いつもの焙煎と古本放出
涼しくなってきたこともあってか、コーヒーは5回焙煎して、前回を上回る方に飲んでいただきました。長い列を見て、リピーターと思われる方の「ここのコーヒーは時間がかかるのがなあ……。でもうまいけどな!」というひと言が笑いを誘いました。
この日は「焙煎をしたい」といって北九州市から知り合いが駆けつけてくれたり、ある大学の先生に連れられて学生さんが参加してくれたりしました。
古本の放出も好評で、「この本は出ないだろう」と思っていた『ギリシャ悲劇』4巻本と『論語』を見つけてよろこんで持っていかれた方もおられました。「読書の秋」でもなくなっていきますが、古本の放出はもう少し続けてみようと思います。
「いつまで続けるの?」
ビラを片手にお休みのところにお邪魔してお話も聞かせていただいています。「若い人が来てなんかやってくれるのはええとと思うわ」「けど、あんたらのこういう取り組みがどういうものかがはっきりするのは3月に閉鎖された後ちゃうか? 」とある人の言葉。
「センターが閉鎖されることについてあれこれ考えても仕方がない。それよりも5月の10連休をどうするかをみんな気にしている。特掃もなくなるだろうから、そのあいだどうやって食いつないでいけばいいのか。本当はどこかの運動団体がそういうことを言っていってくれんとあかんわ」
「そういう意味でも3月以降あなたらがどうするかが見られる。そのあとどうするかじゃないんかなあ」
繰り返される言葉
「閉鎖されて追い出されてもこっちが悪いんやからどうしようもない」という言葉もよく聞きます。こんな生活してきてこんな状態になっただけで、自分たちが悪いのだと。
シェルターから出された後、寒い時期は禁酒の館も早くから開けてくれるけど、禁酒の館にずっといるのも気づまりです。「そういうのが嫌な人もおるよ、わしらみたいにそういうのが嫌な人間はここにおるわ」。
センターが閉鎖されれば困るのは当たり前。しかし、悪いのは自分たちだからと、いわゆる世間のまなざしというものはあるでしょうが、それが繰り返し労働者の口から出るのは自分で自分を呪詛しているようです。
この「呪い」は社会全体にうっすらとはびこっていて、首を絞める呪いを作動させる呪文を当の本人が唱えさせられているというふうに、ねじれたことになっているように思われました。
未来を語るのもいいけれど
西成特区構想のまちづくりの中では、さまざまな未来像が語られます。それは大切なことかもしれません。しかし、釜ヶ崎の労働者は一日一日を乗り越えていく現在を生きています。
センターがなくなると困る。明日からでも困るのだから、「今のままのセンターを残してくれ」というが労働者の切実な願いではないでしょうか。
未来のことを語り、参加することを強いる人びと、参加を強いられる人びともまた呪われているように感じられます。
現在を理解して認めてくれない未来の構想に私たちの居場所があるのでしょうか。
「どこ行けいうんや!」「ここに居させろ!」
それだけでも十分に尊重されるべき意見であるはずです。
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