「毎週でもやって欲しいわ!」と笑顔で言っていただきました。勝手に集まって、何のしがらみも縛りもなくおしゃべりする「センターの日」をよろしくお願いします。

カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力いただけると幸いです。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

2018年2月8日(木)第14回哲学読書会『自由の哲学』

 今回はルドルフ・シュタイナー自由の哲学』を読みました。読み進めていくと「ああ、ここはカントを踏まえているのかな?」と、よく知らないながらに気づくところがあります。「この本は勉強になりそうだから」というKさんの提案で、第1部と第2部以降の2回に分けて読むことにしました。したがって、今回は第1部までを読みました。

 書き出しから刺激的で、はたして自由は可能なのか、可能だとすれば、どのようにして可能になるのかという問いが投げかけられます。第1部では、まだ「自由とは何か」に踏み込んだ議論にはなりません。第2部以降に展開される自由論のための下準備という位置付けになりそうです。よくわからないところも、第2部以降の伏線であることを念頭に読めば、複雑さ、難解さに引きずられずに受け入れられるかもしれません。

 とはいえ、「途中で挫折してしまった」というメンバーもおり、決してわかりやすい本というわけではないようでした。第1部は、シュタイナー独自の視点から、科学的認識のあり方が繰り返し述べられています。一元論と二元論を批判しつつ、思考の役割に重きを置いた認識論が展開されます。認識はあくまで一人ひとりが行う「個的」なものでありながら、一人ひとりがまた宇宙の一部でもあるのだという全体をとらえる視点も組み入れつつ、シュタイナーの考え方が展開されます。

 みんなの議論では(まだ第1部では踏み込んでいないところではありますが)、「自由であらねばならない」という立場、規範的な「自由」に対する懐疑が語られていました。「自由の哲学」というタイトル、そして、認識のあり方を綿密に問うていく文章を読んでいるだけでも、シュタイナーの語らんとする「自由」が、努力によって獲得されるものであり、また、それを他人にも求めるものであろうことは感得させられます。

 この本を選んだきっかけの一つに、哲学で取りざたされる「自由意志」とは何か、勉強してみようということがありました。また、名前だけは知っている「シュタイナー教育」への興味もあります。次回は、「自由とは何か」という本質のところを読んでいきたいと思います。