大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2019年6月6日(木)夜回り・釜ヶ崎センター続報/恐怖のバチカン

釜ヶ崎センター続報

 5/24に指定された荷物引き取り日にまた強制排除があるかと思われたものの、6/5現在、行政による目立った動きはないようです。

 しかし、暑さが増すなかで倒れ、救急搬送されて亡くなった方がおられました。センターが開いていればこんなことはなかったかもしれません。

 今年も豪雨や猛暑などの自然災害が予想されます。昨年の台風の時、日中はセンターに避難していたという人もたくさんおられました。避難所としてセンターは代わりのない稀有な場所です。

 毎月第三土曜日には「センターの日」と称してセンター周辺で寄り合いを行なっています(6/15で20回目)。たとえセンターがなくなっても、そこにいた人間がいなくなるわけではありません。集まることで当たり前のことを訴えていく力がセンターにはあるはずです。ぜひお立ち寄りください。

恐怖のバチカン

 イタリア三家族珍道中。なかなかトリノの社会運動現場の交流の話に入れません。引き続きローマ観光の話です。

バチカンって何?

 「朝のサン・ピエトロ大聖堂は絶対おすすめ」と言われていたので、じゃあ行こうかなくらいに考えていました。同じように「システィーナ礼拝堂は見ておくべき」という意見があって、どちらもバチカンにあるらしい。バチカンといえばローマ法王のいるところで、一つの街でしかないのに、独立した国家として扱われているとかなんとか、その程度の知識です。

 案内所まで連れてきてくれた女性はどこへやら、中東系の男性ガイドに引き渡されました。言われるがままにガイドに着いてくと、横断歩道もない路を強引にわたった目の前に高い壁が立ちはだかっています。大きな入り口があったかと思ったら、そこは出口。「バチカンミュージアム」とアルファベットで書かれています。その横の入り口は人だかりです。

バチカン美術館へ

 「別に美術館とかどうでもいいんだけどなー。バチカンのなかをぶらっと散歩して、大聖堂やら礼拝堂やらを見たいだけなんなけど」くらいに考えていたのが大まちがいでした。

 「バチカンに入る」というのは要するに「バチカン美術館に入る」ことで、そもそも散歩気分でぶらつくというような場所ではなかったのです。バチカン美術館の入り口では空港でやるような手荷物検査がありました。ガイドの人はそこで笑顔で去って行きました。

 「よくわからんけど、せっかくだし美術館も見ていくか」と、手近なフレスコ画のエリアに入ました。きっとすごいコレクションなんだろうけど、縁なき衆生にはやや退屈です。ここだけでも結構時間がかかりました。「全部見てたらきりがないから、とりあえずシスティーナ礼拝堂に行って、最後の審判の天井画を見に行こうよ」と、スマホの地図を見ながら移動しようとするのですが、どちらへ行こうにも建物の壁がのびており、結局案内表示にしたがって進むしかありません。

恐怖のバチカン回廊

 数百メートルは余裕でのびた建物の中は全て展示場になっています。ある通路はギリシャかローマかの頭部彫刻ばかりがはてしなく並んでいて圧倒されました。大理石で作られた浴槽や彫像で囲われた中庭は荘厳でした。その辺りで二人がはぐれてしまいました。合流しようと連絡を取ろうにも携帯電話の電波状態が悪く、気づけばものすごい人だかりで戻ろうにも戻れなくなっていました。「とにかく最後の審判のところまで行ってから合流しよう」ということにして、それぞれ歩みを進めました。

 ところが、歩けども歩けども先は見えず、高い天井はきんきらきんに飾り立てられ、壁はどでかいタペストリーに覆われた空間が数百メートルと続きます。もうしんどいから非常口から出させて欲しいとお願いしても、そんな理由では出してくれません。ベルトコンベアの上を自分の足で歩かされる供物のような気持ちで巨大建造物をさまよいました。

最後の審判

 「最後の審判」を目にするまでにも、いくつも天井画を見せられました(もうええっちゅうねん)。ようやくたどり着いたシスティーナ礼拝堂では「立ち止まるな」と叱られながら、見物客がひしめき合っています。その光景を評して「ガス室かと思った」と誰かが言ったとか言わなかったとか。

 バチカン美術館は「最後の審判」というボスに叩きのめされるまで全てのルートを歩き切らなければいけない、大仕掛けなお化け屋敷のような場所だったのです。サン・ピエトロ大聖堂に立ち寄る元気はもはやありませんでした(次回はいよいよトリノへ)。