大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2021年8月5日(木)夜回り・「ここにいる」について

 こんばんは。大阪城公園よろず相談です。

 7月8日の夜回りは雨のため中止になってしまいましたが、7月7日は七夕です。天の川をへだてて織姫と彦星が引き離されています。彼らは1年に1回しか会えないそうです。皆さんは短冊にどの様な想いを込めて、何を願い、どういう思いをしたでしょうか。

 さて、今回は「ここにいる」について書きます。人間の存在とは何でしょうか。常に問われています。5年前、神奈川県のある施設で元職員の男が入所している利用者を次々にナイフ等で傷つけ、19名の命が奪われるといういたましい事件がおきました。逮捕され、取り調べが行われていく中でその男が口にしてきたことは「障がい者には生産性がない」と障がいがある人に対して差別的ともとれる発言が繰り返しありました。

 「人間の存在」については障害者のみならず野宿者の人にも同じ事が言えます。何かと言えば罵声であるとか暴言、あるいは差別的なヤジを飛ばす、時には石を投げつけるなどをしてその場所から排除するかのような事を行うといったような行為は昔ほど減りましたが、根本として今も根付いているというのは現代の社会構造としてあるのだと思います。

 追われた野宿者は多数いました。今では釜ヶ崎の「あいりん総合センター」周辺の軒下ですんでいる人々に対して立ち退き訴訟もあります。制度という名の追い出しは人権侵害であり居住権を奪うという暴挙に出ているのです。

 それこそまさしく再開発であり「ここにいる」人々に対して人権無視と言わざるをえないのです。共通して言えるのは、障がい者であれ野宿者であれ、世界中で各々の問題をかかえている人々に対してその国の当局であるとか自治体が本人に向き合って施策を講じていけば少しの声でもあるとも思います。ところが、現実はそうではありません。行政はそういう立場にいる人たちに対して現状で言えばほとんど何もしていないというのが実情です。ということは置き去りにされているというのが当事者の感想です。

 「ここにいる」人々の声を聞かず、自分たちに都合がいいように物事を進め、その事に対して声を上げた人たちに対して何かといえば排除すると言ったような……。世の中どうなっているんでしょうか? 例えばよろず相談を含むいくつかのグループが「センターの日」というのをセンター前で開いています。私の個人的な感想ですが、皆さんが「ここにいる」ということを実感して、僕らもやはり話を伺うことで点と点が線となってつながり、それがいずれいくつかのコミュニティとして成形されていきます。人によって考え方はちがいます。年齢、経験、育った環境。個人の「ここにいる」線としてつながる「コミュニティ」まさに共通です。ゐと言うことを考えながら今日も夜回りをします。(の)