大阪城公園よろず相談

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2016年8月28日(日)第3回哲学読書会『ツァラトゥストラかく語りき』2

 前回から少し間が空いて第3回哲学読書会は引き続き『ツァラトゥストラかく語りき』の第二部を扱いました。

 冒頭、Kさんがテレビドラマの『家売るオンナ』に触れ、第7話で白州美加に対する主人公の三軒屋万智はまさにツァラトゥストラであったと指摘しました。売却され取り壊されることになった実家を守るために、三軒屋に対峙して白州は人が変わったように努力するものの、努力虚しく、最後の抵抗で現場で立てこもります。自分の過去を白州に語り、白州自身が過去から解き放たれることを説く三軒屋万智の姿が超人になぞらえられているのではないかと言うのです。実際『ツァラトゥストラ』はいろんな作品、映画や歌詞などに取り入れられている例が多く見られることをSさんが教えてくれました。難解で取り付きにくい面もある『ツァラトゥストラ』ですが、一度触れておくとじわじわ効いてくる一冊なのかもしれません。

 中身の議論については、すでに最後まで読み終わって何度も読み返しているというKさん、Sさんの意見に押され気味ではじまりました。僕自身は自分なりの理解の仕方を模索しながら読んでいて、ようやくとっかかりが見えてきたかなというところなので、細かいところの解釈までは追いつけません。お二人の意気込みにこちらも応えなければと思うとともに、少し手加減もして欲しいところです。

 第二部はツァラトゥストラが弟子たちを見限る構成になっていて、第三部以降は弟子たちは出てこなくなるそうです。第二部では、弟子たちの反応に対してツァラトゥストラが「首をふる」という描写がやたらと目立ちます。また、「せむし男」に対する会話のなかで、すでにツァラトゥストラは弟子たちに語っているようで弟子たちに語っていないことをうかがい知ることもできます。僕自身は読んでいてまったく気づいていなかったので、こんな仕掛けがあったとはと驚きました。

 『ツァラトゥストラ』で言われている超人とは、完璧な人間や何か突き抜けた能力を持つ存在ではなく、常に迷い、傷つきながらも自らの意思を持って歩み続ける普通の人間の生き方を指しているように思われます。ツァラトゥストラ自身も「自分は人間と超人との架け橋だ」というふうに語っていて、超人そのものというわけではなさそうです。第二部だけを取っても駱駝・獅子・幼子の変化は一過性のものではなく、ツァラトゥストラの中で繰り返されています。『ツァラトゥストラ』は近代という時代を生きるすべての人たちにとって当たり前の生き方を、苦しみながらも受け入れ、肯定しようとした歴史的な書物ということかもしれません。

 最後にKさんから、この『ツァラトゥストラ』で哲学を好きになる解説書を書きたいという提案がありました。「この一冊(ツァラトゥストラ)をきっちり読んだら万事のためになる」というような解説書です。Kさんが『ツァラトゥストラ』に興味を持ったきっかけはとあるプロ野球選手が読んでいると知ったことでした。また、Sさんによれば若者たちに人気のあるバンドの歌詞に『ツァラトゥストラ』が取り入れられている例があるそうです。今を生きるわれわれにとって哲学への関心が高まってるなら『ツァラトゥストラ』はやはり今読まれるべき重要な一冊ではないかと言うのです。

 まだ全員が読み終わってもない段階で聞くには壮大なプランです。しかし、『ツァラトゥストラ』を読んでいると確かにこの時代がどんな時代であり、どのように生きていけばよいかを考え抜いてきた人々の知的な積み重ねそのものへの理解が深まるような感じがします。この読書会の地道な継続もまた、良き生き方を考える歩みになると思われます。