大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2025年3月13日(木)夜回り・現在に過去が、未来に現在がある

 前回、何がどうなれば小説になるかを考えてみて、「物語には物語の中に登場して語る自己と、物語を語る自己とがある」ことと、「そこで語られる物語は読者に矛盾なく受け止められる必要がある」という2点を確認しました。

 それならそのまま「物語そのものの語り手の存在を匂わ」せば小説への第一歩になるが、そうすること自体が難しい書き方をしてしまっていると書きました。

 そこで思いついたのが、前回の終わりの一言「しかし、これはほんのはじまりにすぎなかったのです。事件はそう、今回のこの夜回りが発端だったのですから。(つづく)」でした。これは要するに語られている現在には存在しないはずの「語り手の未来」からの語りを持ち込むことで、「物語の中に登場して語る自己と、物語を語る自己」を分裂させたわけです。なるほど、こうするだけで何を書いても物語の要素を持たせることができます。そして、その「未来」というのがいつの時点での「未来」であり、それがいつ明かされるかは分からないので、このまま普通のビラを書くだけでも何らかの物語の伏線が常に張られていることになります。

 ところで、前回気づいていたのですが、ビラを小説にしてしまうと、現実とフィクションの境目が分からなくなってしまいます。小説の部分とビラの部分を切り分けて掲載すればいいのですが、とてもそこまでの手間ひまはかけられません。

 しかし、生きることはそもそも物語であり、われわれが語ることはつねに物語なのです。そして、物語ることのできないことが語られたことの背景に取り残されてしまいます。そういったことを語る機会として、よろずの夜回りや寄り合いがあればいいのかなと考えています。そういった場所と関係があればこそ、過去が現在の時系列において発見されるのですから、この物語はつむがれている最中なのかもしれません。