大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2019年11月16日(土)第24回「センターの日」──労働者の街である根拠

11月の七輪チャレンジ

 11月ともなるとさすがに寒さが厳しく感じられるようになりました。台風で中止した10月をはさんだ11月の「センターの日」では、七輪を用意して、炭火でシシャモやウィンナーを焼いて食べました。

f:id:asitanorojo:20191215234752j:image

 団結小屋から端切れ板をもらい、新聞紙と合わせて火を起こそうとしましたが、なかなかうまくいきませんでした。「ジッポオイル余ってるのやろうか?」と、お気遣いいただくなど、みなさんの協力を得て何とか炭火を起こすことができました。

 他にも業務スーパーで買った切りもちを焼いたところ、これが一番の人気でした。炭水化物あってのたんぱく質ということでしょうか。炭火のなかにアルミ箔で包んだサツマイモを入れておいたところ、終わる頃にはホクホクの焼き芋ができあがっていました。野菜は皮の裏側に栄養が集まっていると言います。このやり方で焼くイモは最強なのではないでしょうか。

f:id:asitanorojo:20191215234830j:image

 12月はさらに寒くなるので、七輪からバーベキューコンロにバージョンアップして、焼き芋とおもちを量産したいと思います。

「昼回り」でお聞きした話

 団結小屋にカンパのパンがたくさん届いているということで、声かけのついでにお配りしました。かなりの量のパンがあり、配る余裕がない場合もあるとのことで、「センターの日」も少し役に立てたでしょうか。

f:id:asitanorojo:20191215234852j:image

 毎回、昼過ぎには医療センターの入り口あたりに、入院患者の方たちが息抜きに出ておられるのを見かけます。ビラとパンをお渡ししてお話を聞くと、「(センターの日に)行きたいけど、向こう側には行ったらあかんと言われとるから」とのことでした。なるほど、入院生活も楽ではありません。

 いつもお話する方からは「これ、シャンプーとかボディシャンプーの試供品のセットなんだけど、自分のはもうとったから、10セットあります。そっちで必要な人に分けてあげて」とカンパをいただきました。団結小屋に預けると「こういうセットは欲しがる人多いから助かる」とのことでした。

f:id:asitanorojo:20191215234916j:image

 最近、警察や役所の人が、センター周囲で寝ている人たちの身元を聞いて回っていると聞いた話についておたずねすると、ちょうど出かけて戻ったときに来ていたので、20分ばかり遠まきにしてやり過ごしたという経験談を聞かせていただきました。

 通りすがりの方にビラを渡して話しかけると、「センターは大事な場所やで。わしも世話になった。50年前に来たけどな。新世界だったら通天閣、センターはこの街のシンボルやで。にいちゃんたちみたいに若い人が、やってくれとるけど……」と思い入れたっぷりに語ってくれました。

f:id:asitanorojo:20191215235031j:image

 風邪をひいて寝込んでいるという方もおられました。もし「これはあかん」というときには、ためらわずにSOSを出して欲しいと思います。

センターをめぐる会議

 9月頃から、センターの解体がはじまったら、求人事業者用の駐車場を作りたいという話が、あいりん地域まちづくり会議の労働施設検討部会でされているそうで、12月中に、その場所を決めると期限が切られているようです。

f:id:asitanorojo:20191215235100j:image

 センターの仮移転、閉鎖からして、行政が勝手にスケジュールを切り、先の見通しもないのに労働者のことはお構いなしに強行していっています。西成特区構想の特別顧問だった鈴木亘という人は、著書で「ジェントリフィケーション(再開発にともなう追い出し)を起こさないための仕組み」として、まちづくりの会議を作ったと書いています。

 ところが、この会議の議題は「あいりん総合センターの建て替え問題」を話し合うことでした。現地建て替えが決まったのは会議の「成果」とされていますが、もともとセンター建て替えは行政にとっては手をつけたくても手をつけにくい「難題」でした。そして、追い出しは着々と進行していることは明白です。

f:id:asitanorojo:20191215235124j:image

労働者の街である根拠

 西成特区構想のまちづくりに欠けているのは「誰のため」という部分です。有識者が叩き台として出した報告書には「今後の西成(釜ヶ崎)が直面する問題・課題」が挙げられ、その対処方法について、あれこれアイデアが盛り込まれているものの、「誰のために」そして「何のために」という部分が抜け落ちています。

 この一年は、みなさんが巻き込まれている現実には及びませんが、私たちにとっても目まぐるしいものでした。一月〜三月は、月一回の「センターの日」をしながらも、閉鎖後の状況が見えないまま、頭を悩ませてばかりいました。

f:id:asitanorojo:20191215235150j:image

 四月の閉鎖阻止にほっとしたのも束の間、暴力的な排除に落胆させられました。閉鎖されても、「センターの日」を続けることだけは決めていました。いったいどこで、どんな形でやればいいのか、ただそれだけのことに、なかなか答えが出せませんでした。

 シャッターの下されたセンターは見通しがきかず、センターに集まる人の数が減れば、必然として「センターの日」に立ち寄ってくれる人も減ります。それでも、新たにはじめた散髪が思わぬ好評を博したり、一人ひとりの方と直にお話しできる面白さの深みは増したようにも思います。

f:id:asitanorojo:20191215235212j:image

 釜ヶ崎は労働者の街です。このことを忘れてはならないし、労働者の街は労働者のために今後も生き続けなければなりません。そうでなければ困る労働者がいます。では労働者とは誰のことでしょうか。この点が今の釜ヶ崎では感じとりにくくなっているのだと思います。

 一人ひとりはいろんな人間で、いろんな思い、いろんな事情を抱えています。それでもそれぞれが労働者なのだと思います。あなたも労働者、私も労働者、お互いの違いを隣り合わせにしながら、いつもこの場所に集うから、ここは労働者の街なのです。

 私たちがここにいることが釜ヶ崎が労働者の街であることの根拠なのだと、「センターの日」も、ともに示し続けたいと思います。