事前のビラ配りをしました
2月の「センターの日」では、前日の金曜日午後にお知らせのビラを配って回りました。当日、開始直前にお配りするより、ゆっくりお話しする時間がとれて、よかったと思います(たまに「センターの日」ではない土曜日にお訪ねすることがあると、「今日が「センターの日」だったかと思ってびっくりした」と言われることがあります)。
ビラを配りながら各所に告知のポスターを貼っていたところ、うっかりして途中でガムテープを失くしてしまいました。「ガムテープ見ませんでしたか?」と尋ねてまわっていたところ、ある人が「これ貸してあげるよ」と自分のガムテープを貸してくださり、感激しました。また、この方は落としたガムテープを後で見つけて、翌日の「センターの日」の場に届けて下さいました。
センター周囲に二ヶ所ほど、毎回お配りしているビラの4ページまるまるを貼りつけているのをご存知でしょうか。貼っているとすぐに立ち止まって読む人の姿をお見かけすることもあるので、ドキドキします。
今回はポスターを貼っている時に話しかけられ、映画『ミラノの奇跡』のミラノという地名は世界史の教科書にも出てくる気になる場所の一つだと言われていました。83歳で、目はいいけど、耳が悪いから映画は楽しめない。人と話している時にも「もっと大きい声で話してくれって言いたくなることがよくあるけど、あっちは(事情を)知らんし、言えんわな(笑)」と朗らかにおっしゃるのが印象的でした。
簡易トイレにもポスターを貼っていると、親しくしている人がちょうど用を足しにきたついでに「欲しい人に分けてあげて」と、新品同様の衣類や小物をカンパしていただきました。センターに「どうぞの箱」とでもいうようなものをどこかに作って、見知らぬもの同士、お互いに「自分は使わないけど、ちょっといいもの」を気軽にやりとりできたら、面白いかもしれないと思いました。
映画『ミラノの奇跡』
この日見た映画『ミラノの奇跡』は1951年のイタリアの映画です。当日、取り寄せていたDVDが間に合わず、吹き替えも字幕もなしの上映になってしまったのが残念で、申しわけありませんでした。
赤ちゃんの時におばあさんにキャベツ畑で拾われた主人公のトトは、おばあさんの死後に孤児院で育ちます。成長して孤児院を出なければならなくなったトトは、自分のカバンを置き引きした男をとがめずにカバンを譲り、男はそのお礼に自宅に案内します。その自宅はテント小屋でした。
この出会いをきっかけにトトはテント村で暮らしはじめ、住むところのない人たちをどんどん受け入れられるようにテント小屋を増設し、テント村をにぎやかにしていきます。半ばでテント村の土地が転売されそうになったところで、テント村の住人たちは、現地を訪れた地主とバイヤーを取り囲んで抗議します。バイヤーはその勢いに押されて、「お互い同じ人間だ、何も変わらない」と、その場は打ち解けるのですが……。
最後まで見終わってみると、思えば最初から最後までファンタジー映画で、テント村の土地から石油が出たり、魔法の鳩が託されたりと、荒唐無稽なお話です。しかし、テント村はファンタジーなのか、ファンタジーでないのか。その境界にあるものなのかもしれません。
輪番就労の労働者のお話をお聞きしました
前日にビラを配ったので、西成労働福祉センターの駐車場前の輪番就労の人たちとお話しさせていただくことができました。
「お疲れ様です。お仕事中に渡したら迷惑かもしれないけど……」と言って話しかけると、ものすごく丁寧に応対していただきました。
「この仕事は生活保護みたいなもんだから」という言葉にちょっとドキッとしました。──「本当は生活保護受けられる歳やけど、わしは生活保護は嫌なんや」。「シェルターに泊まってるんですか?」と訊くと、ちょっと濁して、「シェルター泊まる人もおるし、いろいろや」。
「どこかで野宿したり、シェルター泊まったり、人によって色々ですよね。年金もらってる人もいるだろうし」というと、「年金1回に40万くらいもらっとる人もおるわ」。
「今日は暖かいからまだいいけど、寒い日は大変ですね」──「夏が一番大変や。一番倒れるのは清掃や」。体を動かすからだろうかと思ったら、アスファルトの輻射熱がきついのだといいます。「水分しっかり取らないと危ないですね」というと、水分は休憩室でしっかり取っているそうです。
さまざまな労働者の胸の内とセンター
そろそろ30回を迎える「センターの日」を初回からふりかえると、月一回ながらいろんな方に出会えました。現金や契約に行っている人、野宿しつつ知り合いの伝手で仕事を得ている人、廃品回収で自活している人、特掃に行っている人、年金生活をしている人、生活保護で暮らす人。
「自分は労働者じゃないから」という言い方をする人もおられます。センターから仕事に行かなくなったら、野宿生活が当たり前になったら、特掃に頼るようになったら、人によって線引きの基準は異なります。しかし、いろんな人の話を聞いていると、センターに居場所を見つけられる人はみんな労働者であるように思われます。誰もが歳をとるし、怪我をするかもしれないし、思わぬ不運に見舞われるかもしれません。
お互いが「自分もそうであるかもしれない」姿を重ね合わせて、センターという場所をにぎあわせているし、センターは、訪れる人みんなが総じて労働者であることを支えているように思います。矛盾や対立を飲み込んで、どこかで認めてくれるセンターのような場所、そういう街だから、釜ヶ崎が必要なのではないでしょうか。