大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2021年3月4日(木)夜回り・2/19

 私たちが彼と初めて会ったのは2017年11月の難波宮跡公園でした。その後も何度かお会いして、しばらく姿が見えないと思っていたら、2018年7月に釜ヶ崎のセンターの3階で再会しました。2017年末から、私たちは、建て替えの計画を前に閉鎖、排除が刻一刻と迫る釜ヶ崎のセンターで、何かができないかと模索して「センターの日」という取り組みをしていました。彼と再会したのはその取り組みでセンターに集まる人たちに話しかけて回っている時でした。

 「前にあなたと会ったことがあると思う」と言われ、釜ヶ崎で会ったのでなければ、よろずの夜回りの時ということになるけど……と考えていて、「あっ、●●さんですか!」と思い当たりました。彼は「あちゃ〜」という顔をして「わしどこにも行けんようになるな」と、となりの友だちと笑っていました。

 2019年4月にセンターからの強制排除があってからも、彼はセンターの周りで野宿生活を続けていました。「俺たちはどこでも生きていける」とうそぶく仲の良い友だちと一緒に、「私らは最後まで居座るつもりです」と言っていました。

 排除に対抗する明確な道筋も見えてこない中、それでも、その最後の時まで、そして、その最後の時を迎えた後であっても、同じものに同じ場所で向き合おう、私たちはそう思っていました。

 しかし、彼には、もはや、その最後の時を迎えることすらできません。死の間際はとても弱っていて、それでも救急搬送を拒んでいたと聞きました。

 「●●さんに生きていて欲しかった」——そう思うことは、十分すぎるほど苦しんで亡くなった彼に、なお苦しみを強いることを意味するだけなのかもしれません。また、彼は自分の苦しみや抗いがついに報われる日など決して来ないと理解していたのかもしれません。

 しかし、彼の苦しみ、彼の抗いは、たとえ決して報われなかったのだとしても、何も残さなかったわけではありません。私たちの中に彼の抗いが残っているし、苦しみを苦しみのまま終わらせない責任が私たちの中に残されています。本当は悔しい思いを抱えて暮らしているのに、それを素直に口にできないのは、それを聞ける人間がいないからです。

 孤独な闘いを孤独なままに終わらせないために、私たちは、その一人ひとりと出会い、関係を作りながら、理解を深め、自然と集える場所を作って、その思いをみんなが当たり前に口にできるようにしなければなりません。そうやって、私たちは私たちの世界を変えていきましょう。