大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

Yさんの葬式に寄せて

 去る2017年1月の半ば、Yさんが路上死したという報せがあった。16日にお別れと出棺の場が設けられるというので朝から葬儀場に出かけた。

 Yさんはかつて野宿生活をしており、あちこちの現場にも顔を出して支援者とのかかわりも多い人だった。僕はこの機会まで知らなかったのだが、障害年金を受給しているため、野宿生活をしながらも、金銭的には余裕はあったらしい。

 いつもサングラスをかけ、すらっとした大柄な体格で、片足を引きずって歩いていた。ふだんは格好をつけた言動に振り回されてあまり意識していなかったが、思えばあのサングラスは視力に問題を抱えていたためだったのだろうと今さらながら気づく。

 しばらく前から生活保護を受給して暮らすようになっていた。最近ではどこでどうしているのかよくわからなくなっていた。風のうわさで「出現情報」を耳にすることがあり、相変わらずあちこち顔を出していたようだ。個人的には数年前、大阪市外へ向かう電車の中でばったり出くわして驚いたことを思い出す。

 生活保護を受給して、家もあるはずなのに路上死したという報せはショックだった。生活保護を打ち切られたのか、何らかのトラブルに巻き込まれたのか。真相はほとんど闇の中だ。

 お別れは当日の朝10時から30分間のみ。すぐに出棺となり、火葬場に運ばれる。少し早く着いて霊安室に案内してもらう。Yさんの本名はTさんだった。すでに数人が集まっていた。棺桶を横置きできる程度の幅の部屋が連なっていて、パイプ椅子が2列、8脚並んでいた。

 暴力をふるわれたのではないかと心配していたが、顔に少し血が付いているものの、打撲のあとや裂傷などは見られない。何かの拍子に転んで打ちどころが悪かったのだろうか。衣服は薄手のジャンパーかと思ったら、よく見ると検死の後に遺体をくるむためのジッパー付きの袋のようなもののようだ。お坊さんが来るわけでもないので、正確には「葬式」でもない。葬儀場の職員は約束の30分も経たないうちに早めに打ち切りたいようだっだ。亡くなった状況もわからず、身ぐるみもはがされて、形式的な「お別れ」の時間が設けられただけで火葬されてしまうのはあまりに哀しい。

 Kさんが棺桶の中に自作のビラを入れた。よろずも何かないかと探してみたら、保存用に取っておいた昨年の夜回りのビラがかばんの中に入っていた。自分たちのビラを棺桶に入れると、最後にYさんと言葉を交わせたような気持ちがして少しうれしかった。

 霊柩車が出る際、葬儀場の職員の人に合掌しての見送りをうながされたが、不十分なままに最後まで形式的に送り出させられるのに抵抗感があって、合掌するのはやめておいた。

 親族ではないわれわれは検死の結果を知ることもできない。仕事の都合で見送りの場にすら来れない場合もある。僕らにできるのは、野宿の仲間と当たり前の交流を続けていくことしかないのかもしれない。僕たちがお互いにいろんな人たちと関係を築く中にYさんも生きていた。僕たちが知っているYさんは、そのような関係の営みの中で笑ったり、怒ったりしていたのだ。それなら、この営みをこの先も続けていくことが僕たちにとってYさんの葬いでもある。この場所、この出会いを。