大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2018年7月21日(土)第9回「センターの日」──この街に宿る力とは

 暑さのいや増す7月の「センターの日」は、発電機を持ち込み、業務用の機械でかき氷を作って提供しました。人によっては2杯、3杯とお代わりを求められて、いつもよりも長い待ちの列ができてご好評いただいたようです。

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 昨年11月、センターにこたつを設置して寄り合いをはじめ、翌12月の第2回では、帰りがけの管理職員に「こたつを置くなんて前代未聞や!」と叱られました。第9回の「センターの日」は新たな「前代未聞」を増やしてしまったかもしれません。

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 「事情があって愛知県から一昨日出てきたばかり」という方にもお会いしました。釜ヶ崎から仕事に行ったことがないというので、手配師の見分け方や現金の探し方などをお話ししました(仕事に行くことはできたでしょうか)。以前には、東京から歩いてやってきたばかりだとか、釜ヶ崎のことなど知らずに昨年末に香川県から出てきたが、ここでできたツレにいろいろ教えてもらったという方もおられました。「釜ヶ崎は人が来なくなった」などと言われますが、釜ヶ崎はあいかわらず流れゆく人の寄り場に違いありません。

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 1階と3階でお休み中の方にお邪魔している「昼回り」では、私たちがふだん余所で行なっている夜回りでお話ししたことのある方と再会し、お互いにびっくりしました。その方のツレの方に「自分たちがどうするかはともかく、センター閉鎖されたら「センターの日」はどうするの?」と問われました。どうお答えしたものかと困っていると、「……俺は続けて欲しいけどな(笑)」との言葉をいただきました。

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 今年の異常な猛暑で、現金に行くのは控えているが、涼しくなったら行くつもりだとか、「自分は契約を主にしてきたが、ここに帰ってくると肩の荷が下りたような気持ちになる。ここは土工の街、労働者の街だから」というお話も聞きました。前回のビラの裏面に書いたことに触れて「ここに実際に人がいるのに、ここにいる労働者のことを無視して建物の移転・建て替えの話だけが進んでいくのはおかしいと思う」とお話しすると、「……あんた今いいこと言った。そうかもしれん」とこの方はおっしゃっていました。

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 「何とかしたいけど、どうにもならない。わしらが若かったら闘争できたけど。大学生とか、もっと若い子が来てくれたらテレビも取り上げてくれていけるかもしれないが」という声も聞きました。

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 「センターの日」を続けるなかでセンターに集う人たちのたくさんの声を聞いてきました。あきらめているのか、いないのか。この街はなくなるのか、なくならないのか。確かなことは、ここにさまざまな人生を背負い、この街で生きてきた人たちの経験と記憶が集まっているということです。このことを一人一人が思い出すことが未来を切り開くはじまりのように思われます。

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 「まさかセンターでかき氷が配られるとは……」と、労働者のみなさんの度肝を抜くつもりでかき氷の準備をしました。「センターの日」などという得体の知れないことができてしまうこと、すぐに受け入れられること自体がこの街に宿る力を証明しているように私たちには思えます。

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第8回あいりん地域まちづくり会議について

 2018年8月8日(金)19時より西成市民館にて、いわゆる「まちづくり」の進捗について行政による報告会が開催されました。報告にあたったのは行政職員と大学教員を中心とした「有識者」でした。

 釜ヶ崎に暮らす人びとを対象とした地域の報告会であるにもかかわらず、その内容は当たり障りない事実関係の説明の域を出ませんでした。また、質疑応答の時間は設けられず、質問用紙に書かれたことを行政職員が恣意的に選別しながら部分的に回答するひどいものでした。また、この報告会が実施されること自体、十分な告知がなされていなかったようです。

 「活動家が報告を妨害するから」という理由で、このようなやり方が正当化されていました。しかし、例えば大阪市の住吉市民病院廃院の市民説明会でも、大阪市による十分な説明も納得のいく説明もなかったようです。つまり行政は「困った時のいつものやり方」をしているだけなのに、「お前らが悪い」ことにして、自己正当化しようとしているわけです。

 「ボトムアップのまちづくり」などとおだてられて、その気になっている「有識者」のみなさんがこんな報告会のあり方に疑問を持たないのが不思議でした。

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2018年8月2日(木)夜回り・アボリジニの編み籠

こんばんは!よろず相談です。
 あまりにも暑い今年の夏です。天変地異と申しますか、地震があって、洪水があって、酷暑が続き、台風までもあり得ない進路をとって列島を舐めるように通過・・・日本列島はまるで平安時代末期のように、乱れております。いかに科学が発展しても自然にはかなわないというのは、日中、10分も道に立っていたらじゅうぶんに思い知らされるところですが、この自然の猛威に庶民が右往左往している間に、安倍政権は好き放題やりたい放題・・・。ほんまに世も末だ。。。と嘆こうにも暑さのせいで頭がぼーっとしてなにひとつ考えがまとまらない今日この頃です。
 さて、「大英博物館展100のモノが語る人類の歴史」という展覧会で展示された「アボリジニの編み籠」というものがあります。アボリジニはオーストラリアの先住民です。編み籠はアボリジニが何万年も伝統的な技術を用いて作り、使い続けているモノだそうです。アボリジニは住居を持たず、大地を移動しながら狩猟・採取の生活を続けてきました。住居を持たないので、この編み籠に生活道具を入れて持ち運んでいたということらしいのですが、一生を送るのに持っている財産と言えるものはこの籠に入るだけの物だけであったし、何万年もこのような暮らしを営み続けてきたことに私たちは驚かされるのです。また私たちは、都市文明が栄え、思想が生まれ、科学が進歩して人類は発展してきたと思い込んでいますが、このシンプルな一つの長い背負子籠を見て、「発展」とはまた別のもうひとつの人類の在り方―自然の一部として暮らしを営むという生き方が、実は人類の真の知恵だったのではないか???という考えがふと脳をよぎるわけです。しかし、この籠に価値を見出した西欧そのものがオーストラリア大陸を植民化し、アボリジニたちを迫害し、虐殺し、彼らの文化を奪った張本人なのですから、もう一つの人類の可能性など考えるだけでも、罪深い気もします。
 なんでこの寝苦しい熱帯夜に、アボリジニの背負子話やねん、と思われるかもしれません。
 ですが、夜回りでもときおり幸福について話をすることがあります。幸福とは何ぞや?
 乱れ狂う世の中で、今となっては背負子の夢をみることすらかなわないかもしれませんが、それでもこの編み籠は、充足することとか、幸福とはなにかを静かに語りかけているように思われるのは私だけでしょうか。

 

第9回「センターの日」のお知らせ

 第9回「センターの日」を7月21日(土)14:00〜17:00に行います。

 前回からはじめた3階でのビラまきを今回も行います。これまでの寄り合いに加えて、別の形での関係形成も続けてやっていきたいと思います。

 また、今回は特別企画も予定しています。ヒントはビラに隠されています。寄り合いでもビラまきでも、関心のある方の飛び入り参加は歓迎します。

 実際にその場に足を運び、向き合うことからわかること、気づけることを大切にしていきたいと思います。

 これまでの報告はこちらから(第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回)。

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2018年6月16日(土)第8回「センターの日」──昼回りはじめました

 第8回目の「センターの日」では3階でビラまき、声かけをさせていただきました。ふだん支援団体がやっている「夜回り」ならぬ「昼回り」です。

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 お寝み中の方には枕元にビラを置かせていただきました。何人かの方には声かけにこたえてお話をうかがうこともできました。聞けば、この「センターの日」の前日の金曜日に区役所の職員がセンターを回り、「来年3月の閉鎖までに身の振り方を考えてくれ」と言っていったとのことです。

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 現在、センターの中はもちろん、釜ヶ崎の町のあちこちに「新しくなって戻ってきます!」と赤い矢印が左右に丸く配置された大きなポスターが貼られています。その横には「工事のスケジュールイメージ」「本移転に向けた機能検討の整理一覧」という2つの図も添えられています。かまやんは「え〜 戻って来るんかい! 知らんかったぁ!」と叫んでいます。

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 この日、私たちがお聞きしたところでは、「センターが閉鎖されたら、どこかへ移動するしかない」「ギリギリになるまでどうするかは保留していると思う」など、苦衷がうかがえました。先行き不透明な状況では、身の振り方を考えようにも考えようがありまません。次のような直接的な怒りの声もありました。

「一番なんとかして欲しい人がほっておかれている。センターの閉鎖について、一年前に自分たちになんの相談もなかった。それを今になって決定事項として言って来た。3月で閉めるから行き先を考えろと。そのことには腹が立つ。」

 釜ヶ崎の中に無料駐輪場がやたらと増える一方で、センターの向かいの路上は放置自転車の保管スペースになっています。そのフェンスにもこのポスターは貼られていて、どこまで実現するのかわからない理想が添付図につめこまれています。

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 はっきりしているのは「センターが取り壊されて、別の建物ができる」ということだけです。そこにいる労働者をほったらかしにして、建物をどうするかという話ばかりが進んでいきます。結局これまでと何も変わっていないのだなと呆れる思いです。

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 1階ではいつものようにコーヒーを出しました。今回、焙煎から現地で行ったところ、メキシコはチアパス州産コーヒー豆の香りがセンターの隅々まで届いていたようです。うまく焙煎されれば、砂糖を入れなくても甘みが出ます。

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 ある方からは「高知に行ってきたから」と「“高知” ふるさとの味」とパッケージに記載された芋けんぴを差し入れしていただきました。この芋けんぴがコーヒーの香りを引き立てて、とても美味しかったです。

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 毎回来てくださる方や、2度目、3度目という方も増えてきました。これまでのギター弾き語り、壁面写真展に加えて似顔絵描きもはじめました。普段どおりのセンターの姿から少しずつでもここから見える風景に気づいていきたいと思います。気軽にお立寄りください。

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カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力いただけると幸いです。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会、「センターの日」などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
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2018年7月1日(日)寄り合い──障害物に現れるチグハグな風景

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 朝晴れていると思ったら夕方ほんのひと時だけ土砂降りになったり、降らないまでもねっとりした湿気が漂っていたり、落ち着かない天気が続きます。この日もちょうど寄り合いのときだけ雨マークがついている時もあったのですが、当日になると終日晴れマークに変わっていました。

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 オーストラリア産のロースステーキ肉を塩コショウして焼いたものを持っていったところ、かつて神戸の港である働いていた時に付き合いのあった「外人さん」のうちで食べたステーキを思い出すというエピソードを聞くことができました。また、港湾荷役の経験について披瀝し合う一場面もありました。野宿生活の最中ではあまり過去の仕事を聞く機会はありませんが、こうして集まるった際にふとお互いが触発し合うように語られるエピソードは魅力的です。

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 今日の大阪城公園森ノ宮駅側は、あいかわらず恐ろしい人出で、商用利用を意識したさまざまな障害物が増えているのが目につきました。もともとは園路で活動していて、ロードトレインに追いやられるように東屋跡に移動してきていた大阪城一輪車クラブの方たちは、「臨時駐輪場」化によってさらに奥の方に移動していました。

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 前回の寄り合いのときにオープンしたてだった有料児童遊戯施設は、その時ほどの利用客はいませんでした。暑さのせいもあるのかもしれませんが、利用客のない商業施設など、単に場所を占拠しているだけです。

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 白い鉄板が連綿と続く「クールジャパンパーク」予定地はただただ景観を損ねています。

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 音楽堂からは今日もスピーカー越しに大音量が流れていました。

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 商業化された空間は「きれい」に見えます。障害物すらひと手間かかっています。しかし、同じ障害物でも、臨時駐車場のような「お客様」のためではない場所になると途端に使い古された実用一点張りのものになります。このチグハグな風景は、金になるものと金にならないもの、そして、それらをめぐる商業主義と当たり前の生活のせめぎ合いの現れです。

2018年6月21日(木)夜回り・震災と公園

こんばんわ。よろず相談です。月曜日の朝の地震は驚きました。みなさんはケガなどしなかったでしょうか?

考えてみると大阪城公園は、災害時の広域避難場所です。収容人数は83700人と試算されています。

阪神淡路大震災のとき、週刊誌で「便乗ホームレス」と写真付きで避難所を利用する野宿者をやゆする記事が掲載されたことがあります。実際に野宿者が避難所から排除されたり、あからさまな排除はなかったとしても、自ら避難所には居場所がないと感じて災害後の片隅で人目につかないように野宿している人がいたりしたことがありました。現在も活動を続ける神戸の冬を支える会は、もともとそういった避難所には入れない人たちの命を守るために、自らテントを張って冬を越そうとした活動でした。大きなテントのなかでみんなで話し合ったりご飯を食べたりして励まし合っていたのを思い出します。

「公園は寝るとこちゃう」とか「住むとこちゃう」

などと野宿者を追い立ててきた行政ですが、災害が起きれば人々が避難してきて、テントを張ったり、焚き火をしたりするでしょう。
もしかすると、もともと野宿している者が「便乗してる」と言われたり、追い出されたり、居づらくなったりするかもしれません。

日本社会はこの20年で大きな震災を経験し、ボランティア元年と言われるほど阪神淡路大震災以降、災害が起きれば助け合いの生まれる社会になりました。けれど、

公園はどうでしょうか?人にやさしいでしょうか?人が人らしく振る舞える場所でしょうか?まさか、避難場所まで有料ゾーン無料ゾーンリッチスタンダードなどと、分けはしないでしょうが。

まだ地震は起きるとも言われています。必要以上に不安になっても仕方がないし、いつも通りの暮らしを送るしかなさそうですが、、、。もしものときは、私が助けてもらわないといけないかもしれません。

第8回「センターの日」のお知らせ

 第8回「センターの日」を6月16日(土)14:00〜17:00に行います。

 今回から1階と3階で休んでいる方たちへのビラまきを定例化していこうと考えています。「興味があるけど、どうかかわっていいかわからない」という方はこれをきっかけにでもご参加下さい。

 これまでの報告はこちらから(第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回)。

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