大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2017年1月14日(土)哲学読書会番外編、プラトン『テアイテトス』

 11月末の読書会の後、年末年始は越冬で予定が立て込むので、哲学読書会は少し間を空けて2月の開催ということになりました。しかし、2ヶ月以上空いてしまうのはちょっともったいないということで、有志に声をかけて、ちょっと長めでもいいから一冊選んで番外編の読書会をやろうということになりました。Kさん、Sさんとも相談して、いろいろ検討したのですが、復習の意味も込めてプラトンの『テアイテトス』を読むことに決めました。

 土曜日の冷えた朝にオシテルヤで行う読書会は、普段とは違った静けさがあって良いものでした。今回の参加者はKさん、Sさんを含めて4人でした。

 前に読んだ『プロタゴラス』と比べて、同じプラトンの対話篇でも『テアイテトス』は難解でした。『テアイテトス』は、若き日のテアイテトスに対するソクラテスのレクチャーという形式をとっています。『プロタゴラス』は、すでに権威あるプロタゴラスに対して探りを入れながら議論を展開するものでした。『テアイテトス』では、ソクラテスがテアイテトスを試そうと様々なレトリック、様々なロジックを用います。一つのテーマについて14ものパターンによる例示を一息に列挙されると、とても頭がついていきません。

 Kさんによれば、このような議論は論理学を学ぶことで理解できるようになるそうです。プラトンの対話篇はソクラテスが論理学の知識を基礎として議論を深めようとする作品であると考えておくと、理解の補助線として有益かもしれません。

 必ずしも正解やゴールがあるわけではなく、議論自体も、いささかとっぴに思える事例からスタートするので、最初から最後まで息をつく間もなく難文を読まされる苦しさがあります。しかし、通して読むと、のちの哲学に影響を及ぼす考え方や、ソクラテスの「産婆術」についての直接的な言及もあり、理解半ばであっても、得られるものは少なくないように思われます。プラトンの作品は、読めば読むほど知識の広がりが持てるし、繰り返し読むことでまた、新たな発見がありそうです。

 読書会終了後は、ピコ太郎のPPAPの何が受けているのかを、スマホで動画を見比べながら理解を深めました。

解題「居場所と居場所をつなぐ」

居場所のあり方

 2016年─2017年の越冬に際して、私たちは「居場所と居場所をつなぐ」というフレーズを添えていました。いつからか、居場所の大切さ、居場所づくりの必要性が強調されるようになりました。それだけ居場所が奪われている、居場所をなくしていると思われていることの現れでしょう。しかし、居場所を作り、守っていくだけではやがてその居場所も壊されてしまうのではないかという不安を感じます。一つ一つの居場所を守ることや「みんなの居場所」を拠点として築くことの限界を感じています。たった一つの強固な居場所のあり方に執着するのではなく、居場所は複数あってもいいはずなのです。

 さまざまな人が集まり、さまざまな社会資源が集積した釜ヶ崎という場所の重要性は現在でも損なわれていないし、これからも大切にし、守っていくべき場所だと思います。しかし、この釜ヶ崎とて、野宿生活をする人たち全てにとって、余さずかけがえのない居場所であるわけではありません。釜ヶ崎の存在を知っていても距離を置きたいと感じる人もいます。さまざまな人がいて、社会のいろんな場所で生きていることを考えれば、居場所というのは強固なものがどこかに一つあればいいというものではありません。

居場所の多様性・複数性 

 ささやかでも自分の居場所となっている場所は、おそらく誰にでも少なからずあるのではないでしょうか。それは時には毎日の駅のホームで乗り継ぎの電車を待って過ごす一時的な滞留かもしれません。明確な目的もなく立ちよる商業施設も、用をたすためだけでなく、自分だけの時間を作るために必要な場所かもしれません。家路をたどる際に通過する公園も、ただの抜け道ではなく、その公園が誰にでも開かれた場所であり続けていることによるのです。ビッグイシュー販売員の方たちは、自分が路上の風景の一部になるまで、ねばり強く立ち続けることで、徐々に収益が得られるようになるそうです。ビッグイシュー販売員が毎日立つ路上は野宿者である自分(そしてお客さん)の居場所を作り出す営みのように思われます。

 一昨年からハピネスライフさんと交流を持ち、ついに野宿当事者からこうした場所が作られるようになったのだと驚くとともに、あちこちで居場所づくりを意識した取り組みが広がっていることに思い至りました。ここには同じ問題意識、同じ理念が宿っているように思われます。しかし、大阪城公園での自分たちの経験を振り返るだけでも、こうした取り組みは多くのエネルギーを必要とするわりに意外にもろく、難しい課題にぶつかりがちだということがわかります。

 現在は、一つの理念のもとに結集し、一ヶ所に力を集中させる戦いが難しく、またあまり力を持てない時代状況にあるように思われます。しかしながら、同時に、それぞれの足元をきちんと固めて、力をためていく必要も感じます。このような状況で何か大きな力を生み出そうとするなら、強固な居場所を一つ作るために多くの力を集中させるのではなく、「居場所と居場所をつなぐ」ことが決め手になるのではないかと思うようになりました。

居場所の戦略

 誰かの居場所を知り、交流することで、それまでの自分にとっての居場所も強固になるように思われます。別に居場所がある、他にも行くところがあるという安心感は生活に余裕をもたらし、日々の活力ともなるのではないでしょうか。一枚岩にはなれない、しかし、それぞれが安定し、かつ知り合っていることが支えとなり、大きな流れを作り出す仕掛けとなるのではないでしょうか。

 東屋の排除から私たちは考えはじめました。扉を開ける前からあきらめていないだろうか。扉を見つけたら開けてみる。穴があればのぞいてみる。それで何もなくても損はしません。一つ一つは小さな事実でも、かき集めれば見るべきものを教えてくれるかもしれません。小さなことでも共に取り組んでいける仲間が必要です。誰かが作っている居場所を訪ねて知り合うという、一つ一つは小さな取り組みが、ピンチの時に助けとなる知恵と力を育んでくれるように思います。

2016年大晦日 オシテルヤ年越しそば

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 2016年の大晦日はオシテルヤの年越そばに参加しました。到着したころには、すでにほんわかした雰囲気ではじまっていました。

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 そばはなんと、こだわりのエビ天そば!おつゆもおいしくて至福のひとときを過ごしました。外で食べるとまた美味しさが増す気がします。

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 オシテルヤ新聞をはじめ、『あしたのロジョー』の海賊版といったレアなリーフレットも並んでいました。

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 そばのほか、お雑煮もふるまわれました。オシテルヤ本館横の駐車場、表の路上で集まった人たちがわいわい立ち話をして盛り上がっている様子を見ていると、さながらそこに「寄り場」が誕生したかのような気持ちになりました。

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 こうした取り組みを毎年積み重ねていける仲間を大切にしていきたいと思います。

2017年1月3日(火)居場所と居場所をつなぐ新春交流会

 今年は1月3日(火)に「居場所と居場所をつなぐ新春交流会」でたくさんお仲間が集まって楽しく交流することができました。

 まさに老若男女、海外からの観光客の中国人、アメリカ人、メキシコ人などなどが飛び入り参加し、多様な人々の交流の場となりました。当日は、扇町公園長居公園の仲間もかけつけていました。

 

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 今後、寒さのピークがやってきて、野宿している人には厳しい日々になりますが、ひととき楽しく過ごして、元気になれていたらよいですが…。

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 わきの方で将棋を指したりしている人もいました。終始和やかな雰囲気でした。大阪城の将棋仲間のレベルは2段くらい?とのことらしいので、挑戦者求む!!寄り合いでもやってます。

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 ひき続き寒さが続きます。寝袋、外套、カイロなど必要な方は気軽に声をかけて下さい。

この記事は2017年1月5日(木)の新年初夜回りの際に配布したビラを元に作成しました。

2017年新春交流会のお知らせ

 日頃交流している仲間たちと協力して、2017年始めに交流会を企画しています。お正月に退屈な時間を持て余しているという方、どことなく居場所のない思いをしている方、どのような方でも歓迎いたします。

 新しい年を新しい取り組みで始めましょう。

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2016年末年越しそばのご案内

 日頃、私たちの活動に関心をお寄せいただいている皆様。よろずが普段からお世話になっているフリースペース・オシテルヤで年越しそばがふるまわれます。どちら様もお気軽にお立ち寄りください。

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2016年12月11日(日)名古屋・大阪城公園交流ソフトボール大会

 名古屋チームをお迎えして開催した大阪城公園ソフトボール大会、好天のもと、多数のご参加をいただいて、とてもいい交流の機会が得られました。ご参加、ご協力いただいた皆様、どうもありがとうございました。

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 今回の大会では、いろんな方がいろんな知り合いに声をかけてくださり、40名余りの参加がありました。初めてお会いする方もたくさんおられました。大阪城公園のいつものみんなからも声かけしてくれたらしく、ふだん夜回りで会うだけの方も顔を出してくれました。入院を契機に生活保護を受けるようになった仲間も参加してくれました。

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 みんなの寝床になる東屋の閉鎖が近づく状況で、何か掴まなければと焦る気持ちとともに越冬とソフトボールを企画したのが一年前でした。しかし、結局、2月末の東屋閉鎖に何一つ有効な策を立てられず、私たちは自分たちの無力さを突きつけられました。

 ふだん支援者を気取っておいて、野宿の仲間にとって最大の危機である排除に対して、何の役にも立たなかった私たちのことを、一緒に何かをやっていく相手だと思ってもらえるのか。当事者の厚意に甘えて、チャンスをもらうような気持ちでした。

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 4月の花見とソフトボール大会やそうめん大会といった節目のイベント、隔週の夜回りと月1回の寄り合いに加え、これまで考えたこともなかった哲学読書会も始めました。哲学読書会では、参加者それぞれの力量で素直な意見を出しながら議論することで、一人で読んでいても得られないものが生まれていると思います。

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 支援する/されるという非対称的な関係を消し去ることはできません。いかに工夫しても、支援される側は「してもらってる」と受け取らざるを得ない場面があるし、支援する側も、通常の活動がしんどく思える時もあり、負担感の中で支援「している」ことを否応無く意識してしまう時もあります。

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 今回のソフトボール大会は、一人一人が身近な知り合いに働きかけてくれていて、こんな楽しい時間が得られたのは予想外のことでした。「支援する/されるというのは何か違う」という感覚が、確かめ合うでもなく一致して新しいものを生み出す力になったかのように思えます。

 一人一人が当たり前に自分の人生を歩めるのが一番大切なこと。一人一人が自分の人生を歩むためにはお互い助け合わなければならない。「私が私の人生を歩むためにはあなたもいてくれなくては困る」と思えれば、つまらない垣根に遮られることもなくなるのかもしれないと思えた一日でした。

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大会開催のために多額のカンパありがとうございました

収入
カンパ収入京都 6500円
カンパ収入東京 7000円
カンパ収入大阪 10000円
大阪城公園よろず相談負担 3000円

計26500円

支出
弁当材料 5256円
トン汁 1768円
交流会 7150円
球場代 3000円
駐車場代 4100円
名古屋交通費カンパ 5000円

計26274円