大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2017年9月23日(土・祝)寄り合い──秋の持ち寄りごはん

 今月は日曜日によろずメンバーの都合がつかなかったため、23日(土)、秋分の日に寄り合いを持ちました。特に秋の味覚というわけではありませんが、いつもの持ち寄りごはんです。

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 全体的に色味が茶色っぽいですが、右上の丸い器はゴーヤとじゃこを煮たもので、苦味と旨みがマッチしていました。

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 レタスの入った焼きそばは美味しいです。レタスが余った際にはぜひ焼きそばを。

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 真っ赤なキムチにご注目下さい。大阪城公園のSさんと交流のあるキムチギャラリーの社長さんが、商品のキムチをたくさん差し入れして下さいました。

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 このキムチがとても美味しくて、「辛すぎる一歩手前の絶妙な美味さ」とでも申しましょうか、キムチだけがおかずでもご飯が進んでしまいそうです。

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 この日は、これまたSさんの知人である詩人の里みちこさんが、お友だちを連れて市民の森にいらっしゃって、よろずのメンバーもしばし歓談に加えていただきました。

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 野宿者がいる公園は、どんな人でも受け入れる懐の深さを持った公園です。そんな公園だからこそ、地域や職場、学校では得られない出会いがあるのです。

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 森ノ宮駅側入口の水路は、水を抜かれてもう丸2年になろうとしています。この間、無粋な看板が景観を損ねていただけです。大阪城パークマネジメント事業は金儲けの口実に過ぎないことがみて取れます。

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 管理主義と商業主義が手を握って私たちの生きる場所を狭めていることに気づいて欲しいと思います。この世界にムダなものなどなく、「ムダなもの」を作り出す仕組みがあるだけです。

里みちこ メメント・森の言の葉展

 2017年10月17日(火)〜11月12日(日)に京都市で開催される里さんの展示会のご案内をいただきました。ご本人による詩がたりも予定されているようです。以下に詳細を掲載いたします。

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2017年9月18日(月・祝)第11回哲学読書会『笑い』(1)

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 今回の哲学読書会はいつもより早めの時間、2017年9月18日(月・祝)の16時から、西成区山王2丁目の高架下にある揚羽屋をお借りして行いました。

 大阪城公園のKさんセレクトで、平凡社ライブラリーベルクソン『笑い』を読みました。これまでの本と比べると、やや難解で、「解説を先に読んでしまったら、本編を読みきれなかった」ということも。しかし、「笑い」について考えはじめると、いろんな「笑い」について議論が及びます。「笑う門には福来る」のようなことわざを見て行くと、「来年のことを言うと鬼が笑う」とか、「今泣いた烏がもう笑っう」といったものがあります。

 前回から参加して下さっていて、今夜は時間をまちがえて遅れて来たOさんは、キリスト教の牧師らしく、ルカによる福音書の「今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる」という一節をレジュメに引いて来てくれました。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説にもあるように、キリスト教では笑いが良くないものとして扱われているとKさんが話してくれた矢先だったので、Oさんにお訊きしたところ、新約聖書でも笑いが出てくるのはここくらいだそうです。

 平凡社ライブラリーの『笑い』には、フロイトの「不気味なもの」というエッセイも含まれていて、ベルクソンフロイトを合わせて論じたジリボン「不気味な笑い」という文章が収録されています。今回はベルクソンしか語れなかったので、次回は残りのフロイトとジリボンの文章について話すことにしました。

 次回は2017年10月29日(日)の18時から揚羽屋で行います。関心のある方がいらしたら、飛び入りでもご参加下さい(急な変更がある場合も考えられるので、よろずのメールやツイッターなどにご連絡いただけると確実です)。

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2017年9月14日(木)夜回り・大阪城公園よろず相談瓦版

 路上から見えるものを教えてもらって、あれこれ気づかされることが あります。太陽の広場を占拠し、今年で 2回目となったスライダープールは、その 終盤に毎夜、 狂乱 のDJステージとなりました。いったいプールに人が集まっているのか、クラブイベントに人が集まっているのか、わかったものではありません。大阪城公園駅前でかつて行われたビアガーデンイベントでは、屋台のくせに飲み物も食べ物も高価く、来場者から不満の声が上がっていたことを聞きました。

 「集客数」を上げることが第一となると、その中身は顧みられなくなります。「⻄成特区構想」では、衰退を示す根拠の一つとして⻄成区の高齢人口をあげています。釜ヶ崎を中心として高齢者が生活保護を受けていれば、高齢人口が増えるのは当たり前です。また、⻄成区だけ切り取って「衰退している」と問題視するのもおかしな話です。また、その対策が「特権的な小中一貫校を作って子育て世帯を呼び込む」になるのも変です。ごちゃまぜにして数字に置きかえて目をくらませる錬金術はいずれ不良債権を生むでしょう。

2017年8月31日夜回り・大阪城公園よろず相談瓦版

 こんばんは。大阪城公園よろず相談です。

 いつの頃からか、スマートフォンを持っていると、Jアラートという警報が頻繁に一斉送信されてくるようになりました。これは2007年から消防庁が運用しているシステムで、人工衛星と市町村の防災無線を利用して緊急情報を伝える「全国瞬時警報システム」の通称だそうで、地震津波、弾道ミサイルの発射など、すぐに対処しなくてはならない事態が発生した際に、国から住民に直接、速やかに情報を知らせることを目的にしているとのことです。

 火曜日の早朝、このJアラートが鳴りだしました。北朝鮮のミサイルが日本の上空を通過。そしてテレビの帯入りの緊急ニュースです。戦争勃発? いやいや、戦争勃発時の予行演習?? にもかかわらず、警報を即座に消してのんきに惰眠をむさぼってしまった私です。

 目が覚めて外に出ると、盛夏を過ぎたのを感じるのです。暑さにパンチがなくなった。なんとか今年の夏も生き抜いた……やれやれ。

 しかし、なんだかこのJアラートというのは気持ちが悪い。「国」から「私」に直接メールが届く。周囲に誰もいない。その情報が正しいものかどうか、どうやって判断できるのだろうか? テレビやラジオ? ツイッター? 外に出てみる? できることは意外に少ないかもしれない。寝るしかないかもしれない。しかし、逃げろ、とか家から出るなとか具体的な指示になってきたら言うことを聞いてしまいかねない。

 とにかくしょっちゅうこのJアラートが鳴るので、次第に慣れてきて、暴風警報が出たから学校休みだとか、この情報をもとに行動することが日常的に鳴り、そこへミサイル情報も混じってくると、普通に、ああ、ミサイルか、危ないな、どこらへん? 北海道? なら大阪は大丈夫か、なんて言っているうちに国家の意図する通りにコントロールされてしまうような気がします。

 よろずは、できればやはり夜回りや寄り合いを通じて直接顔を突き合わせて話をしたり情報交換したりして、判断・分析するなど、情報に踊らされず賢く生きていくための場でありたいものです。今後ともよろしくお願いします。

「資源ごみ回収規制条例」分科会を終えて

 先日お知らせしたように、2017年9月16日(土)・17日(日)の両日開催された第34回全国地域・寄せ場交流会にて、大阪の3団体主催で資源ごみ回収規制条例に関する分科会を担当しました。分科会が全部で7つあり、また交流会全体の参加者数も限られるという中で、どのくらい参加者があるか不安がありましたが、横浜、京都などからもご参加いただき、いろいろ具体的なお話を聞くことができました。

アルミ缶回収労働者の思い

 1日目は大阪城公園からも3人の当事者が参加してくれました。京都からも、アルミ缶回収規制条例が施行された時期を知っている当事者の方が参加して下さいました。地域間で当事者同士の経験談を交換する機会ともなり、全国地域・寄せ場交流会ならではの良い場を持てたと嬉しく思います。

 京都ではアルミ缶規制条例の施行を理由とした生活保護の受給を認めるといった働きかけが行政からなされていたそうです。自分なりに区切りをつけてアパートに入った人の中には、「人生を中断させられた」という思いを捨てきれずに暮らしている人がいます。廃品回収で暮らしを成り立たせている野宿者は、「これで食べている」という気概があります。「資源ごみの日の朝となったら、気合いが入るからね」と分科会に参加した当事者同士でうなずきあう場面もありました。

「犯罪者」を作り出す仕組み

 資源ごみ回収規制のもっとも大きな問題は、それまでは何の問題もなかった行為を、条例一つで犯罪にし、「犯罪者」を作り出してしまうところにあります。

 市民の中には資源ごみ回収で暮らす野宿者に対して屈折する思いを抱いている人たちもいます。その人たち自身も決して楽な生活をしているわけではなく、自分が散々働いたうえで、ささやかな楽しみとして発泡酒を飲む。資源ごみとして出したその発泡酒の空き缶を持っていかれると、自分の我慢と努力の上前をはねられたような気持ちになるようなのです。

 資源ごみ回収規制条例が設けられる背景の一つとして、地域による資源ごみ回収の広がりと、回収業者による大規模で私的な回収行為の問題視があります。しかし、実際に条例が施行されてみると、トラックで回るそのような業者は取り締まられず、野宿者がスケープゴートのように吊し上げられることになります。資源ごみ回収規制条例は、市民が野宿者を攻撃するためのお墨付きと「武器」を与える結果となります。

手を結ぶ二つの「合理性」

 近年の大阪市政を見ていると、公共領域を営利企業が利用する便宜を図り、商業化する方針が強引に推し進められています。これと同時に住民自治の強化が謳われており、資源ごみ回収規制条例は住民自治活動との関わりを理由として制定されました。これは、本来行政が担うべき領域のうち、商売になる部分は営利企業に提供し、あまり利益の出ない部分は地域に押し付けるものです。そう考えれば、これらはプライバタイゼーションの裏表両面であり、一体の思想として機能していると考えられます。そして、この二つのプライバタイゼーションが、ジェントリフィケーションやクリミナイゼーション(貧困の犯罪化)と共振していくのです。

 グローバリゼーションが進展する中、これまで社会を支えていた規範が揺らいでいきます。グローバリゼーションとともに語られる「新自由主義」では、規制緩和の必要性が強調されます。規範が揺らぐ社会の中で、「何でも収益を上げる手段にしたい経済的な合理性」と、「何でも管理しておきたい官僚主義的な合理性」とが、数少ない確固たる判断基準であるかのように存在感を増していきます。そして、この両者が手を組んで公共領域を破壊し、市民を金儲けと管理の道具として支配しようとしている構図が見えてきます。

第三の「合理性」を探るヒント

 分科会の中で、「資源ごみ回収で生活する野宿者に、資源ごみ回収を公認する腕章を配れ」と行政に提案したという横浜市の経験を聞きました。そうすれば、地域による集団回収はともかく、行政回収の分については、回収コストも浮くし、当事者も犯罪者扱いされずに生計を立てられます。この提案は受け入れられなかったとのことですが、アイデアとして面白いし、ある種の合理性を持っているように思います。即物的な合理性にわれわれの生活圏や公共領域が侵犯されている現状に対して、誰も不幸にせず、つながりを作り出すもう一つの合理性を生み出す道を示唆していると言えないでしょうか。

 マクロな排除の構造を読み解き、また、排除に抗する共同性を生み出していくためには、個々の現場で直面している状況、経験した事例をつぶさに見ていくことが必要です。合理性のほころび、ロジックが破綻するポイントをこれらの事例は教えてくれます。無力さに飲まれず、現実を見つめることによって見えてくるものを私たちの力に変えていけば、いつか道を切り開くことができるはずです。

 それゆえ、このような交流の機会を大切にし、今後もこのような場を持っていければと思います。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

カンパのお願い

 大阪城公園よろず相談の活動に賛同いただける方はカンパにご協力いただけると幸いです。以下の口座まで振り込みをお願いします。活動に関心のある方は一声おかけ下さい。夜回りや寄り合いのほか、哲学読書会やソフトボール大会などの活動も行っています。

郵便振替

記号14080
番号32204771
大阪城公園よろず相談

郵貯以外からの振り込みの場合
店名 四〇八(ヨンゼロハチ)
店番 408
預金種目 普通預金
口座番号 3220477

第34回全国地域・寄せ場交流会の第7分科会を担当します

  2017年9月16日・17日に第34回全国地域・寄せ場交流会が開催されます。寄せ場交流会では、全体会のほか、2日に渡っていくつかの分科会が設けられています。大阪城公園よろず相談は、扇町公園長居公園で活動する仲間と共同で、分科会のうちの一つを担当することにしました。

 以下は、分科会の呼びかけ文と、分科会で配布する予定の文書です。今回の寄せ場交流会は、京都の関西セミナーハウスで開催されます(参考)。

第7分科会 資源ごみ回収規制条例について(仲間の交流会)

「あの頃の野宿者問題と今の野宿者問題は何か違う……

 グローバリゼーションの中でからまり合う〈ジェントリフィケーション〉〈貧困の犯罪化〉〈2つのプライバタイゼーション(商業化・私営化)〉が、私たちの都市をどう変えようとしているのか。

 2017年、大阪市の「遅れてきた資源ごみ回収規制条例」をもとに、大阪城公園長居公園扇町公園の経験から考えます。全国のみなさんの現場で抱える違和感や出来事も教えて下さい。 

1 「あの頃」から「現在」へ

 この分科会の呼びかけ文の中で、私たちは「あの頃」と書きました。「あの頃」とはいつのことか。さしあたり2007年を区切りに、この10年を、私たちが拠点とする大阪を中心にふりかえってみたいと思います。

1.1 見えにくくなる野宿者の姿

 2007年2月に長居公園テント村が行政代執行により強制撤去されました。この排除を最後に、大阪ではしばらく行政代執行という強行手段がとられることはありませんでした。「民主の風」と呼ばれた政変と重なるこの時期、大阪市では平松邦夫(2007年11月)、大阪府では橋下徹(2008年1月)という「民間出身」の首長が相次いで誕生しました。表に出てこない排除は行われていましたが、やがて来る大きな状況の変化を準備する潜伏期間であったかのように、野宿者問題は「置き去り」にされていました。

 2000年代の釜ヶ崎の福祉アパートの普及や、2008年の厚労省の通達もあり、野宿状態から生活保護を受けやすくなりました。その一方で、大阪市はテントを立てさせない方針を徹底させ、目に見える野宿者の数は減少していきました。

1.2 若者ホームレスの発見と貧困ブーム

 工場派遣で職場を転々とするフリーター(2005年、NHK「フリーター漂流」)、日雇い派遣で食いつなぎながらネットカフェに泊まる若者たち(2007年、日本テレビネットカフェ難民」)、そして、2008年、2009年の年末から年始にかけて現れた派遣村など、非正規労働者となり、貧困化する若者に注目が集まり、ひと時の「貧困ブーム」が起こりました。「若者の貧困」は、「女性の貧困」、「子どもの貧困」と裾野を広げていきましたが、同時に生活保護バッシングも高まりました。

 そして、東日本大震災が起こり、それに伴う原発事故のどさくさの中で、時計の針が巻き戻されたかのように、再び安倍政権が誕生します。露骨な「新自由主義」とグローバリゼーションへの同調が、ナショナリズムと歩幅を合わせて推し進められています。

1.3 大阪の「現在」

 「衰退しつつも労働市場としての機能は果たしている」と目された釜ヶ崎も、いよいよ追いつめられています。「西成特区構想」と銘打ち、橋下市長の肝いり政策として始められたのは実質的な「釜ヶ崎潰し」でした。排除はあからさまに行われるのではなく、表向きは地域住民の声を取り入れながら、「ボトムアップの対話路線」で進められます。

 「釜ヶ崎潰し」は、実際には橋下市政以前から静かに進められていました。南海線沿いの露店が一掃され、路上の屋台が排除されたのは、關・平松市政下に進行したことです。流れを変えようという動きはやはり、「あの頃」に始まっていたのです。

 そして、およそ10年ぶりの行政代執行が行われたのは、2016年3月、釜ヶ崎の花園公園でした。地域を巻き込みながら巧妙に進められるクリアランスが、やはり排除の試みでしかないことがあらわになった瞬間と言えるでしょう。

 暴動が起こればカマボコがひしめいていた新今宮駅の北側の公有地には、公募に応募して決まった星野リゾートの「ラグジュアリー・ホテル」が建設されることが、2017年3月に明らかになりました。建て替えの方針も立たないまま、あいりん総合センターの仮移転が決定したのも同じ時期です。また、大阪城公園天王寺公園に見られるような公共空間の商業化も進展しています。

2 「現在」を探る手がかりを求めて

2.1 「現在」の大阪の路上から見えるもの

 見えにくくなっても野宿者がいなくなったわけではありません。空き缶を集めてまわる労働者の姿が絶えたことはなく、釜ヶ崎では、月に数回の特別清掃事業で現金収入を得ながら、夜間シェルターで過ごす人たちがたくさんいます。支援の現場では、工場派遣や飯場を渡り歩く若い野宿者と出会うこともあります。
 また、生活保護を受給しながら炊き出しに並ぶ人たち、年金収入を元手に野宿生活を続ける人たちなど、「あの頃」は考えもしなかった状況に直面しています。野宿者ではないものの、年金収入だけでは生活費が足りず、廃品回収を行う高齢ワーキングプア、組織的な廃品回収を行う外国人グループの存在など、貧困を取り巻く状況そのものが姿を変えてきているのを感じます。

2.2 なぜ今、資源ごみ回収規制条例なのか?

 アルミ缶や段ボールなどの資源ごみは、言うまでもなく、野宿者の貴重な収入源です。多くが海外に輸出される資源ごみは、グローバルなリサイクル市場における価格変動の影響を受けます。そもそも、資源ごみを回収しようという動き自体が、地球規模の環境問題に端を発するものであり、極めて現代的な現象なのです。

 資源ごみ回収規制の動きは10年以上前からあり、2004 年横浜市、2005 年平塚市、2011 年京都市のアルミ缶の回収を規制する条例のほか、古紙の回収を規制する条例まで含めれば数限りなく存在します。最近では、2012 年に名古屋市古紙回収を規制する条例ができました。

 そして、2017年3月に大阪市でも古紙・衣類の回収を規制する条例が議会で可決され、10月から施行されます。長い間、大阪市は資源ごみ回収規制に乗り気ではありませんでした。なぜ、今このタイミングで大阪市は条例を作ったのでしょうか? 大阪市の条例化は、「遅すぎる」上に、「強引すぎる」のです。

 私たちを取りまく大きな状況とその変化を読み解くためには、大きなものに目を奪われるのではなく、私たちそれぞれの目の前に現れた、小さいけれど具体的なものに目を凝らさねばならないと思います。この分科会では、みなさんがこれまで、そして現在、現場で目にしてきたこと、感じてきたことを出し合い、その意味を共有しながら、気づきと理解を得たいと考えています。

2017年8月24日(木)第10回哲学読書会『孤独な散歩者の夢想』

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 今回の読書会も揚羽屋をお借りして行いました。18時半開始の予定でしたが、参加者の都合により、実質的に19時からになりました。『孤独な散歩者の夢想』のルソーの境遇に、我が身を重ね合わせて、感じるものがあるとのことで、今回は釜ヶ崎医療連絡会議のOさんも参加して下さいました。

 中山元さんの解説では、「思索」に対して劣位に置かれる「夢想」が、ルソーによって方法論として形作られる過程が整理されています。大阪城公園のKさんによれば、ここで中山さんが用意する理解の枠組みは、哲学の基本的な前提を踏まえたものになっているようです。

 『社会契約論』や『エミール』といったルソーの有名な著作に対して、本書は日記ともエッセイともつかない、ルソー晩年の独り言のような本です。最後の「第10の散歩」はルソーの死によって絶筆となっており、完結した書物ではありません。ルソーの著作はあらためて読まなければならないなと思う一方で、この本なりに理解が深まった部分もありました。

 ルソーの『社会契約論』はフランス革命の思想的バックボーンとなったと言われています。近世から近代に向かう途上にあって、ルソーは「最初の近代人」のような存在だったのかもしれません。『孤独な散歩者の夢想』は、「この文章は誰かに読ませるために書くのではない」と延々と断り書きをした上で展開されます。「誰かに読ませるために書くのではない」文章にしては、過剰なほど丁寧な説明がなされるのです。個人的なこと、主観的なこと、つまり自分のことを客観的に書くためには、このような文章の構成が必然的に求められたのではないでしょうか。自分自身について、他人が読んでも理解可能なように書くためには、独特の文体の発明が必要であり、その背景にあるのは、自己に再帰的に向き合わなければならない近代人の宿命だったように思われます。

 官吏の出身だったデカルトに対し、ルソーは時計職人の息子です。Kさんによれば、職人といっても、時計職人は高度な技術や知識を要する仕事で、ある種のインテリのような存在だったそうです。貴族や宗教者、官吏によって担われていた哲学が、職人も含めて、力を持ってきた新たな階層によって担われ、また読まれるような時代の変化が、ここには見出されるように思いました。

 Oさんは夜回りがあるということで、途中で退出されました。あまり議論する時間がなかったので、またご参加いただけると嬉しいです。読書会の後は、揚羽屋の料理人でもあるUさんが用意してくれた料理をつまみにお酒を飲みました。

 次回の課題図書についても話し合いました。ルソーの他の著作を読みたい気もします。最近は特に軽めのものが続いていたので、ここらで少し難度を上げていってもいいのではないかという話になりました。Kさんは前々からベルクソンを読みたいと言っていたので、「じゃあベルクソンにしようよ」ということになりました。とは言っても、いきなり本命の『物質と時間』はハードルが高いので、『笑い』になりました。

 こちらも訳書が複数出ているので、Kさんが見比べてくれて、平凡社ライブラリー版に決めました。ベルクソンの「笑い」のほか、フロイトの「不気味なもの」という小編、そして両者を総合した評論も含まれているので、合わせて読むことにしました。

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