今回は13時から開始しました。次回は13時半の予定です。開始時間を模索しながら取り組んでおり、また、当日配布のビラには次回の日時を書かなければならないため、その間に把握できたことの反映に時差が生じてしまいます。ともあれ、開始時間については13時半がちょうど良さそうに思います。
シートを広げ、毛布とこたつ、カセットコンロを設置する手際も慣れたものになって来ました。お湯が沸きやすいようにダンボールで風防も作成しました。また、保温用のポットも新調したので、お湯の準備はスムーズにいきました。今回はコーヒーに加えて、フードバンクからいただいた甘酒を温めて提供しました。13時半頃から、ひっきりなしに立ち寄って下さる方がおられたので、コンロ周りはフル回転という感じでした。
今回は運営側のメンバーも多く、あちこちでいくつも対話の輪ができていたように思います。アンプとギター持参で弾き語りもあり、センターに月一回現れるこたつ空間ににぎわいを添えていただきました。
今回お聞きした話では、今年84歳になるという男性の、1970年代頃の釜ヶ崎の風景が面白かったです。万博の年に、友だちと一緒に東京から大阪の釜ヶ崎にやってきた当時、まだセンターがありません。あべのハルカス前の交差点までつながるセンター正面の大通りは、半分は舗装されていない「地道(じみち)」だったそうです。現在のセンターの位置にたくさん車が停まって、労働者を集める風景について話して下さいました。南海線の向こうの、現在鉄骨の建造物が作られている場所には、大きな材木置き場があったそうです。かつてはまだまだ木造建築の需要が多かったということでしょうか。「良かったといったらあかんけど、あの頃は戦災の復興で仕事がいくらでもあった。仕事があるのはええことや」と懐かしそうに語ってくれました。「半分地道だった」という国道の向かいには何があったのかお尋ねしたところ、「それが思い出せん」と言います。その人の生活の仕方によって記憶に残る風景が異なるということでしょうか。
ただお茶をして話を聞くだけではなく、何か形に残って、目に見えるようなことをしたいと、マップ作りを考えています。この日も、大きな模造紙を2枚と、水性ペンを用意していったのですが、あまりの慌しさに広げるヒマがありませんでした。しかし、こうして労働者の生活の場に身をおき、お話をうかがっていると、センターや釜ヶ崎についての現在と過去が私たちの体感としても像を結んでいきます。これまでお聞きした話と、これからお聞きする話を、大きな地図に随時書き足しながら、釜ヶ崎とセンターの場所の記憶を、労働者が踏みかためてきた地面からマップに宿らせていきたいと思います。
今回なんと、何人かの労働者の方から少なくないカンパをいただきました。「労働者のために」ではなく、「労働者とともにあること」を目指して、しかし、勝手に踏みこんで居座っている感もある「センターの日」ですが、取り組みの意義を認めていただいたような気持ちになりました。ありがとうございます。
15時までの予定でしたが、今回も16時まで開催しました。次回の第4回「センターの日」は2月17日(土)13時半から15時半を予定しています。
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