大阪城公園よろず相談

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2016年10月9日(日)第5回哲学読書会『ツァラトゥストラかく語りき』4

 『ツァラトゥストラかく語りき』の最終回、第四部について話しました。最後とあって、これまでのツァラトゥストラの言葉、ツァラトゥストラのやってきたことについて各々の思うところを出し合いました。時代の制約はあるにしても、ニーチェの念頭にある読者は階層の高い人々であり、当時の社会的弱者まで視野に入れた思想ではないのではないか、共感する点はあるけれどもこの一言があるためにどうしても受け入れられない──というふうに、かなり深いところまで踏み込んだ意見がありました。あるいは各々が自分自身の深いところまでツァラトゥストラを招き入れて言葉を引き出してきたようでもありました。

 4ヶ月かけてこうして一冊、議論しながら読み切ってみると、得られたものはとても大きく、しっかりしたものであったように思われます。『ツァラトゥストラ』を読みながら、背景にある哲学的な問いをすでに意識しながらそれぞれの問題関心を探っていけたようです。この読書会で将来『ツァラトゥストラ』を再読したらどんな議論ができるかと考えると楽しみが広がります。

 ツァラトゥストラは肉体が欲するものを精神より上に置きます。では、この肉体が欲するものとは何なのか。この欲望には善悪、上下があるのかということについて、Sさんは知識欲こそ最上の欲求なのではないかと言います。Sさんの「哲学と出会う前の自分は世界のことを全くつまらないものと思っていたが、哲学と出会ってからは世界が素晴らしいものだと思えるようになった」というこの日の告白は、重みは違うかもしれませんが、僕にとってもとても現実味のあるものとして感じられました。

 この読書会が始まる前、僕自身は参加するかどうか決めかねていたのですが、ちょうど『ツァラトゥストラ』が話題になっていたことで参加する流れとなったことは以前書いた通りです。この読書会で『ツァラトゥストラ』を読む過程で、背景的な知識を調べたり、哲学の入門書に触れたりして関心が広がり、いろんなことに理解が得られました。一人で読んでいたら決してこのような、次を読むのが楽しいワクワクする気持ちにはなっていなかったと思います。

 次に読む本はプラトンの『プロタゴラス』になりました。Mさんの「哲学の最初に戻ってみる?」という発言から、Kさんが「それならプラトンがいいと思う」と言い、僕がちょうどソクラテスに興味を持って『プロタゴラス』を持参していたということもありました。プラトンの書いたものは対話形式になっていて、まるで物語を読んでいるような面白さがあります。当時のギリシャ社会はこのような雰囲気だったのかという面白みもあります。『ツァラトゥストラ』より読みやすいし、ボリュームも手頃なので、次回は『プロタゴラス』一冊を読んできて議論することになりました。