大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年8月2日(木)夜回り・アボリジニの編み籠

こんばんは!よろず相談です。
 あまりにも暑い今年の夏です。天変地異と申しますか、地震があって、洪水があって、酷暑が続き、台風までもあり得ない進路をとって列島を舐めるように通過・・・日本列島はまるで平安時代末期のように、乱れております。いかに科学が発展しても自然にはかなわないというのは、日中、10分も道に立っていたらじゅうぶんに思い知らされるところですが、この自然の猛威に庶民が右往左往している間に、安倍政権は好き放題やりたい放題・・・。ほんまに世も末だ。。。と嘆こうにも暑さのせいで頭がぼーっとしてなにひとつ考えがまとまらない今日この頃です。
 さて、「大英博物館展100のモノが語る人類の歴史」という展覧会で展示された「アボリジニの編み籠」というものがあります。アボリジニはオーストラリアの先住民です。編み籠はアボリジニが何万年も伝統的な技術を用いて作り、使い続けているモノだそうです。アボリジニは住居を持たず、大地を移動しながら狩猟・採取の生活を続けてきました。住居を持たないので、この編み籠に生活道具を入れて持ち運んでいたということらしいのですが、一生を送るのに持っている財産と言えるものはこの籠に入るだけの物だけであったし、何万年もこのような暮らしを営み続けてきたことに私たちは驚かされるのです。また私たちは、都市文明が栄え、思想が生まれ、科学が進歩して人類は発展してきたと思い込んでいますが、このシンプルな一つの長い背負子籠を見て、「発展」とはまた別のもうひとつの人類の在り方―自然の一部として暮らしを営むという生き方が、実は人類の真の知恵だったのではないか???という考えがふと脳をよぎるわけです。しかし、この籠に価値を見出した西欧そのものがオーストラリア大陸を植民化し、アボリジニたちを迫害し、虐殺し、彼らの文化を奪った張本人なのですから、もう一つの人類の可能性など考えるだけでも、罪深い気もします。
 なんでこの寝苦しい熱帯夜に、アボリジニの背負子話やねん、と思われるかもしれません。
 ですが、夜回りでもときおり幸福について話をすることがあります。幸福とは何ぞや?
 乱れ狂う世の中で、今となっては背負子の夢をみることすらかなわないかもしれませんが、それでもこの編み籠は、充足することとか、幸福とはなにかを静かに語りかけているように思われるのは私だけでしょうか。