大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年7月1日(日)寄り合い──障害物に現れるチグハグな風景

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 朝晴れていると思ったら夕方ほんのひと時だけ土砂降りになったり、降らないまでもねっとりした湿気が漂っていたり、落ち着かない天気が続きます。この日もちょうど寄り合いのときだけ雨マークがついている時もあったのですが、当日になると終日晴れマークに変わっていました。

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 オーストラリア産のロースステーキ肉を塩コショウして焼いたものを持っていったところ、かつて神戸の港である働いていた時に付き合いのあった「外人さん」のうちで食べたステーキを思い出すというエピソードを聞くことができました。また、港湾荷役の経験について披瀝し合う一場面もありました。野宿生活の最中ではあまり過去の仕事を聞く機会はありませんが、こうして集まるった際にふとお互いが触発し合うように語られるエピソードは魅力的です。

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 今日の大阪城公園森ノ宮駅側は、あいかわらず恐ろしい人出で、商用利用を意識したさまざまな障害物が増えているのが目につきました。もともとは園路で活動していて、ロードトレインに追いやられるように東屋跡に移動してきていた大阪城一輪車クラブの方たちは、「臨時駐輪場」化によってさらに奥の方に移動していました。

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 前回の寄り合いのときにオープンしたてだった有料児童遊戯施設は、その時ほどの利用客はいませんでした。暑さのせいもあるのかもしれませんが、利用客のない商業施設など、単に場所を占拠しているだけです。

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 白い鉄板が連綿と続く「クールジャパンパーク」予定地はただただ景観を損ねています。

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 音楽堂からは今日もスピーカー越しに大音量が流れていました。

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 商業化された空間は「きれい」に見えます。障害物すらひと手間かかっています。しかし、同じ障害物でも、臨時駐車場のような「お客様」のためではない場所になると途端に使い古された実用一点張りのものになります。このチグハグな風景は、金になるものと金にならないもの、そして、それらをめぐる商業主義と当たり前の生活のせめぎ合いの現れです。

2018年6月21日(木)夜回り・震災と公園

こんばんわ。よろず相談です。月曜日の朝の地震は驚きました。みなさんはケガなどしなかったでしょうか?

考えてみると大阪城公園は、災害時の広域避難場所です。収容人数は83700人と試算されています。

阪神淡路大震災のとき、週刊誌で「便乗ホームレス」と写真付きで避難所を利用する野宿者をやゆする記事が掲載されたことがあります。実際に野宿者が避難所から排除されたり、あからさまな排除はなかったとしても、自ら避難所には居場所がないと感じて災害後の片隅で人目につかないように野宿している人がいたりしたことがありました。現在も活動を続ける神戸の冬を支える会は、もともとそういった避難所には入れない人たちの命を守るために、自らテントを張って冬を越そうとした活動でした。大きなテントのなかでみんなで話し合ったりご飯を食べたりして励まし合っていたのを思い出します。

「公園は寝るとこちゃう」とか「住むとこちゃう」

などと野宿者を追い立ててきた行政ですが、災害が起きれば人々が避難してきて、テントを張ったり、焚き火をしたりするでしょう。
もしかすると、もともと野宿している者が「便乗してる」と言われたり、追い出されたり、居づらくなったりするかもしれません。

日本社会はこの20年で大きな震災を経験し、ボランティア元年と言われるほど阪神淡路大震災以降、災害が起きれば助け合いの生まれる社会になりました。けれど、

公園はどうでしょうか?人にやさしいでしょうか?人が人らしく振る舞える場所でしょうか?まさか、避難場所まで有料ゾーン無料ゾーンリッチスタンダードなどと、分けはしないでしょうが。

まだ地震は起きるとも言われています。必要以上に不安になっても仕方がないし、いつも通りの暮らしを送るしかなさそうですが、、、。もしものときは、私が助けてもらわないといけないかもしれません。

第8回「センターの日」のお知らせ

 第8回「センターの日」を6月16日(土)14:00〜17:00に行います。

 今回から1階と3階で休んでいる方たちへのビラまきを定例化していこうと考えています。「興味があるけど、どうかかわっていいかわからない」という方はこれをきっかけにでもご参加下さい。

 これまでの報告はこちらから(第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回)。

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2018年6月7日(木)夜回り・野宿生活のあとで

 10年ほども昔のことになりましょうか。その人は現在私たちが夜回りをしている公園の一つのテント小屋で野宿生活をしておられました。体調を崩されたことを機に、よろずもお手伝いをして、生活保護を受けてアパート暮らしをはじめました。よろずのメンバーの一部と家が近いこともあって、たまにおたくを訪問したり訪問されたりのおつきあいをしています。

 昨年末のこと、用事もあって訪ねてこられたのですが、言葉が不自由になっていて驚きました。何があったのかを聞こうにもうまく言葉がまとまらず、発語そのものも難しいようでした。心配なので数日後に訪問したところ、とりあえず日常生活は送れているようでしたし、ご本人も通院の付き添いなどは遠慮するので、その場はお別れしました。年が明け、どうやら大きな病院で検査を受けたり、電話をかけてこられたりと、少し回復しているように見受けられました。

 ところが、先月末に訪ねてこられた姿はひと目見てびっくりするほど痩せこけており、ただごとではない様子でした。すぐに担当のケースワーカーに電話し、一緒に区役所まで相談に行く約束をしましたが、いち早くケースワーカーの方が動いてくれた結果、緊急入院となりました。集中治療室での数日を経て、先日ようやく一般病棟での面会ができるようになりました。退院できるようになったとしても、いよいよ介護保険制度を利用した生活補助が必要だということでした。

 入院して弱っているし、相変わらず意思疎通に難はあるものの、意思表示すべき場面でははっきりした態度を取られるのが印象的でした。野宿生活は過酷なもので、しっかりした人でないと務まりません。苦労の多い人生を歩み、長年の野宿生活を生き抜いた人に備わった強さを垣間見たような気持ちになりました。

 

2018年6月3日(日)寄り合い──有料児童遊戯施設オープン

 暑くもなく寒くもない、いい一日でした。緑のおかずが不足しがちである普段の反省から、今回の持ち寄りごはんは野菜が少し多めになりました。おかずの種類も多彩で、スパムとウィンナーの炒め物、卵焼きは子どもたちにも好評でした。きゅうりの浅漬けもおいしくいただきました。

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 今回は近々開催されるライブイベントをお手伝いする打ち合わせをしました。これも楽しそうな催しなので、よい天気になることを祈ります。また、この夏に車を借りてみんなで旅行に行こうかという計画が突如持ち上がり、にわかにリアリティを帯び、あれよあれよという間に日程と宿泊先まで決まってしまいました。よろずのキャラバンはどこへ向かうのでしょう。

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 生活保護を受けるようになってからも、付き合いの続けられる仲間のいる人と、遠ざかって引きこもってしまう人がいます。自室の中で一人思いつめていないで寄り合いにでも来てくれればと思うのですが、なかなか誘いにものってくれません。物理的な距離も問題の一つです。

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 森之宮駅側の公園入口の広場には有料遊戯施設がオープンしていました。木製の砦や小さな丘などが作られていて、楽しそうな空間に親子連れがにぎわっていました。しかし、正直にいって「有料でこれか」という拍子抜けする感がありました。もっと魅力的な無料のアスレチックを設けた公園もあるのに、これだけの面積をとってお金を取るほどの価値があるとは思えませんでした。

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 屋内施設もくっついていて、遊具で遊んだり、別料金でワークショップに参加したりできるようですが、それだけなら公園内に設置する意味はありません。それこそ森ノ宮のキューズモールのように自前で土地を確保して好きに営業すればいいと思います。それ自体ではさして魅力的とも思えない施設の側としては、公園をアクセサリーにできて満足でしょうが、公園には何のプラスもありません。せめて野外アスレチックを無料開放でもしたらどうでしょうか(それでも元からある隣の遊具の方が子どもたちには喜ばれそう)。

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 天王寺公園にあるものと同じ系列の施設のようです。大阪市の市長と職員はこんなものを大阪中の公園に作る手伝いをするつもりでしょうか。

2018年5月19日(土)第7回「センターの日」── よりあって生きていくためには

 毎回最初のコーヒーをお出しするのに時間がかかるので、あらかじめ10杯分のドリップコーヒーを保温ポットに用意してスタートしました。だいぶ暑くなって来たので今回は水出しのアイスコーヒーも用意しました。

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 ここ数回、釜ヶ崎や大阪の今昔がわかる写真集からセレクトした写真をセンターの壁に貼り付けています。今回は『図解絵本 工事現場』という子ども向けの絵本から、全国各地の建設工事の現場を図解したイラストを用意しました。

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 ギターとアンプを用意した弾き語りも定番化しています。目が不自由だという杖をついたおじいさんが演奏に足を止め、パイプ椅子に腰を下ろして聴いていかれました。演奏へのカンパといって500円いただきました。「センターの日」の取り組みについて「いいことだ!」とコメントもいただきました。

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 自転車で立ちよったボランティアで空き缶拾いをやっているという男性は、ビラを余分に受け取り、「知り合いに教えてやろうと思う」と笑顔で去っていきました。

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 病院から失踪してしまった知り合いを探しにセンターに来ているという方にもお会いしました。失踪した知り合いとセンターで再会できた例もあるそうです。生活保護を受けてアパート暮らしをしている人が入院した場合、長期化すると家賃(住宅扶助)が打ち切られ、アパートを解約されてしまうそうです(入院期間6ヶ月を目処に医師の診察結果から判断)。生活保護制度のおかしさ、困っている人が集える場所を守ることの意義を強く訴えておられました。またセンターの知らなかった顔を知ることができたように感じました。

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 16時近くなると人があふれかえって、さながらセンターのゴールデンタイムのようです。センターでは、シェルターの整理券の配布や炊き出しなど、いろんな人がいろんなことをしているし、みんながいろんな用事でやってきます。何か特定の役割が与えられた施設ではなく、みんなでよりあって生きていくためにはこんな場所が必要なのだと思います。

カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力いただけると幸いです。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

2018年5月24日(木)夜回り・大阪城潜行10年!

 こんばんわ。よろず相談です。

 先日、「チベット潜行十年」という本を読みました。とある日本人が戦中から戦後にかけての12年、モンゴルからチベットーインドにかけてアジア大陸を放浪した壮大な記録です。

 1943年、著者は日本大使館の職員として中国の運輸ルートを調査するため、モンゴル人のラマ(僧)に化けて旅立ちます。1年で帰る約束だったのですが、新疆ウイグルへの憧憬をおさえきれません。ウイグルに向かう手前で遊牧民マフィアに軟禁され、観音経というありがたいお経を十万回詠んでくれたら解放してやると言われます。本当は僧ではないので一夜漬けでマスター。10万回唱えるとなると、毎日唱えても6か月かかると試算し、気が遠くなる著者。それでも断れず唱え続けるうちに月日がたち、いよいよ、といったところで日本の敗戦を知ります。

 著者はショックを受け、ウイグル行きを取り止めてインドに行くのですが、もはや帰ることもできず、そのままモンゴル人ラマとして10年に及んでインドーチベット間を放浪することになります。

 ラクダやラバ、または歩いて高原を超え、砂漠を超え、河を渡り、ヒマラヤ山脈を超え、気が遠くなるような旅なのですが、人の行き交うルートにはいかなる過酷な自然環境の場所でも村があり、人の暮らしがあります。

 さて、何千年もの間、人が行き交い、物が運ばれ、仏教が伝えられたこの壮大な一本道のことを考たとき、一体この日本の大阪に暮らすわれわれの自転車で毎日行ったり来たりというものに、どれ程の意味があるのでしょうか。それとも、どれ程の小さな距離であれ、人が行き交うということは、そこには点と点を結び相互に変化を促すなにかが(人や物、文化、習俗、言葉、はたまた遺伝子)運ばれているということと考えてもいいのでしょうか?

 まいどまいど大阪城公園を潜行しておりますよろず相談です。大陸を渡るキャラバン隊のように、同じ道でも何千年もたどれば道ができ、伝播(広がり伝わること)がおきるのでしょうか?なにか(とりあえずビラとかおにぎりとか)を運び、出会って影響されてまた運び・・・そのようにして道はつづくのかもしれませんね。今日出会って、少しばかりあいさつなどをしたことで、肉眼ではとらえきれないような変化が山脈の向こうで起きているかもしれません。

 まずは「どーも」と、軽い気持ちで毎度の夜回りをお迎えください。