大阪城公園よろず相談

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2017年5月9日(火)第9回哲学読書会──コンディヤック『論理学──考える技術の初歩』

 第9回哲学読書会は、場所と時間を変え、夕方6時よりオシテルヤ本館で行いました。参加者はSさん、Kさんを含む5人でした。

 コンディヤックの『論理学』はもともと教科書として用いられることを念頭に書かれたというだけあって、わかりやすい本でした。イギリス発の経験論を、フランス人であるコンディヤックが解説し直しているという点でも、いろいろ考えさせられるところがありました。

 これまでもKさんが「大陸合理論とイギリス経験論を両方押さえておく必要がある」と言っていました。ようやく経験論を読むにいたって、なるほどこれはこれまで読んできたものとは全く違うなと思いました。タイトルに「論理学」とついているので、難しい理論的な話が出てくるように思われますが、実際は実用的な分析の指南書という感じで、いちいちなるほどと納得のいくものでした。どことなくデカルトの『方法序説』も連想されて、つまるところ、この世界をどのように理解していくかを確かにしようとする基盤に論理学があるのだとわかりました。

 個人的にはプラグマティズムとの類似が意識され、こういった思考法がイギリスやアメリカで発展したというのはどういうことなのかと考えると、神様との距離感なのではないかと考えました。『方法序説』の中でデカルトは神様を貶めずに、しかし、神学と切り離した科学的な方法を、慎重に模索していました。コンディヤックの『論理学』にも神様は出てきますが、扱い方がずいぶんソフトになっています。

 コンディヤックはフランスにもイギリス経験論を取り込む必要があると考えてこのような本を書いたのだといいます。デカルトのように限定に限定を重ねて、厳密に議論を積み上げていくやり方だと、科学的な確かさは強固になっても、手間と時間がかかりすぎるように思われます。その点、経験論だと、検証はほどほどに確かめながら、議論を次の段階に進めることができます。

 イギリスは、自分が離婚したいがために王様が自分の教会を作ってしまうような場所です。神様との距離を取りやすい思想的な下地が作られていたのだとすれば、神様を気にせずに済んだために、実用的な経験論を発展させられたのではないでしょうか。そして、この実用的な思想が、産業革命を引き起こすような科学的な技術革新を生んだのだと考えると、つじつまが合います。

 デカルトコンディヤックの両著にある140年の出版年の開きが、フランスにおける神様の地位の変化を内包していると考えると、人間の思想的格闘の積み重ねの偉大さが感じられるようです。

 これまでは日曜日の午前10時から12時に開催してきた哲学読書会を、平日の夕方にしたのは、参加のしやすさを考慮したこともありますが、読書会の後にゆっくりおしゃべりしたいという話が出たためでした。読書会のあと、オシテルヤの職員のHさんが作ってくださった雑炊と牛皿をおいしくいただき、夜遅くまで語り明かしました。

 次回は、Kさんの薦めで、アリストテレスの『哲学のすすめ』を読むことにしました。これは、本文は短く、解説が充実した本なので、アリストテレスギリシャ哲学を総合的に知るのにちょうど良さそうです。