大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

第34回全国地域・寄せ場交流会の第7分科会を担当します

  2017年9月16日・17日に第34回全国地域・寄せ場交流会が開催されます。寄せ場交流会では、全体会のほか、2日に渡っていくつかの分科会が設けられています。大阪城公園よろず相談は、扇町公園長居公園で活動する仲間と共同で、分科会のうちの一つを担当することにしました。

 以下は、分科会の呼びかけ文と、分科会で配布する予定の文書です。今回の寄せ場交流会は、京都の関西セミナーハウスで開催されます(参考)。

第7分科会 資源ごみ回収規制条例について(仲間の交流会)

「あの頃の野宿者問題と今の野宿者問題は何か違う……

 グローバリゼーションの中でからまり合う〈ジェントリフィケーション〉〈貧困の犯罪化〉〈2つのプライバタイゼーション(商業化・私営化)〉が、私たちの都市をどう変えようとしているのか。

 2017年、大阪市の「遅れてきた資源ごみ回収規制条例」をもとに、大阪城公園長居公園扇町公園の経験から考えます。全国のみなさんの現場で抱える違和感や出来事も教えて下さい。 

1 「あの頃」から「現在」へ

 この分科会の呼びかけ文の中で、私たちは「あの頃」と書きました。「あの頃」とはいつのことか。さしあたり2007年を区切りに、この10年を、私たちが拠点とする大阪を中心にふりかえってみたいと思います。

1.1 見えにくくなる野宿者の姿

 2007年2月に長居公園テント村が行政代執行により強制撤去されました。この排除を最後に、大阪ではしばらく行政代執行という強行手段がとられることはありませんでした。「民主の風」と呼ばれた政変と重なるこの時期、大阪市では平松邦夫(2007年11月)、大阪府では橋下徹(2008年1月)という「民間出身」の首長が相次いで誕生しました。表に出てこない排除は行われていましたが、やがて来る大きな状況の変化を準備する潜伏期間であったかのように、野宿者問題は「置き去り」にされていました。

 2000年代の釜ヶ崎の福祉アパートの普及や、2008年の厚労省の通達もあり、野宿状態から生活保護を受けやすくなりました。その一方で、大阪市はテントを立てさせない方針を徹底させ、目に見える野宿者の数は減少していきました。

1.2 若者ホームレスの発見と貧困ブーム

 工場派遣で職場を転々とするフリーター(2005年、NHK「フリーター漂流」)、日雇い派遣で食いつなぎながらネットカフェに泊まる若者たち(2007年、日本テレビネットカフェ難民」)、そして、2008年、2009年の年末から年始にかけて現れた派遣村など、非正規労働者となり、貧困化する若者に注目が集まり、ひと時の「貧困ブーム」が起こりました。「若者の貧困」は、「女性の貧困」、「子どもの貧困」と裾野を広げていきましたが、同時に生活保護バッシングも高まりました。

 そして、東日本大震災が起こり、それに伴う原発事故のどさくさの中で、時計の針が巻き戻されたかのように、再び安倍政権が誕生します。露骨な「新自由主義」とグローバリゼーションへの同調が、ナショナリズムと歩幅を合わせて推し進められています。

1.3 大阪の「現在」

 「衰退しつつも労働市場としての機能は果たしている」と目された釜ヶ崎も、いよいよ追いつめられています。「西成特区構想」と銘打ち、橋下市長の肝いり政策として始められたのは実質的な「釜ヶ崎潰し」でした。排除はあからさまに行われるのではなく、表向きは地域住民の声を取り入れながら、「ボトムアップの対話路線」で進められます。

 「釜ヶ崎潰し」は、実際には橋下市政以前から静かに進められていました。南海線沿いの露店が一掃され、路上の屋台が排除されたのは、關・平松市政下に進行したことです。流れを変えようという動きはやはり、「あの頃」に始まっていたのです。

 そして、およそ10年ぶりの行政代執行が行われたのは、2016年3月、釜ヶ崎の花園公園でした。地域を巻き込みながら巧妙に進められるクリアランスが、やはり排除の試みでしかないことがあらわになった瞬間と言えるでしょう。

 暴動が起こればカマボコがひしめいていた新今宮駅の北側の公有地には、公募に応募して決まった星野リゾートの「ラグジュアリー・ホテル」が建設されることが、2017年3月に明らかになりました。建て替えの方針も立たないまま、あいりん総合センターの仮移転が決定したのも同じ時期です。また、大阪城公園天王寺公園に見られるような公共空間の商業化も進展しています。

2 「現在」を探る手がかりを求めて

2.1 「現在」の大阪の路上から見えるもの

 見えにくくなっても野宿者がいなくなったわけではありません。空き缶を集めてまわる労働者の姿が絶えたことはなく、釜ヶ崎では、月に数回の特別清掃事業で現金収入を得ながら、夜間シェルターで過ごす人たちがたくさんいます。支援の現場では、工場派遣や飯場を渡り歩く若い野宿者と出会うこともあります。
 また、生活保護を受給しながら炊き出しに並ぶ人たち、年金収入を元手に野宿生活を続ける人たちなど、「あの頃」は考えもしなかった状況に直面しています。野宿者ではないものの、年金収入だけでは生活費が足りず、廃品回収を行う高齢ワーキングプア、組織的な廃品回収を行う外国人グループの存在など、貧困を取り巻く状況そのものが姿を変えてきているのを感じます。

2.2 なぜ今、資源ごみ回収規制条例なのか?

 アルミ缶や段ボールなどの資源ごみは、言うまでもなく、野宿者の貴重な収入源です。多くが海外に輸出される資源ごみは、グローバルなリサイクル市場における価格変動の影響を受けます。そもそも、資源ごみを回収しようという動き自体が、地球規模の環境問題に端を発するものであり、極めて現代的な現象なのです。

 資源ごみ回収規制の動きは10年以上前からあり、2004 年横浜市、2005 年平塚市、2011 年京都市のアルミ缶の回収を規制する条例のほか、古紙の回収を規制する条例まで含めれば数限りなく存在します。最近では、2012 年に名古屋市古紙回収を規制する条例ができました。

 そして、2017年3月に大阪市でも古紙・衣類の回収を規制する条例が議会で可決され、10月から施行されます。長い間、大阪市は資源ごみ回収規制に乗り気ではありませんでした。なぜ、今このタイミングで大阪市は条例を作ったのでしょうか? 大阪市の条例化は、「遅すぎる」上に、「強引すぎる」のです。

 私たちを取りまく大きな状況とその変化を読み解くためには、大きなものに目を奪われるのではなく、私たちそれぞれの目の前に現れた、小さいけれど具体的なものに目を凝らさねばならないと思います。この分科会では、みなさんがこれまで、そして現在、現場で目にしてきたこと、感じてきたことを出し合い、その意味を共有しながら、気づきと理解を得たいと考えています。