大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2021年12月9日(木)夜回り・文句なしの冬の寒さに文句をいう

 文句なしに冬の寒さがやってきました。それでも今年の冬はマシだなどと言われても何の慰めにもなりません。ちょうど一ヶ月前の夜回りのビラに世界の見方、世界観がどうとか書いていました。あの時はまだ寒さもマシでしたね。

 慰めにならないと言いつつ、まだマシとか言ってしまう。しかし、寒いなら寒いとはっきり言わなければなりません。寒いという叫びはその寒さを否定したい気持ちであり、寒さを乗り越える可能性を同時に呼び起こすものでもあります。その叫びは、叫びを上げる今ここでこそ意味を持つものです。この場所から世界を変えていく取り組みがはじまると言えましょう。

 そんなことを言われても何の慰めにもならないって? これは慰めではありません。慰められている場合ではないのです。寒いものは寒いのですから。寒いのは誰しもが嫌なことなので、誰しもが寒さから逃れる権利があります。寒さから逃れることを否定する人がいたら、まちがっているのはそいつです。

 この寒さ以外にも、私たちには叫びたいことがたくさんあります。叫びたくなるようなことがあるということは、それこそが変えるべきことであり、その場所こそが、よい世界へ向かう出発点です。叫びたいことは皆さまざまにあろうことかと思います。それぞれの叫びを持ちよって、その場所を新しい世界の出発点にしましょう。今年最後の寄り合いも寒いかもしれませんが、とりあえず温かいものを食べましょう。

2021年11月25日(木)夜回り・大切なことはそうは変わらない

夜回りでは配れませんでしたが、流用もできない内容なので、記録として残しておきます。

 月曜日の雨は激しかったですね。翌日からは天気予報通りグッと冷え込んできました。

 新型コロナの流行はどうなるのでしょう。今のところ、感染者数は下がり続けて、リバウンドの兆候はありません。日本の場合、期間を集中してワクチン接種を進めたため、今が集団免疫がもっとも高くなっている時期なのではないかとテレビで言っていた仮説がもっともしっくり来ます。

 休みの日は各地の観光地に人がごった返している風景もテレビに映し出されています。ワクチン接種がいち早く進んだヨーロッパでも、同じような風景が見られた後、リバウンドが起こっていたことを思い出します。

 GO TOトラベルだ、イートだ、18歳以下に10万円だ、クーポンだ、マイナポイントだと、総選挙の後も行き先の知れぬ話題に事欠きません。世間が浮かれた話に溺れている間に、私たちはじっくり私たち自身のための計画を練りましょう。大切なことはそうは変わらないのですから。

第48回「センターの日」のお知らせ

「センターの日」とは

 労働者の街として知られる大阪の釜ヶ崎は今、大きな再開発の波にさらされています。2012年に始まった西成特区構想による「まちづくり」も進められています。貧困層の追い出しをともなうジェントリフィケーションであるとの批判もあります。

 地域住民と行政が協同して地域を良くしようと努力しているとの主張がある一方、これまでと変わらない強制排除が幾度となく繰り返されています。真実はいったいどこにあるのでしょうか?

 労働者の街である釜ヶ崎に、あいりん総合センターという施設があります。センターは釜ヶ崎の中核とも言える場所です。このセンターの建て替え、閉鎖、仮移転がまちづくりの会議の中で決定しました。

 釜ヶ崎で何が起きているのか、私たちは何かできることはないのか、私たちは何を知るべきなのか。一から考えるために、私たちは2017年11月から月に一回、第三土曜日に釜ヶ崎のセンターで労働者の声を聞く取り組み、「センターの日」をはじめました。

場所・日時のご案内

 JR新今宮駅西口から地上に出て、国道の向かいのあいりん総合センター北西側の団結小屋周辺か高架下の駐輪場付近で、2021年11月20日(土)13時から16時に実施します(基本的に毎月第三土曜日)。

これまでの「センターの日」

 これまでの報告はこちらです。

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回 第21回 第22回 第23回 第24回(中止) 第24回 第25回 第26回 第27回 第28回 第29回 第30回 第31回 第32回 第33回 第34回 第35回 第36回 第37回 第38回 第39回 第40回 第41回 第42回 第43回 第44回 第45回 第46回 第47回 

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カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力下さい。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

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2021年10月16日(土)第47回「センターの日」——ビラとルビ

ビラとルビ

 ご覧のとおり、「センターの日」のビラはすべての漢字にルビをふっているのですが、「センターの日」をお手伝い下さった労働者に「これがありがたい」「勉強できて助かる」と言われました。野宿者運動の現場では、20年前からビラにルビをふるのが当たり前でした。しかし、次第にルビをふった掲示物や配布物は減っていきました。ときどき「もうルビなんてふらなくていいんじゃないか」と思う時もありましたが、やり続けてきて良かったです。

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散髪の面白さ

 いつも散髪をしてくれるメンバーがいなかったので、代わって素人散髪をしました。バリカンで坊主にするだけなのですが、少し緊張します。その緊張は相手にも伝わるのでしょう。散髪をしていると、お互いに気配りをし合って、不思議な親しみが湧き、会話がはずみます。

 「センターの日」で、こういうことができるのがいいところです。夜回りでもなく、炊き出しでもなく、わずかな焼肉やコーヒーで「労働者のご機嫌を取っていい気なものだ」と言ってしまえばそれまでです。しかし、きっとセンターはそんな当たり前の欲求を満たしたくて労働者が集まる場所なのだと思います。そのようなセンターを私たちは守りたいと思います。

 前日に告知ポスターを貼っている時、当日ビラを配っている時にも、寅さんとリリーの写真に反応して思い入れを語ってくれる人が大勢いました。いろいろ試行錯誤はありますが、「センターの日」はこうやってプラスアルファの娯楽が得られる場であればいいのだと分かった気がしました。

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センター本来のあるべきあり方

 「センターの日」は「センターはもともとそういう場所なんじゃないか」という着想から始めたことでした。つまり、みんな勝手に集まって思い思いに過ごしている、それが許されている場所で、広げてみれば、釜ヶ崎の街全体がそういった雰囲気を持っているはずです。

 建て替え後のセンターの機能がどうとか、未来の釜ヶ崎に必要なものは何かだとか、そういうことばかり気にしている時点で、センターの何が大切なのか、釜ヶ崎の何が魅力であり続けてきたのかを、つかみ損ねているように思えます。

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正しさのもたらすもの

 排除への対応は包摂だと思われがちですが、私たちは反排除だと思っています。インターネットで個々人が意見を言い合うようになってからか、何かに対してあたかも前向きな何かを持ってきて、それに邁進することが正義になっていきます。確かに、それだけを見れば非の打ちどころのない主張でも、そこに誰もが押し寄せることで、小さいけれど欠かせない拠り所が潰されて行っているように思われます。

 何かに対して何かを持ってきて、その正しさを主張するロジックは本質的に排除的なものなのかもしれません。このような発想法の分かりやすさが根本的な何かを見落とさせているように思えてなりません。排除に包摂を対応させることすら、結果的にある側面では排除を後押しするように。

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お知らせ

 年が明けてからになりますが、「センターの日」の番外編企画を考えています。ご期待下さい。

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2021年11月11日(木)夜回り・夜回りに寄せて

 私たちは、同じ言葉を使いながら、まったく別のことを語っている人と向き合わねばならない時に生きています。それが分からない人の言葉にからめとられるのは、自分もまた、一方でその用法に縛られているからでしょう。同じ場面で同じ言葉を使っていても道は開けません。別のことを語る人には語りえないような場面でその言葉を使うこと、そして、別のことを語る人が使えないような言葉の組み合わせで語ることによって、道が切り開かれるはずです。そのためには、そのように語れる場所まで行かなければなりません。

 まだ誰も手にしていない何かを目指せば、誰かは分からないけど、いずれ必ず誰かが犠牲になります。そして、誰かがその罪を背負うのです。何も目指さず、自分の生活を守っているだけでも、どこかで誰かが犠牲になっています。しかし、そうしていれば、ともあれ自分が罪を背負うことは避けられるでしょう。それでもそこを越えて先へ行こうというなら、そのための世界観が必要です。

 犠牲を犠牲だと思えることは、その世界観を構成するものであり、世界観そのものを作り出すために犠牲と見做される人が見出されるのです。誰しもが役割を持っていながら、自分一人で役割を担うことはできません。他者によって生かされていることを思えば、罪も犠牲も与えられたものであるかもしれません。

 そこに世界を見ようとする者がいなければ、向かう先も何もあったものではありません。世界を見ようとするには意志を持たぬ意志でなければなりません。そこに見出されるものは己の意志ではないにもかかわらず、見ようとすることだけが、これを可能にする意志となります。

 当たり前に機会が得られないことによって貶められた境遇が問題なのだとしたら、ともに抗う仲間ともなりましょう。

2021年10月28日(木)夜回り・路上に転がっている可能性

 だいぶ寒くなってきました。今週月曜日の雨では、原付に乗っていて寒さに凍えました。先週日曜日の寄り合いでは、寒さに備えて衣料の配布を行いました。前回の夜回りの翌日の夜には、希望を聞いて、いく人かに寝袋をお届けすることもできました。

 今月はいろんなことがありました。20年以上にもわたって大阪城公園で野宿生活をしていた仲間が生活保護を受けてアパート暮らしをはじめたことを知りました。「俺もそろそろだと思っている」と5年くらい聞き続けた日々を思い出します。慣れない生活になじむまでもなじんでからも、寄り合いに顔を見せて欲しいと切に願っています。

 前回の夜回りでお会いした人の相談にのって、翌週には役所に同行したり、弁護士事務所で借金の処理を引き受けてもらったりと、とんとん拍子に事態が進展したのも印象深いことでした。まだ課題は山積みですが、じっくりお付き合いできればと思っています。

 ふだん、なかなかお役に立つことの適わない私たちの活動ですが、何かの折にご相談いただけると幸いです。野宿生活は決して楽なものでも望んだものでもないかもしれませんが、一人で苦しんでいてもなかなか表に出せないことを開示できるところでもあります。何でもありなだけに何とかなってしまう可能性も路上に転がっていると信じています。

 

2021年10月14日(木)夜回り・多様性について考えました

 前回のビラに書いた「そろそろ冬支度?」というのは、いくらなんでも気が早すぎるだろうと、のちに反省しました。

 盛り上げたわりになんの中身もなかった自民党の総裁選が終わり、衆議院解散総選挙が近いということで、各党の公約がマスメディアをにぎわせています。どこかで聞いたようなことがつぎはぎになって、オリジナリティを競っているという感じで、頭に入ってきません。

 その中で「多様性のある社会」というのが気になりました。「多様性のある社会」と言って、この人たちは一体何を意味しているのかと考えました。多様性というのは、ほっとけばあるもので、型にはめたり、型から外れるものを潰そうとするから無くなるようなものではないでしょうか。それなら「多様性のある社会」というのは、型にはめたり、型から外れるものを潰さないようにしようという提案なのでしょうか。

 しかし、政策というのは実現を目指すものです。「多様性のある社会の実現」というのは、「しないようにしよう」と言っているようなもので、何をして、何を成し遂げてくれるのかまったくわかりません。また、単にいろんなものがあるというだけなら、細かく見ていけばどんな状態でも多様です。選択肢が無数にあっても、選びたいものがなければ何の意味もありません。

 よろずとしては、野宿生活をしていても選挙で当たり前に投票できるようにすることを提案したいと思います。住民票を置かないと特別定額給付金は出さないなどといった硬直した思考も、こういったところから切り崩されて、マシな社会になっていくでしょう。