大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2023年12月16日(土)第72回「センターの日」——中島写真を読み解く①——理解を深めていく過程と結果

中島写真を読み解く①——理解を深めていく過程と結果

 「センターの日」のビラでも使わせていただいてきた中島写真。1947年生まれの中島敏さんは、労働者として働きながら1969年から釜ヶ崎の写真を撮り続けています。釜ヶ崎史料研究会が中島さんから預かった写真は40冊分、今回は電子化が完成している2冊目の最初の35枚の写真を見ていきたいと思います。

 まず読み解く前提として、フィルムに収められた写真は撮られた順番に並んでいることを確認しておきたいと思います。アルバムに添えられたメモにより、この35枚は1972年に撮られたことが分かります。これが同じ日に撮られたものかどうかまでは分かりませんが、濡れた路面が写っていたり、労働者のかたわらに雨傘が見られることから、雨上がりの釜ヶ崎の姿を撮りに出かけたように思われます。

 中島さんの目に留まり、貴重なフィルムを使って残しておこうと思った風景はどんなものでしょうか。このフィルムにある風景は①釜ヶ崎内の食堂や雑貨店、洋品店の前を行き交う人々、②キリスト教会の門扉、③三角公園で焚き火を囲む3人、④露店をのぞく人々の後ろ姿、⑤阿倍野の歩道橋、⑥新今宮駅から見下ろしたセンターの風景、⑥洗濯物が干された高階層のドヤの壁面、④下宿の一室、⑤公園の囲いに腰かけて新聞を読む男性の6種類です。

 ③焚き火を囲む3人、⑤阿倍野の歩道橋、⑥センターは別の写真をはさんで2度登場します。③は、よく見ると公園の外の少し離れた場所から撮られたものもあります。そんなに広い範囲ではないにしても、街の中を行ったり来たりして写真を撮っていたことがうかがえます。時間が経っても相変わらず焚き火に当たっている労働者の姿が印象的だったのではないでしょうか。このフィルムに写っていないものを先取りしてしまいますが、⑤の男性はこの続きのフィルムの最後の方にも登場するので、少なくともここからフィルムを入れ替えた2本目までは同じ日に撮られたと思われます。

 ⑤の男性の前に写っている④下宿の一室は中島さんの自宅でしょうか。「街歩きをして写真を撮って、いったん帰宅した時にふと思いついて自分の部屋を撮った」というふうに思えます。となると、⑤の男性を含む最初のフィルムの最後と、その続きは別の日に出かけた際に撮られたものなのかもしれません。しかし、男性のかたわらには雨傘があることが気になります。⑥洗濯物が干されたドヤの外壁は、雨上がりにもかかわらず外に干されている衣服が気になったものであるように思われます。

 ②教会の門扉から「クリスマス礼拝」と書かれている立て看板が見えるところを見ると、12月後半の釜ヶ崎の風景なのでしょう。④の部屋は畳にベッドが置かれていて、テーブルの周りは吸い殻満載の灰皿がいくつもあり、ベッドの周りにもやはり灰皿代わりと思われる空き缶があちこちに吊り下げられています。

 写真全体をよく見ると影が長く、逆光で撮られた写真の陽は低いようです。夕方から写真を撮りはじめたとは考えにくいし、⑥センターには人だかりが見られます。しかし、おそらくは早朝まで雨が降っていて、あまり仕事はなかったのでしょう。中島さんも「今日は雨だし、仕事に行くのはよして、写真を撮りに出かけよう」と考えたのではないでしょうか。

 中島さんの写真は直感的に撮られたものというより、自分の中でイメージをすり合わせながら理解を深めていく過程であり、その結果として形になっているように感じられます。こんなふうに写真家中島敏が写真を撮る行為の過程を理解しながら、中島写真を読み解いていきたいと思います。

※書き終えたあとに大きなかんちがいに気づきました。次回書きます。

 

2023年12月7日(木)夜回り・肯定的に受け入れることに是非はなし

 前回初めてお話しした方から、よろずの名前は聞いたことがあると言われました。よろずと関係の長い人たちがあちこちで話題にしてくれているらしいことを知りました。たいした支援もできませんが、気軽に相談していただけるとうれしいです。

 夜回りをしているのはよろずだけではないし、大阪城公園界隈だけではありません。また、野宿者にかかわるのは民間の支援者だけでなく、行政関係者や民間事業者などさまざまでしょう。野宿しているみなさんは、その場所ごとにその場所に紐づけられた関係を無数にお持ちだと思います。

 決して楽な暮らしではないと思いますが、路上や公園で出会いがあり、関係を作っていくことが、実利一辺倒に変えられつつある大都市の公共空間を私たちの手に取り戻すことなのだと思います。たとえ強いられたものであっても、そこに生きる人たちの存在をまず肯定的に受け入れることに是非はないはずです。

 12/29(金)は年越しそばを予定しています。市民の森でお会いしましょう。

2023年11月23日(木)夜回り・金額に現れないコストと儲け

 このあいだの日曜日は、前日の荒天から一転して、穏やかな天候のもとで寄り合いを行うことができました。久しぶりに顔を出してくれた人同士がまた顔を合わせ、雑談に花が咲いていました。

 釜ヶ崎にある三徳ケアセンターやシェルターを利用している人同士の情報交換を興味深く拝聴しました。お湯を使えるので、夜回りや寄り合いでお渡ししたアルファ米が役に立ったと聞いて安心しました。最近はアルファ米もストックが尽きて、チョコレートを配っていますが、どんなものがあると助かるのかもお聞きしてみたいです。

 最近の銭湯の値上げについて「520円は違和感がある」という話もありました。「490円だと、まだ500円の手前で安くしてくれている感じがあったけど、520円になると……」というわけです。こないだ1,000円札を出すと、「20円ない?」と番台のおばちゃんに問われました。お釣りの受け渡しにも金額に現れないコストが発生していることになります。

 来月はもう恒例の年越しそばになります。集まって食べれば金額に現れない儲けもあろうというものです。また日程をお知らせします。

2023年11月9日(木)夜回り・都市もまた自然の一部

 先週は11月だというのに連日暑い日が続きました。今週末はまた冷えるようです。いいかげん来月は12月と考えると、さすがにもう暑い日は来ないとは思いますが、今年の冬はどうなるのでしょう。

 ほかに話題と言えば、阪神タイガースの優勝や各地での熊の被害でしょうか。冬眠前に栄養を蓄えようと甘いものを求めて里に降りてくる熊が増えているようです。大阪では関係ないかと思いきや、茨木市でも熊の目撃情報があるようです。

 大阪城公園に熊は出ないでしょうが、渡り鳥が羽を休めに寄るところであることが知られています。都市に自然はないように思われがちですが、都市もまた自然の一部なのだということを鳥たちは教えてくれます。熊たちにとってみれば、人間が住むところも行動範囲に含みうるし、自然も都市もないのかもしれません。

 鳥も熊も、生きていくために必要なことをしているだけなのだとしたら、人もまた生きていくために必要なことをしなければなりません。そこが路上でも公園でも人の生きる場所に違いはありません。

 今月19日は久しぶりに寄り合いを予定しています。雨が降らないことを祈ります。

2023年10月26日(木)夜回り・シェアリングエコノミーが目指すもの

 万博に合わせて大阪でライドシェアを導入しようという話が出ています。どうやらヒッチハイクを有料で仲介するようなことをスマートフォンのアプリを使ってやりたいようです。テクノロジーを使ってなんでもお金に変えようという流れの一つなのでしょうが、節約しているつもりで身体の芯まで搾り取られようとしているような気持ち悪さがあります。

 経済を循環させるのは生活を豊かにする手段であるはずなのに、ここでは主客が逆になっています。たしかにシェアリングエコノミーがこれまでにない価値を生み出しているところはあるのでしょう。しかし、価値を生み出しているのは「シェアリング」の方で、「エコノミー」がくっつくことで、それが新しいものだと錯覚させられているだけなのではないでしょうか。

 持っている人が限られたもの、あるいは余裕のあるものを誰かに貸してあげたり、共有したりすることはそれ自体価値を生み出しているはずです。そのような関係を作り上げること、あるいは関係が積み重ねられたところにそのような価値が備わるのが本来であって、それを無理やり作らされ、親切ごかしに値段をつけられ、勝手に売り物にされているような気持ち悪さを感じます。

 極端なたとえ話かもしれませんが、そのうち「野宿してもいい場所を任意で登録し、それをシェアリングする画期的な仕組み」なんてものが出てくるかもしれません。しかし、今の社会が向かっているのはそのような方向です。

2023年10月21日(土)第70回「センターの日」——楽しもうとしてしまう本能

楽しもうとしてしまう本能

 9月の「センターの日」はお好み焼きとかき氷を楽しみました。今年はかき氷はこの1回しかできませんでしたが、とても盛り上がりました。ゆったりお好み焼きを作って、かき氷はお好み焼きが切れてからぼちぼちやろうと思っていたのですが、ひっきりなしに希望があり、おおわらわでした。最終的に玉出で買った4袋ものバラ氷を使い切りました。久しぶりに甘い香りの焙煎コーヒーもいただきました。

 8月は予告なしで中止にしたところ、「30分待ってた」「みんな待っとったで! 5人くらい」とお叱りを受けました。しかし、楽しみにしていただいていたのだと知れて、うれしかったです。前回の報告で「センターの日」でやってきたことをまとめていくと書いたのですが、まあ別にそんなこと急いでしなくていいかという気持ちになりました。

 四天王寺では毎月21日と22日に縁日が開かれています。食べ物の店もあれば、乾物を売っている店もあります。骨董品やどこかの売れ残りのような品物を並べた店もあり、隅っこの方では本当にガラクタをかき集めて並べているような店もあります。店舗で見ても見過ごしてしまうようなものも、こうして並んでいると魅力的に感じられます。

 この風景を見ていて、かつての釜ヶ崎のドロボー市を思い出しました。あの頃、路上には屋台が並んでいました。釜ヶ崎は、いろんな人が自分の手元にあるものを持ち寄って食い扶持を稼ごうというアイデアがごちゃ混ぜになって、固有の魅力を生み出していたのだと思います。

 「センターの日」って何なのだろうという答えの一つとして、これは縁日の屋台や出店のようなものなのだなと思いました。そして、釜ヶ崎の街は、街自体が毎日どこか縁日のような魅力を宿らせていたのでしょう。その中でも、センターは四天王寺の境内のように周囲から切り分けられた聖域だったというわけです。

 ただ生きているだけでは面白くない。どんなに苦しい状況だろうと、楽しみがなければやっていられない。生きている以上、楽しもうとしてしまうのが人間なのだと思います。人間の本能であるともいうべきその楽しみを、この街は守っていけるのでしょうか。

2023年10月12日(木)夜回り・何度となくお会いしてお話しできる機会

 蚊取り線香の季節が終わり、足早にカイロの季節に切り替わりつつあります。ドラッグストアを定期的にのぞいていると、本当に秋がなくなってしまったのかと思わされますが、そもそも秋を象徴するアイテムというものもないし、商品の入れ替えが早まっているだけなのかもしれません。

 10/8は寄り合いの予定だったのですが、雨の予報だったので中止にさせていただきました。天気予報のアプリを見ると雨雲が帯状に広がっていました。しかし、本降りの雨は翌月曜日にかかっていたようです。

 前回の夜回りでは、行政の職員から「生活保護受けてもアルミ缶集めたらいいと、あいつらはバカなことを言う」というお話を聞きました。野宿生活の中で生きるために必死でしている仕事を、まるで楽しくてやっているかのように言われたくないというわけです。

 たしかにその通りだなと思うとともに、生きるためにやっていることは、仕方なしであれ、意味を感じられることなのだと思います。そうなると、生活保護の暮らしでは何に意味を見い出すことができるのでしょう。それならまだがんばれるうちはと野宿生活にとどまる人もいるのかもしれません。

 また、話しかけて「バカにするな!」と怒られたのも前回のことでした。誰かがまちがったことをすることがあったとしても、自分たちが正しいことをしているとは限りません。何度となくお会いしてお話できる機会があることを願っています。