大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年5月24日(木)夜回り・大阪城潜行10年!

 こんばんわ。よろず相談です。

 先日、「チベット潜行十年」という本を読みました。とある日本人が戦中から戦後にかけての12年、モンゴルからチベットーインドにかけてアジア大陸を放浪した壮大な記録です。

 1943年、著者は日本大使館の職員として中国の運輸ルートを調査するため、モンゴル人のラマ(僧)に化けて旅立ちます。1年で帰る約束だったのですが、新疆ウイグルへの憧憬をおさえきれません。ウイグルに向かう手前で遊牧民マフィアに軟禁され、観音経というありがたいお経を十万回詠んでくれたら解放してやると言われます。本当は僧ではないので一夜漬けでマスター。10万回唱えるとなると、毎日唱えても6か月かかると試算し、気が遠くなる著者。それでも断れず唱え続けるうちに月日がたち、いよいよ、といったところで日本の敗戦を知ります。

 著者はショックを受け、ウイグル行きを取り止めてインドに行くのですが、もはや帰ることもできず、そのままモンゴル人ラマとして10年に及んでインドーチベット間を放浪することになります。

 ラクダやラバ、または歩いて高原を超え、砂漠を超え、河を渡り、ヒマラヤ山脈を超え、気が遠くなるような旅なのですが、人の行き交うルートにはいかなる過酷な自然環境の場所でも村があり、人の暮らしがあります。

 さて、何千年もの間、人が行き交い、物が運ばれ、仏教が伝えられたこの壮大な一本道のことを考たとき、一体この日本の大阪に暮らすわれわれの自転車で毎日行ったり来たりというものに、どれ程の意味があるのでしょうか。それとも、どれ程の小さな距離であれ、人が行き交うということは、そこには点と点を結び相互に変化を促すなにかが(人や物、文化、習俗、言葉、はたまた遺伝子)運ばれているということと考えてもいいのでしょうか?

 まいどまいど大阪城公園を潜行しておりますよろず相談です。大陸を渡るキャラバン隊のように、同じ道でも何千年もたどれば道ができ、伝播(広がり伝わること)がおきるのでしょうか?なにか(とりあえずビラとかおにぎりとか)を運び、出会って影響されてまた運び・・・そのようにして道はつづくのかもしれませんね。今日出会って、少しばかりあいさつなどをしたことで、肉眼ではとらえきれないような変化が山脈の向こうで起きているかもしれません。

 まずは「どーも」と、軽い気持ちで毎度の夜回りをお迎えください。