大阪城公園よろず相談

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2017年8月24日(木)第10回哲学読書会『孤独な散歩者の夢想』

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 今回の読書会も揚羽屋をお借りして行いました。18時半開始の予定でしたが、参加者の都合により、実質的に19時からになりました。『孤独な散歩者の夢想』のルソーの境遇に、我が身を重ね合わせて、感じるものがあるとのことで、今回は釜ヶ崎医療連絡会議のOさんも参加して下さいました。

 中山元さんの解説では、「思索」に対して劣位に置かれる「夢想」が、ルソーによって方法論として形作られる過程が整理されています。大阪城公園のKさんによれば、ここで中山さんが用意する理解の枠組みは、哲学の基本的な前提を踏まえたものになっているようです。

 『社会契約論』や『エミール』といったルソーの有名な著作に対して、本書は日記ともエッセイともつかない、ルソー晩年の独り言のような本です。最後の「第10の散歩」はルソーの死によって絶筆となっており、完結した書物ではありません。ルソーの著作はあらためて読まなければならないなと思う一方で、この本なりに理解が深まった部分もありました。

 ルソーの『社会契約論』はフランス革命の思想的バックボーンとなったと言われています。近世から近代に向かう途上にあって、ルソーは「最初の近代人」のような存在だったのかもしれません。『孤独な散歩者の夢想』は、「この文章は誰かに読ませるために書くのではない」と延々と断り書きをした上で展開されます。「誰かに読ませるために書くのではない」文章にしては、過剰なほど丁寧な説明がなされるのです。個人的なこと、主観的なこと、つまり自分のことを客観的に書くためには、このような文章の構成が必然的に求められたのではないでしょうか。自分自身について、他人が読んでも理解可能なように書くためには、独特の文体の発明が必要であり、その背景にあるのは、自己に再帰的に向き合わなければならない近代人の宿命だったように思われます。

 官吏の出身だったデカルトに対し、ルソーは時計職人の息子です。Kさんによれば、職人といっても、時計職人は高度な技術や知識を要する仕事で、ある種のインテリのような存在だったそうです。貴族や宗教者、官吏によって担われていた哲学が、職人も含めて、力を持ってきた新たな階層によって担われ、また読まれるような時代の変化が、ここには見出されるように思いました。

 Oさんは夜回りがあるということで、途中で退出されました。あまり議論する時間がなかったので、またご参加いただけると嬉しいです。読書会の後は、揚羽屋の料理人でもあるUさんが用意してくれた料理をつまみにお酒を飲みました。

 次回の課題図書についても話し合いました。ルソーの他の著作を読みたい気もします。最近は特に軽めのものが続いていたので、ここらで少し難度を上げていってもいいのではないかという話になりました。Kさんは前々からベルクソンを読みたいと言っていたので、「じゃあベルクソンにしようよ」ということになりました。とは言っても、いきなり本命の『物質と時間』はハードルが高いので、『笑い』になりました。

 こちらも訳書が複数出ているので、Kさんが見比べてくれて、平凡社ライブラリー版に決めました。ベルクソンの「笑い」のほか、フロイトの「不気味なもの」という小編、そして両者を総合した評論も含まれているので、合わせて読むことにしました。

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