大阪城公園よろず相談

大阪城公園を中心に野宿者支援活動を続けている大阪城公園よろず相談のブログです。

2016年11月27日(日)第6回哲学読書会 プラトン『プロタゴラス─―ソフィストたち』(岩波文庫、1988年)

 前回から少し間が空いた哲学読書会、今回もまた雨でした。プラトンの『プロタゴラス』を読みました。

 哲学の古典中の古典というイメージのあるギリシャ哲学、もちろんソクラテスも登場します。登場します、というより主役はソクラテスといった方が良くて、ソクラテスプロタゴラスと議論した経過を語るという構成になっています。

 プロタゴラスがどんな人物なのかわからずに読むので、両者のやり取りは少しちぐはぐなものに思えました。短い問いを矢継ぎ早に出すソクラテスに、プロタゴラスがいつのまにか外堀を埋められていきます。タイトルにもなっているはずのプロタゴラスが全く大した人物に思えないのですが、プラトンソクラテスを語り部にしてつづった物語なのだから、ソクラテス優位に読めるのは当たり前なのかもしれません。

 プラトンが「対話篇」という形式をとって、ソクラテスという人物をひいきにしてこのような構成の本を書いたのはどのような背景があるのだろうかと気になりました。プロタゴラスも追いつめられてばかりではなく、うまく言い返す場面もあります。紀元前5世紀にはすでにこんな議論が行われていて、それを本にまとめる人がいて現代に伝わっていると思うと、驚きを感じます。しかし、それと同時に、人間の知的な能力そのものは大して変わっていないのだなと気付かされます。歴史の中で知識が道具として洗練されてきたのは確かだけれども、その道具を扱う人間の能力の方は変わっていない、進化しているわけではないようです。

 今回はニーチェの時以上にKさんの解説が勉強になり、理解が進んだところが多くありました。当時の都市国家のあり方と関連させて考えると理解が深まります。ギリシャ都市国家の雰囲気が分かるところも面白い本でした。

 このままもう少しギリシャ哲学を深めて、プラトンの弟子であるアリストテレスを読もうかという話もあったのですが、アリストテレスは短いものがないということで、もうしばらくは短いものを読んで大作に挑むことに決めました。次回は年明けにデカルトの『方法序説』(岩波文庫)を読みます。

2016年11月6日(日)寄り合い

 さすがに寒さが増してきており、曇り空の下、参加者はみんな余分に着込んできているふうでした。とはいえ、この数日の中ではまだ寒さはマシでした。

 今日の持ち寄りご飯も大変充実していました。Mさんは「やっぱりよろずレシピ集を作らなあかんな」と何かを燃やしていました。

 いよいよソフトボール大会も来月に迫っており、前日・当日の段取り、弁当の用意や参加人数と試合の組み合わせなど話し合いました。

 来月の寄り合いはこのソフトボール大会で兼ねることになり、そのあとは越冬を残すのみとなります。

 今日は「ガイスター」というボードゲームを楽しみました。路上文庫や将棋、キャッチボールもいつも通り行いました。

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2016 野宿者交流ソフトボール大会(仮称)へのカンパのお願い

 私たち、大阪城公園よろず相談は、大阪城公園を中心に野宿・露宿している方や生活保護受給者と一緒に活動をしている団体です。

 大阪城公園よろず相談の活動は2002年頃から始まりました。活動は夜回りや福祉行動、病院訪問など多岐にわたりますが、寄り合いや共同炊事といった支援者/野宿生活者の垣根を越えての活動・交流もさかんに行ってきました。

 いわゆる「ホームレス問題」は1990年代から顕著になってきました。2002年に「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」という 10 年間の時限法 (2017 年までの 5 年間延長)が成立し、2000年代後半から「行政代執行」に よるテント小屋の強制立ち退きが各大都市の公園で何度も行われてきました。

 現在、公園をめぐる状況は大きく変化しています。大阪市内、また全国にも、都市公園から野宿者を大規模に追い出した後、民間企業にその空間の利用する 権利を譲り渡し、金儲け優先の公園運営を推し進めています。

 抗議の声すらあげられないような小規模な追い出しがあちこちで行われています。大阪城公園も例外ではなく、去年(2015 年)の冬、唯一雨のしのげる東屋が閉鎖され、野宿生活者が締め出されました。

 今年 2016 年の正月、現場の閉塞感を打開する取り組みとして、みんなそろって元気をだそうとソフトボール大会を始めました。

 さまざまな取り組みを行っていながら、普段は横のつながりが少ない中で、こういった集まりは団体間の交流もはかれて日頃の悩みや不安なども話し合ったりできます。たわいのない会話をしたりしてお互い元気づけられます。このソフトボール大会を楽しみにしている方も多いです。

 今回、再び催すソフトボール大会では関西だけでなく、名古屋からの団体も参加予定です。移動費や当日の昼食用の食材代にお茶菓子代、運搬用の車の燃料費、でグラウンド使用料などの費用を捻出しなければなりません。

 ソフトボール大会へのカンパをお願いします。そして当日一緒にソフトボールを楽しみませんか。

ソフトボール大会は 2016 年 12 月 11 日に大阪城公園野球場にて開催予定です。よろしくお願いいたします。

  2016年10月16日 大阪城公園よろず相談・大阪キタ越冬実・長居公園仲間の会

カンパ窓口はこちらになります

  • 〈郵便振替〉記号番号 14080-32204771 大阪城公園よろず相談
  • 郵貯以外〉店名 四〇八(ヨンゼロハチ) 店番 408 普通預金 口座番号 3220477

2016年10月16日(日)寄り合い

 秋晴れというにはまだ暑いくらいの陽気で、休日はいつも大勢の人で賑わう大阪城公園ですが、仕出しのお弁当を広げてピクニックに来ているらしい一団の姿もありました。

 もうさすがに蚊取り線香はいらないだろうと持ってこなかったら、ものすごい蚊で、森ノ宮駅の高架下のドラッグストアまで急ぎ蚊取り線香を買いに走りました。今年はこれで最後だろうと4巻大盤振る舞いしました。

 この日は最近持ち寄りご飯で参加してくれるUさんがご両親を連れて来て下さいました。ごはんを食べた後はみんなで自己紹介して歓談することとなりました。

 初の試みとして『はんか通骨董市』というカードゲームを持参したところ、子どもたちが食いついてきてくれて、その一団はとても盛り上がりました。そのほか、いつもの将棋チーム、キャッチボールチームと思い思いに過ごしました。また、12月のソフトボール大会に向けた打ち合わせも行いました。

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2016年10月9日(日)第5回哲学読書会『ツァラトゥストラかく語りき』4

 『ツァラトゥストラかく語りき』の最終回、第四部について話しました。最後とあって、これまでのツァラトゥストラの言葉、ツァラトゥストラのやってきたことについて各々の思うところを出し合いました。時代の制約はあるにしても、ニーチェの念頭にある読者は階層の高い人々であり、当時の社会的弱者まで視野に入れた思想ではないのではないか、共感する点はあるけれどもこの一言があるためにどうしても受け入れられない──というふうに、かなり深いところまで踏み込んだ意見がありました。あるいは各々が自分自身の深いところまでツァラトゥストラを招き入れて言葉を引き出してきたようでもありました。

 4ヶ月かけてこうして一冊、議論しながら読み切ってみると、得られたものはとても大きく、しっかりしたものであったように思われます。『ツァラトゥストラ』を読みながら、背景にある哲学的な問いをすでに意識しながらそれぞれの問題関心を探っていけたようです。この読書会で将来『ツァラトゥストラ』を再読したらどんな議論ができるかと考えると楽しみが広がります。

 ツァラトゥストラは肉体が欲するものを精神より上に置きます。では、この肉体が欲するものとは何なのか。この欲望には善悪、上下があるのかということについて、Sさんは知識欲こそ最上の欲求なのではないかと言います。Sさんの「哲学と出会う前の自分は世界のことを全くつまらないものと思っていたが、哲学と出会ってからは世界が素晴らしいものだと思えるようになった」というこの日の告白は、重みは違うかもしれませんが、僕にとってもとても現実味のあるものとして感じられました。

 この読書会が始まる前、僕自身は参加するかどうか決めかねていたのですが、ちょうど『ツァラトゥストラ』が話題になっていたことで参加する流れとなったことは以前書いた通りです。この読書会で『ツァラトゥストラ』を読む過程で、背景的な知識を調べたり、哲学の入門書に触れたりして関心が広がり、いろんなことに理解が得られました。一人で読んでいたら決してこのような、次を読むのが楽しいワクワクする気持ちにはなっていなかったと思います。

 次に読む本はプラトンの『プロタゴラス』になりました。Mさんの「哲学の最初に戻ってみる?」という発言から、Kさんが「それならプラトンがいいと思う」と言い、僕がちょうどソクラテスに興味を持って『プロタゴラス』を持参していたということもありました。プラトンの書いたものは対話形式になっていて、まるで物語を読んでいるような面白さがあります。当時のギリシャ社会はこのような雰囲気だったのかという面白みもあります。『ツァラトゥストラ』より読みやすいし、ボリュームも手頃なので、次回は『プロタゴラス』一冊を読んできて議論することになりました。 

2016.7.20 読売新聞「天王寺動物公園、通路を夜間封鎖へ…大阪市 」

天王寺動物公園、通路を夜間封鎖へ…大阪市

「てんしば」「ハルカス」集客、ホームレス対策

 大阪市は今秋から、天王寺動物公園(天王寺区)内の通路を夜間、封鎖する。同公園では昨年10月、芝生広場「てんしば」ができたほか、高さ日本一の高層ビル「あべのハルカス」も近く、来場者が急増。さらに集客力を高めるため、現在約30人いるホームレスを退去させることでイメージアップを図る考えだが、支援関係者らからは「追い出すだけでは解決にならない」と疑問視する声も出ている。

◆来場者4倍

 てんしばは元々は同公園の一角で、芝生スペース(約7000平方メートル)や周囲の飲食店などを含むエリア。同公園へは、てんしばのオープンから今年3月までに209万人が来場し、前年同期の4倍に上る。

 現在の同公園は、てんしばのほか、天王寺動物園と、市立美術館がある天王寺公園に分かれ、両園の周囲には1990年頃までに柵(高さ2・5メートル)が設けられた。かつて急増したホームレス対策ともされるが、市は、にぎわいをさらに増すために柵を撤去し、一帯の常時開放を検討している。

 その際、市が「対応が必要」と考えたのが、それぞれの柵と柵の間にあり、24時間利用できる通路(総延長約750メートル)を行き来し、主に入り口付近で寝泊まりするホームレスだ。

 市は今秋にも、3か所ある通路の入り口にセンサー付きの門扉を取り付け、午後10時~翌午前7時まで封鎖する措置をとったうえで、一部の柵を撤去する予定。将来的には、ホームレスの移動状況をみて門扉も外し、常時開放を実施する意向だ。

◆反対意見も

 通路の夜間封鎖については、新世界の商店主らでつくる「新世界町会連合会」が先月開いた総会で、「天王寺駅などから来るお客さんに遠回りさせ、不便を強いることになる」「災害時の避難路がなくなる」「ホームレスも客となり、共存してきたのが新世界だ」などと反対意見が相次いだ。

 大阪市は今も、全国の自治体でホームレスが最も多いが、天王寺動物公園内では80年代から生活用テントや無許可営業のカラオケ屋台が問題化。98年の市の調査で430人いたホームレスは、行政代執行法に基づく2003年の強制撤去やネットカフェ利用者の増加などで約30人に減ったが、その一人の男性(70)は「どこへ行けば」と戸惑う。

 ただ、通路を利用する近くの無職女性(78)は「寝泊まりしている人がいると不安な感じがする」と言い、市天王寺動物公園事務所は「都市公園である以上、常時開放するのが本来の姿。多くの人に利用してもらうには、やむを得ない措置」とする。市は今後、就労支援窓口の紹介なども行う。

 一方、見回り活動を続ける支援団体「野宿者ネットワーク」の生田武志代表は「追い出しても別の場所に移るだけで本質的な解決にはならない。ホームレスの自立支援には、丁寧な話し合いを重ね、社会の一員と自覚してもらう環境づくりが欠かせない」と話す。
2016年07月06日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

(転載元URL http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160706-OYO1T50015.html) 

2016年9月18日(日)第4回哲学読書会『ツァラトゥストラかく語りき』3

 第4回となった哲学読書会、『ツァラトゥストラかく語りき』の第3部について語り合いました。超人という生き方に目覚めたツァラトゥストラがそのことを初めて語り始めたのが第一部とすれば、語り続けながらも弟子たちの受け止め方に疑問を抱くのが第二部なのではないか──というような気づきが得られたのが前回の読書会でした。

 第三部でツァラトゥストラは最初に降りてきた山に「帰郷」するのですが、その「帰郷」の前にダメ押しのようにこれでもかとツァラトゥストラは否定的な現実にぶつかり、そのことごとくをやけくそのように否定していきます。帰郷したツァラトゥストラは深い眠りについた後目覚め、生き生きと語りだし、その始めからよき理解者として描かれていた鷲や蛇はツァラトゥストラの復活を喜びます。しかし、彼らはツァラトゥストラに「あまり語るな」と言い聞かせ、踊ることや歌うことを勧めます。肉体の精神に対する優位の思想を基礎とする『ツァラトゥストラ』という作品は、語れば語るほど語りきれないものを生み出してしまい、超人たろうとするツァラトゥストラを超人であることから遠ざけるという皮肉な結果を導いてしまうように思われます。

 今回もKさんの解説を聞くところから読書会は始まりました。Kさんは、そのテキストの中で語られている範囲で解釈を深めるという哲学のトレーニングを意識して解説をしてくれているということがわかりました。初級編として徹底的にテキストを読み、中級編で解説と合わせて読めば、上級編としてニーチェのその他の著書も読み解けるようになるということです。Kさんを哲学のツァラトゥストラだとすれば、ほとんど初学者の僕たちはツァラトゥストラをやきもきさせる弟子たちかのようです。『ツァラトゥストラ』はツァラトゥストラという、人の好さから他人を見捨てて一人で超人になりきることのできない人物の試行錯誤の経験を綴るものであり、ツァラトゥストラのように超人を目指してなりきれぬところに現代を生きる我々へのこの作品の恵みがあるように思えます。

 第三部はツァラトゥストラの「永遠」への賛美で幕を閉じます。これで『ツァラトゥストラ』の物語は完結しているように思えます。果たして第四部は何を語るものになるのでしょう。そろそろ次に読む本も選ばなければなりません。一冊目が終わったところで今後どのような形で読書会を進めていくのか。これまで生きて来た経験も考え方も違う人間が哲学書を読むために月一回集まってあれこれ語り合う繰り返しは思えばまだ始まったばかりです。